第23話 うっ……頭が……!
「…………」
ラーシャが能面のような顔をしている。
彼女は、アルバラードのことが好きだ。
それは、異性としてなのか人間としてなのか。
実を言うと、ラーシャ自身もいまいちよく分かっていない。
だが、少なくともアルバラードという男に対して、好感を抱いているのは事実であった。
自分の命の危機を救ってくれ、しかも村の復興まで手伝ってくれた。
しかも、一度も顔を合わせたことのない、赤の他人のために。
アルバラードに好感を抱くのは、何ら不思議なことではない。
彼女は、とても人にやさしい。
自分よりも他人のことが優先できるほど、他者を思いやることができる。
しかし、どこかで他人の気持ちが理解できないということがあった。
それは、自分が負の感情を抱くということが、あまりなかったからである。
他者の喜びや楽しみならまだしも、怒りや悲しみなどは、なかなか共感できないというところがあった。
「……ふーん」
だが、今まさに、ラーシャは怒りというものを覚えていた。
それも、大切な親友ともいえるハンナに対して。
その理由は、当然アルバラードがかかわっていた。
爽やかな風が吹き抜ける中、ラーシャとハンナは向かい合っていた。
普段ならニッコニコで楽しそうにしている二人だが、今二人の間に流れる空気は恐ろしいほど冷たかった。
まあ、その空気を一方的に醸し出しているのはラーシャで、ハンナは心底気まずそうにうつむいているだけだが。
「ねえ、ハンナ」
「な、なんや?」
ビクッとしながら返事をするハンナ。
今までラーシャと会話をしていて、こんなふうに怯えることなんてなかったのに……。
心からげんなりとしつつも、彼女の言葉を待つ。
「どうして、アルバラードさんは、あなたのことばかり見ているのかしら?」
「えっ!? いや、まあ……うーん……」
顔を青ざめさせるハンナ。
そんなの知らんわ! 誰が見てくれなんて頼んだ!
そう声を張り上げたいのだが、目の前で眼をギョロリと見開いているラーシャには届かないだろう。
確かに、アルバラードから毎日熱いほどの視線を受けている。
だが、甘酸っぱいそれでないことは、当事者であるハンナが誰よりも分かっていた。
あれは、獲物を観察する捕食者の眼である。
なお、捕食というのは物理的な殺害を意味するのは、言うまでもないことだった。
「う、うちも分からんかな!?」
「ふーん……」
決死の否定も、ラーシャには届かない。
恐ろしく冷たい目を、ハンナに向けていた。
「その割には、ハンナの方からも、アルバラードさんに近づいていっているような気がするんだけど?」
「(近づきたくて近づいてるんとちゃうわ!)」
心の内で、そう吐き捨てるハンナ。
彼女がまったく望んでいない二つ名がアルバラードに知られてしまったことにより、二つ名から過去の所業も連想できてしまう。
現行犯でなく、決定的な証拠もないからまだ見逃してもらっているが、ちょくちょく彼からの殺意が視線に乗せられて向けられるのである。
そんなのを四六時中受けていれば、頭がおかしくなってしまう。
だから、逆に接近することにしたのだ。
それも、かなり密着するくらい。
そうすると、少し離れた場所にいるよりも、視線が刺さりづらい。
密着しに行っているのは、そういう事情があるからなのだが……大切な存在であるラーシャに赤裸々に告白するわけにもいかず、傍から見れば好んで接近しているように見えてしまっていた。
何と言おうかと顔色を青くしたり赤くしたりしているハンナに、彼女はニッコリと微笑む。
可愛い。だが、怖い。
「ハンナはさ、私によく引っ付いてきていたよね」
「そ、そりゃ、大切な友達やからな」
「そうだよね。私も、ハンナのことはとても大切だと思っているわ」
「う、うん。嬉しいわ」
平時であれば、ウッキウキで喜んでいたことだろう。
ラーシャに向けている愛が返ってきたと、有頂天になっていたに違いない。
だが、今はこの後何を言われるのかと、ビクビクして待っていた。
「でもさ、大切な人のちょっと気になっている人を、ハンナは奪うの?」
スッと目を細めるラーシャ。
心臓がきゅっと縮まるハンナ。
怖い。
「ち、違うんや! ラーシャが思ってるようなことなんて、一切ないんや!」
「ふーん……」
まったく信用されていない。
ハンナはラーシャの眼を見て痛感した。
あれは、嘘つきを見る目だった。
「でも、そうだよね。大切な友達のことを信じられないのは、やっぱりおかしいもんね。私、ハンナを信じるよ」
しかし、ふうっと一つ自分を落ち着けるように息を吐くと、ラーシャは困ったように笑った。
その柔らかい表情は、先ほどまでとはまったく異なっていた。
あの優しいラーシャが戻ってきた。
自分のことを信じてくれた。
やっぱり、自分たちは親友なのだ!
「ありがとう、ラーシャ!」
「あ、もう。痛いよ、ハンナ」
ギュッとラーシャに抱き着くハンナ。
喜びのあまりグリグリと頭をこすりつけるので、ラーシャは困ったように笑った。
しかし、喜びを完全に表すのはできないほどだった。
アルバラードに接近するのは控えよう。
確かに、助けてもらったということから好感は抱いているが、ラーシャが抱くようなそれよりも、さらに冷めたものだ。
ハンナは自分の感情を、冷静に分析していた。
実際に彼に好意を抱いているのであればラーシャから恨みを買うのも仕方ないかもしれないが、まったくそんな気持ちがないのに邪推されて仲が冷えてしまうのは、望むところではない。
大丈夫だ。抱き着かなくても何とかなる。
ハンナはそう自分に言い聞かせて、これからの行動を自制しようと決めた。
「……そこにいるのは、犯罪者か?」
「――――――ッ!?」
男の……アルバラードの声が聞こえた瞬間、ハンナは風になった。
駆ける、駆ける、駆ける!
一心不乱に走る。
錬金術師だから、身体を動かすことなんてほとんどしていなかったにもかかわらず、その走る姿勢は美しかった。
そして、その勢いのままアルバラードめがけてダイブ!
人が一人全力で走ってきてその勢いのまま抱き着いてきたが、彼は微塵も後ずさりしなかった。
微動だにしない。
「…………んー?」
そして、その様子をハイライトの失った瞳で見るラーシャ。
首を九十度傾けている。
「ちゃうんや! うちはそういうんとちゃうんや! いい加減信じてや!」
「なぜ引っ付く」
「離れていたら撲殺されそうやから」
スン、と表情を落として言うハンナ。
現行犯でない。決定的な証拠もない。
しかし、アルバラードは悪に対して苛烈である。
それこそ、倫理観とか常識とか、そういったものを全部ぶっ飛ばして悪を滅殺しようとする。
その結果が、ハンナに抱き着かれながら、異空間から聖剣を取り出そうとしている今の様子である。
離れたら瓦礫でぶんなぐられる!
「ハンナ? さっき言っていたことはどうなっているの? 私をだましたの?」
「ちゃ、ちゃんや! そっちもちゃうんや! これはピンク色な理由で抱き着いてるんと違くて……!」
状況がすべてハンナにとって悪い方向に進んでいく。
このまま抱き着いていれば、ラーシャがどんどん怖くなる。
というか、こんな彼女は見たことがない。
何をしてくれてんだ、アルバラード。
しかし、離れてしまえば彼の聖剣の瓦礫で撲殺される。
戦闘シーンは、今まで何度か見てきている。
そのたびに、えっぐ、と震撼させられているのだ。
その脅威が自分に向けられると思うと……恐怖のあまり、さらに身体を押し付けるようにアルバラードに抱き着いた。
さらに冷たくなるラーシャの眼。
「その醜い肉の塊を、アルバラードさんに押し付けているのはなんで?」
「押し付けてない! 抑え込んでるんや!」
「…………」
「その光のない目でうち見るんやめえや!!」
そうは言いつつも、決して離れようとしないハンナ。
そんな彼女を見下ろしているアルバラードの眼が、家畜を見る目であることにラーシャは気づけなかった。
「うっ……頭が……!」
彼女らの様子を見ていると、ズキンと頭が痛むラーシャ。
なぜか心拍数が上がり、息も荒くなり、頬が紅潮していた。
「なのに、このドキドキは……?」
ラーシャ、脳を破壊される悦びを知ってしまう。




