第2話 通りすがりの勇者だ
嫌なことを思い出してしまった。
私が幸せハッピー引きこもり生活から無理やり引きずり出された時の記憶だ。
まだ全然納得していない。
一切認めていないのに、あんな抜き方あるか。
ゴリゴリ力業だし、そもそもそんな抜き方で聖剣に選ばれたと思うこの男の頭はどうかしている。
私は隣を歩く男――――アルバラードをジロリと睨みつけていた。
「あー、だっる」
「どうした、愛剣。凄くやさぐれているぞ」
チラリと赤い目が私を捉える。
綺麗に澄んでいるというわけではなく、どす黒く濁っている。
本当に血のようだ。
他の人間からは不気味だと言われて遠ざけられている。
しかし、アルはまったく気にしていないのがえぐい。
こいつのメンタルは化け物か。
まあ、やっていることも色々とぶっ飛んでいるし、鋼のメンタルであることは間違いない。
普通は折れるわよ、あんなことしていたら。
無機物の私が先に心折れそうだわ。
「愛剣って呼ぶな。誰のせいだと思ってんの、誰のせいだと」
当然のように自分のものだとアピールしてくるアルに、私はさらに荒んだ目を向ける。
……いや、そんなつもりはないのだろう。
この男が独占欲なんてものを持っているとは思えない。
何か普通の人間と全然違うのよね、こいつ……。
そんな私を見て、アルは少し考えて納得したようにうなずいた。
「……聖剣にもせい――――――」
「それ以上言ったら殺す」
別に人間じゃないからそこまで反発する必要はないのだが、腹立たしいのは腹立たしい。
本当、デリカシーのかけらもない男だ。
それでいて、どうしてあんなに正義と善の心を持っているのか……。
あまりにもちぐはぐだ。
「分かった、控えておこう」
「はーあ。マジでまた人間のためにあくせく働くことになるなんて思ってもいなかったわ。やってくれたわね、アル」
まあ、人のためになっているのかどうかは分からないが。
私はアルをジト目で睨みつける。
正直、昔に使われていた時みたいに、本当に人助けをしていると実感することがあまりない。
こいつが毎回ぶっ飛んだことをするからだ。
「人のために働くことができるのは素晴らしいことだと思わないか?」
「思わない。働かなくていい世界が素晴らしい世界」
こんなに価値観が違う聖剣と持ち主っている?
私は初めてなんだけど。
「大丈夫だ、愛剣。私がいつか世界平和を成し遂げて、もっといい世界を作り上げてみせる」
「いや、前からずっと言ってるけどそれ無理だから。人間みたいなバカがのさばっている以上、絶対にありえないから」
あまりにも壮大すぎる目標。
正直、私が関係していなかったら腹を抱えて笑えただろうに……。
だが、アルはこの夢物語を本気で目指しているのだ。
いや、怖いわ。
「諦めない心」
「……はあ。こんなのに付き合わされる私って……」
げっそりとして、私は空を見上げる。
世界平和。大層な目標で結構なことだが、それをアルが狙っているというのが……。
「それに、さあ……」
私はチラリと視線を横に向ける。
そこには、いくつかの張り紙が張ってあった。
ウォンテッド。
そこに貼られてある人相が悪そうな男や女たち。
「む? 助けを呼ぶ声がする。行くぞ、愛剣」
もっと張り紙を見ようとしていると、アルがそんなことをいきなり言い出す。
え、なにそれ?
聖剣の私が聞こえていないことを、勇者でも何でもないアルが聞き取っているのはなんで?
おかしくない?
「愛剣って呼ぶな。というか、何も聞こえないけど」
「勇者には聞こえるんだ。人の苦しむ声がな」
「いや、あんたは勇者じゃな……あああああああああ!?」
猛然と走り出したアルに、私は引きずられるような形になっていた。
私の本体を彼が所持しているため、私もこんな感じになってしまうのだ。
いたいいたいいたいいたい! すれるすれるすれるすれるうううう!!
◆
必死に足を動かす少女――――ラーシャ。
都会からは遠く離れているが、しかしのどかな日常を送っていた彼女。
それは、たった一日で一気に潰されることになった。
賊の襲撃。
この世界、この時代では、それほど珍しいことではない。
だが、他の賊と少し違っていたのは、彼らが賊としてのプロフェッショナルを持っていた点である。
賊というのは、どうしても中途半端になりやすい。
基本的には、もともと普通の民が成るものだからだ。
だが、今回ラーシャの村を襲った賊は、その基本的な賊から大きく外れるものだった。
それゆえに、彼らは徹底して村を破壊した。
そこに住む人も、当然のように殺戮した。
いや、今もしているという表現が正しいだろう。
「おーい、追いかけっこはもうやめようぜ。いい加減面倒くせえよぉ」
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
後ろからかけられる声に、ラーシャが止まることは当然ながらなかった。
必死に足を動かし続ける。
自分がこの足で領に訴え、村を助けてもらうのだ。
自分を逃がすために犠牲になった村人もいる。
彼らに報いるために、彼女は必死に走り続ける。
しかし、そんな彼女をあざ笑うかのように、ギラリと光る矢が木々の間を縫って彼女の肩に突き刺さった。
「あっ!?」
走ることにも支障があるし、その激痛と衝撃で思わずこけてしまうラーシャ。
追手との距離もそんなに離れていなかったこともあり、すぐに追いつかれてしまう。
そして、こうなった時点で、もはやラーシャの未来は決まってしまった。
村を助けるという目的も、果たされることはない。
「いや、逃げすぎだって。どんだけ矢を無駄にしたと思ってんだよー」
「あとで回収すればいいだけだろ。まったく、逃げられたら領に訴えられて討伐隊が組まれるかもしれねえんだ。危ない橋を渡らせないでくれよな」
「ひ、人殺し……!」
人を矢で射っておきながら、村人たちを殺戮しておきながら、こんな暢気なことをのたまう賊たちを睨みつけるラーシャ。
だが、そんな恨みをぶつけられることなんて、日常茶飯事だ。
彼らはまったく動じることなく、鼻で笑った。
「そりゃ仕方ないだろ。俺たちだって、こうしないと生きていけねえんだし」
「まあ、力のない奴が死んでいく世界だ。どんなに恨み言を言ったところで、弱かったら意味がない。こうやって奪われて搾取されるだけだ」
力こそがすべて、とまでは言わないが、力を持っているか持っていないかでは、この世界での生きやすさは全然違った。
それは、今の状況に現れている。
力を持っている賊が不義を為して、力を持っていない村が搾取される。
それは、残酷で、しかしこの世界では当たり前のことだった。
「さて、殺すか。さっきも言った通り、領に訴えられても困るからな」
無論、こういった賊が長続きすることはない。
必ず領に訴えられ、討伐されることになるからだ。
領からしても、貴重な税を納める民を殺戮されてそのままにできるはずもない。
彼らは、それが分かっていても、少しでも長く生きようと徹底して殺害することに決めていた。
「どうせ殺すんだったら、それまで楽しませてもらおうぜ。有効活用だ」
「はあ、じゃあお前がちゃんと殺しておけよ」
「へいへい。さて、というわけだから」
ギラリと欲望に光る眼を向けてくる男たち。
ラーシャは自分がこれからどのような目に合うかが、嫌でも想像できてしまった。
ただ殺されるよりも恐ろしい結末に、顔を青ざめさせて声を張り上げる。
「誰か……助けて!」
「誰も来るわけねえだろうが」
それは、賊の言う通りだった。
舗装された道から離れた場所。
そして、この襲撃はまだ誰にも露見していない。
彼女を助ける者なんていなかった。いないはずだった。
――――――自分のことを勇者と思い込んでいるやばい奴がいなければ。
「いいや。その願い、確かに私が聞き届けた」
いつの間にか、ラーシャと賊たちの間に割り込んでいる男がいた。
白い髪をたなびかせ、どす黒く濁る赤い目が悍ましく光っていた。
不気味さを覚えるであろうその目は、しかしラーシャにはとても温かく見えた。
「あ? 誰だよ、テメエ」
賊が警戒も露わに男――――アルバラードに問いかける。
アルバラードはそんな賊の問いかけに対し、いつも通りの無表情で答えた。
「通りすがりの勇者だ」
「違うわ」
付き合わされている聖剣の人格が、死んだ目で否定するのであった。