第19話 悪は去った
宙に浮いた闇の斬撃。
ルードリックを切り刻むことができなかったそれは、消滅することはなく、いまだに重たい存在感を放ち続けていた。
その異常な光景に、ルードリックもルルも目を離せない。
そして、それは彼らの命を助けることにつながった。
自分たちが助かろうと思って凝視していたわけでないことは明らかだったが……。
「ん? 何か空間がきしんでるなあ」
それに最初に気づいたのは、アルバラードが来たからもう大丈夫だろうと無意識のうちに強烈な信頼を寄せて、安全な工房から出てきたハンナであった。
錬金術師ということもあって、彼女は研究者肌である。
色々と観察したり周りをよく把握することがあるため、空間に異常が発生しているのも、一番に気づくことができた。
……単純にアルバラードとの距離が近いということもあるかもしれない。
まだ危険な魔族はいるわけだし、一番安全であろう彼の近くにいることは合理的だった。
決して安心感を得るためではないのだ。
「確かに、何かギシギシしているような……」
ルルもハンナに続いて気づく。
口には出していないが、ルードリックもほぼ同時に。
空間が張り詰めているような、そんなおかしな感覚。
【空気】ではなく、空間そのものが、である。
それは、明らかに闇の斬撃が原因で……。
そして、遂にそれが牙をむいた。
「あぁっ!?」
ゴウッと轟音が鳴り響く。
悲鳴を上げたのは誰だったか。
あるいは、悠然と立っているアルバラードと、何が起きるのか分かっていて彼にしがみついている精霊以外の、すべての人のものだったかもしれない。
「す、吸い込まれ……!?」
黒い闇の斬撃の中心に、周りのものがすべて吸い寄せられていく。
それも、生半可な力ではない。
鍛え上げられた魔王軍四天王やネコの獣人でさえも、自分の足だけでは踏みとどまれないほどの、凄まじい力だ。
実際、周りの木々は根元から引き抜かれたり、あるいは木の幹が真っ二つにへし折られて吸い込まれていっていた。
「ぐおおおおおおお!? ちょっと待ってなにこれ!? めちゃくちゃやばい!」
「ああっ!? うちの工房がぁ! 何してくれてんねんお前ぇ!!」
「ふぎゃああああああああああ!?」
地面に剣を突き刺して何とかこらえているルードリック。
自慢の工房が破壊されて闇の中に吸い込まれ、半泣きになりながらののしるハンナ。
彼女はこの中で一番身体が弱いため、その精霊が舌打ちしまくる豊満な肢体をべっとりとアルバラードに押し付けながら抱き着き、頬をむちゃくちゃに引っ張っている。
なお、アルバラードは意味深な笑みを浮かべて考慮しない模様。
ルルは体重が軽いため、地面に突き立てた聖剣の柄に縋り付きながら、身体を真横に揺らしていた。
「あ、ちなみにあの中に吸い込まれたら完全に跡形もなく消滅するから、気を付けた方がいいわよ」
「本当に聖剣なの!? 聖剣にしては殺傷能力高すぎるでしょ!!」
「聖剣以外の何だと……?」
「なんで私がおかしいみたいな目を向けてくるのよ!!」
吸い込まれそうになりながら必死に命をつないでいるルルが激怒する。
何だこの個性の塊みたいな聖剣の精霊は。
私のはここまでじゃないぞふざけんな、と内心で罵詈雑言を吐き捨てる。
「ぐっ、うううっ……!」
そして、そんなルルよりも厳しい状況にあるのが、ルードリックであった。
筋力などは彼女よりも高いから、踏みとどまろうとすれば多少有利な立場である。
しかし、問題は闇の斬撃が彼のすぐ側で滞留しているということ。
アルバラードと戦闘をしていたのは彼だから、それも当然なのだが。
吸い寄せられる力はルルよりもはるかに強い。
耐えられているのは、さすが魔王軍四天王と言えるだろう。
ただし、耐えることしかできていないのが問題だった。
彼の前に余裕の笑みを浮かべるアルバラードが、身体に精霊とハンナをへばりつかせながら立っていた。
「身動きが取れないか? 大変そうだな、巨悪よ」
「なっ!? ど、どうしてこの暴風の中で……!」
魔王軍四天王でさえ、剣を地面に突き立てて支えにしなければ吹き飛ばされるほどの風。
だというのに、目の前の男は、平然と二本の足で地面を踏みしめ、ビクともしないで立っていた。
「なるほどな、自分の技だから、効かないのは当然か」
ルードリックはあることに気づく。
これほど強力な技だ。
当然、使用者本人にも影響が出るほどのもの。
だが、そんな技をポンポンと使用できるはずもない。
何らかの……それこそ、聖剣の力で自分には効果を及ばないようにしているのだろう。
だとすれば、この平然と立っている男にも説明がつく。
しかし……アルバラードにへばりついている精霊が、彼の顔のすぐそばにひょこッと顔を出し、当たり前のように否定する。
「いや、私は何もしていないけど」
「え?」
「普通にアルにも効果が及んでいるけど。筋力だけで平然と歩いているだけよ、こいつ」
「えぇ……?」
何だこいつ……。
ルードリックの頭に浮かぶのは、それしかなかった。
「さて、身動きが取れないのは困ったな。私の攻撃を防ぐすべがないじゃないか」
ゆっくりと瓦礫付きの聖剣を振り上げるアルバラード。
ルードリックの眼には、ギロチンがあげられるようにしか見えなかった。
「ちょ、ちょっと待て。今なら魔王様にお前のことを紹介することもやぶさかではないというか」
「死にたまえ」
「ああああああああああああ!?」
アルバラードが聖剣を振り下ろす。
ドパァッ! と闇が溢れ出し、周りの景色を黒く染め上げる。
しばらくしてから、闇が晴れる。
そこには、ルードリックの姿は完全に無くなっていた。
それを見届けたアルバラードは、一仕事を終えて汗を拭って笑う。
「ふっ、悪は去った」
「悪はお前にゃ」
闇の斬撃の余波を受けて地面に倒れたルルが、怨嗟の声を漏らすのであった。
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