第12話 どうでもいいことだ
スタスタと歩いてさっさと出て行こうとするルードリックの腕にへばりつくターリス。
魔族としての身体能力と、大して鍛えていないターリスの膂力により、一方的に引きずられる形になっていた。
力で止められないので、必死に言葉でとめようとターリスは声を張り上げる。
「魔王軍四天王ともあろう者が何を言ってるんだ!? 名前を聞いただけでビビりすぎだろう!!」
「ふざけんなバカ! その名前を聞いてなんで平然とできるんだよ! 頭おかしいのか!?」
「はあ!? 何を言っているか全然分からないんだが!?」
「ちっ!!」
「舌打ちでっか……」
今まで見たことのないルードリックの姿に、ターリスは全力で引く。
しかし、幸い出て行くことはいったん諦めてくれたようで、立ち止まる。
男に抱き着く趣味もないので、ターリスもすぐに離れた。
そんな彼を忌々しそうに見ながら、ボソリと呟くように言った。
「本当に知らないのかよ? アルバラードだぞ、アルバラード」
「だから、知らん。そんなに有名なのか?」
どれだけ頭をひねっても、その名前が出てくることはない。
まあ、その人物の分野というものもある。
たとえば、ターリスは同じ貴族や取引のある商人、主だった部下の名前は把握しているが、王都で活躍している冒険者の名前などは知らない。
アルバラードという男がどういった場所で名をはせているのか。
そんなターリスをじっと見たルードリックは、ポツリと呟いた。
「――――――『頭のおかしい正義狂い』」
「あ?」
「『血みどろバーサーカー』。『生まれてくる世界が間違っていてほしかった奴』。『話が通じないやばい奴』。『諦めろ、通り過ぎるまで』。『絶望』」
次から次へと飛び出してくる、耳障りにすら感じる悍ましい単語。
ターリスは酷く混乱してしまう。
「お、おい、さっきから何を……」
「魔族の間で知られている、アルバラードの異名だよ」
「はあ?」
ポカンと口を開けてしまう。
ターリスがこんなにも間抜けな顔を見せるのは、子供の時からなかったかもしれない。
何だそれは。
一つだけでもおかしいのに、おかしいのが何個もついている。
「なんだそれは。化け物みたいじゃないか」
「化け物みたいなことを仕出かしているんだよ。人間らしいが、俺は信じていないぞ。こんな異名を持つ人間がいてたまるか」
ルードリックは冷や汗を垂らしながら言葉を続ける。
「正直、俺も会ったことはないから分からん。顔も知らないし、そもそも顔を見た奴は大体殺されるから知れ渡りもしない」
「顔を見ただけで殺すってどういうことだ……?」
ターリスは激しく混乱する。
そんなの、通り魔みたいなものではないか。
アルバラードという男は、魔族にも恐れられる通り魔なのか?
「だが、これだけ異名がついていることから、そういう奴だってことは分かっている。だから、俺は降りるって言ったんだよ」
そう言うと、話は終わりだと切り上げ、ルードリックは扉に向かって歩く。
だが、今彼に出て行ってもらうと困るのだ。
ターリスの目論見に、四天王の力は非常に役立つのだから。
「……待て」
「なんだよ?」
怪訝そうにルードリックが振り返る。
彼が足を止めたのは、少なからず付き合いがあったからだろう。
そして、これに二度目はない。
ターリスは、この一度きりのチャンスを活かすことにした。
「そもそも、今回の賊を討伐した男が、貴様の言うアルバラードなのか?」
「……名前が一緒だけの別人ってことか? いや、それは……」
少し逡巡するルードリック。
確かに、その可能性もあるだろう。
人間なんて、害虫と同じくらい多くいるのだから。
だが、賊を全滅させ、戦闘に特化した魔族も打ち滅ぼしている。
魔族の中で悪名高い、あのアルバラードである可能性は高いだろう。
「その可能性もあるが、あるいはアルバラードの名を騙っているだけかもしれん。魔王軍四天王のお前でも恐怖を覚えるような相手だ。その名を騙れば、余計な火の粉を払うことができる。まあ、お前の部下のように知らない者もいるようだが、より強者から絡まれなくなるとすると、旅人からするとこれ以上のものはないだろう」
ターリスはさらに仮説を立てる。
魔王軍四天王でさえも退かせるほどの悪名だ。
危険を遠ざけるために、その名を騙る者もいて不思議ではない。
普通に暮らすよりも危険な目にあいやすい旅人ならば、なおさらだ。
それは、論理としては破綻していなかった。
「しかも、面相も知られていないのだろう? 名前を言うだけでいいんだ。手間もかからず、非常に簡単だ」
「……確かに、お前の言うことも理解できるな。だが、俺の部下も……」
そこがどうにも引っかかる。
名を騙るような弱者ならば、部下の魔族は殺されることはないだろう。
「お前も言っていたように、重傷を負っている可能性が高い。そもそも、実際アルバラードのことを、お前は直接目にしたことはないだろう? 噂は尾ひれがつくものだ。実際、どの程度の男なのかは分からんだろう」
「…………」
ルードリックは、遂に黙り込んだ。
ターリスの言葉に、信ぴょう性を感じてしまった。
部下を圧倒した……とは考えづらい。
一進一退の激闘を繰り広げ、相討ちに近い形で決着がついたと考えるのが妥当だ。
それならば、まだギリギリ納得できる。
また、アルバラードを直接自分の眼で見ていないというのも事実だ。
ルードリックが思案しているのを見て、ターリスはとどめの一言を発する。
「そもそも、魔王軍四天王が、人間一人に怯えて戦いもせず逃げるなど……程度が知れる」
「なんだと? 今、ここでお前を始末してやってもいいんだぞ。契約があるから協力しているだけだということを忘れるなよ」
ギロリと、ルードリックがターリスを睨みつける。
その殺意は、暴風が吹き荒れたのかと錯覚させるほどの、恐ろしいものだった。
ターリスも、無様に尻もちをつかなかったことが奇跡だと、自分で思うほどだった。
「……言ってくれるな」
しかし、ルードリックは殺意を消して、息を吐く。
確かに、今までの自分は、何とも情けなかった。
「いいだろう、お前に従ってやる。だから、この人類圏で俺たち魔族の活動の後ろ盾、今まで以上にしっかりしてもらうぞ」
「ああ、構わない」
今度こそ、出て行くルードリックを止めることはなかった。
ギリギリで首をつなぐことができたターリスは、安堵の息を漏らしながら、深く椅子に腰かける。
「どうでもいいことだ。あの女……ハンナを捕らえられるのであれば、何を失おうがな」




