2.空からカラスが降ってくる
暑い日差しが白い肌に影を作る。額から汗を滝のように流しながら、シアラは大きく息をついた。
「こんな暑い日に、外で探し物かぁ……」
そう呟いてから、深呼吸して息を整えようとするも、なかなか難しい。先ほどから右へ左へ、ついでに後ろに戻ってを繰り返していたシアラは、うんざりしながら腕輪を眺める。
憤りで気持ちが落ち着かない。
シアラはいったん休憩しようと、背のびをして、周囲を見渡した。
コンクリートで出来た塀に、レンガが積まれた塀。様々な形の建物に、申し訳程度の緑。足元はアスファルトで覆われた道。
シアラが立つそこは住宅街のド真ん中、十字路だった。
(せっかくの夏休み、誰にもあわずにだらだら過ごせると思っていたのに、面倒ごとを招くとかめちゃめちゃついてない)
シアラは唇を噛んだ。
そもそも、アパートにクーラーがないのがいけない。
いや、それをいうと、母に「魔女なら魔法でどうにかすればいい。空調を整えることすら満足にできないの?」と、言われるだけだ。
(そもそも、せっかく現代社会に生きてるんだから、クーラーとか使えばいいし。無理に魔法だけにしなくてもいいのに!)
とはいえ、お金に余裕があるわけでもなく。
「あーもう!どこにいんのよあの馬鹿カラス……見つけたら焼いてやる」
自分に対する憤り、母に対する怒り、その他不平不満と憤慨を自分のステッキを奪った相手にぶつけることにして、シアラは腕輪に目を向ける。
そして、改めて深呼吸をし、目を閉じた。気持ちを平静に。『力』を抑制しながら腕輪に通し、探索の魔法を起動する。
今度は成功。何とか、方向が分かった。――気がする。
「ホント、精度悪いなぁ、これ……」
シアラは目を開けてため息をついた。
シアラの母である魔女はモノづくりに特化した魔女だ。そんな母が丹精込めた一点もののステッキは未熟者のシアラが作ったこれは、比べると雲泥の差。
(救いなのは、カラスが転移者じゃなさそう、ってことくらいか)
奪われて三十分は経つだろうか。しかし、ステッキを使われた感覚はない。
そもそも転移者はそのへんにいるものではない。つまり、カラスはただのカラスで、見かけたシアラのステッキを盗んだだけ。
それはそれで他人に知られたくない話だ。さっさとステッキを取り戻して、家に帰りたい。
(癖で腕輪の形にしちゃったから、つかみやすかったのかなぁ……。でも、私からあんまり離れるとステッキの形に戻っちゃうから、どこかで落とすはず……。距離と方向的にも、この辺りだと思うんだけど……)
心でつぶやき、シアラは腕輪を見た。自作の腕輪はちょっとチャちい。
シアラのステッキは彼女がこの世界に生まれ落ちた瞬間から、そばにあった。母がシアラのために作った彼女専用の『力』を魔法に変えるための魔道具なのだ。
長い経験をもつ魔女であれば、そんなもの使わずとも、自分の体一つで『力』と魔法に変換することができる。しかし、先ほど母に言われた通り、シアラは若輩であり、未だ魔道具がなければ『力』を魔法に変換することができない。
現状、シアラはステッキがないので、魔法がほとんど使えない。他の魔道具でも代用はできるが、変換効率が落ちる。
半人前にもほどがある。
(何がなんでも早く見つけないと)
腕輪をにらみつける。即興の回路代わりの魔道具も全く使えないわけではない。向かう先はわかる。
ただ、薄ぼんやりと『視』にくいだけで。
十メートルほどすすみ、足を止め、小首を傾げる。
「方向はあっているけど」
距離がいまいち。
飲み込んだ言葉をそのままに、少女は再び足を運びつづけた。
盗んだのがカラスというのも気に食わない。カラスは昔から嫌いだ。ずるがしこそうな目、漆黒の陰気な面構え。
カラスが悪い。カラスが悪いのだ。夏休みの宿題なんてものはとっくの昔に片づけたというのに、こんなことになるなんてカラスが悪い。
(ところで、だいぶ家から離れた気がするけど、ここどこだろう)
見渡せば家々が連なる住宅街は、先ほどよりも高級な感じがする。
「ん?」
見回した景色に違和感を覚え、シアラは足を止めた。
道の反対側のベンチに一人の女性が座っている。裾の長い黒いワンピース、華美すぎない白いエプロンとヘッドドレス。モノクロの中に唯一、ピンク色のスカーフが胸元に飾られている。
いわゆるメイド服を着た、若い女性だった。
(生メイド、始めてみた)
シアラは一瞬にして目が釘付けになり、相手に気づかれたらと慌てて視線をはずした。
しかし、こらえきれずにちらちらとメイドを見る。
(こんな住宅街にメイド喫茶なんてないよね?趣味の服装とか?まさか本物のメイド?)
バスを待っている様子の彼女は大きめのバスケットを抱え、読書をしている。
(遠出って、こんなことと出会うこともあるんだすごい)
何かずれた感心を覚えながらシアラはメイドをちらちら横目で視つつ、不自然にならないように歩を進め続けた瞬間だった。
よそ見をしていたせいか、シアラの足がからみ、バランスを崩す。そして、
「あいたッ」
シアラはそのまま地面に倒れこんだ。
(は、恥ずかし……)
シアラは慌てて立ち上がり、脚についた砂をはたく。血は出ていない。だが恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じる。よそ見をして転倒するなんて、小学生か。声を上げてしまったから、メイドがこちらに気づいてしまったかもしれない。見るのが怖い。
――私はステッキを探すの!……あぁ、こんな時に役立つ使い魔がいればよかったのに。この際カラスでもいい……。
自暴自棄義気味に思いながら、立ち上がり、何事もなかったかのように歩き出す。そして、再び腕の魔道具に目をやった。
「――あれ?」
目的の地点はいつの間にか後方にあった。
振り返る。
メイドのいるバス停にバスが止まっていた。シアラの位置からバスに乗り込むメイドが見えた。老人と楽しげに会話をし、唐突にバスケットから何かを取り出し、振った。
(あれ、あれ?あれ!)
見覚えがあるステッキに、心で叫んだ瞬間、フッと力が抜ける感覚がした。
(え?)
魔力が使われた。そう気づいて混乱する。
私しか使えないようになってるはずなのに?なんで?シアラは慌てて、メイドに向かって叫んだ。
「っ、それ私の――!」
シアラの声と同時にバスのドアが閉まり、走り去っていく。
「うそ」
シアラはそれを眺め、立ち尽す。
その時だった。
「おぁっ」
男の声が頭上から聞こえた。揺れる樹、舞い落ちる葉。落下してくる黒い影。
「ぎゃあっ」
シアラは頭を抱えて、悲鳴を上げた。その横に影が落ちる。
ぶつからなくてよかった。でも、一体何なんだ?そう思いながら、恐る恐るシアラは自身をかすめるように道にたったものを見た。
それは黒のパーカー、黒のズボン、黒の靴に黒の髪、瞳も黒で、ただ、肌だけが白い青年だった。
(なにこれ)
顔に見覚えはない。ただし、彼の纏っている『力』には覚えがある。
シアラの魔力だ。というか、青年とシアラは魔力のパスがつながっている。この感覚はもしや。
「あんた……」
「さっきの」
――私の使い魔、みたいな感じになってる?というか、今の何。
シアラは不測の事態にメイドを追いかけるのも忘れて固まった。