第二十四舞 賭け
何か良い方法はないかと御所内を散歩して考えていると、気付けば夕刻だった。そろそろ戻らねば。許可を貰ったとはいえ、遅くなるのは良くない。
屋敷に戻ると秋人に出会った。日和が帰って来るのを待っていたようで静かに手招きする。秋人に寄っていくと無表情で言った。
「紫苑様からのお呼び出しだ」
「はい?」
それ以上何も言われず問答無用に執務室に連れてこられる。中に入ると何ともぴりっとした空気が張り詰めてあった。
菫澪は相変わらず微笑んでいる。雪葵は部屋に入るのを拒んで逃げ出した。
小上がりの上にいる紫苑は相当機嫌が悪いようで眉間に皺を寄せ、日和を睨んでいた。
「ただ今戻りました、紫苑様」
「あぁ」
何だろう、この空気は。日和は自分が何したと言うんだ、と叫びたかった。呼び出した理由はなんだ。
「……何か御用でしょうか?」
「…お前、今日出掛けていたそうだな」
「え?あ、はい」
「何処に行っていた」
「…菊ノ宮様の所です」
紫苑の眉がぴくりと動く。
「…お前、着飾りの品のことを菫澪から聞いたようだな」
突然話題が変わったことに首を傾げる。何が言いたいんだろう。
「はい、お聞きしました」
「…だから菊ノ宮に行ったと?」
もしやこれは良い機会かもしれない。日和は思いっ切って言ってみることにした。
「はい。菊ノ宮様に私を侍女にして頂きたいとお願いしに参りました」
きっぱり言うと後ろから秋人の深く長い溜息が聞こえてきた。菫澪は「…ふふっ」と笑いを堪えているようだ。
やはりおかしなことなんだと実感していると紫苑が口をわなわなと震わせているのに気付いた。良いと言ってくれないかと思っていると紫苑が机を強く叩いて前のめりになる。
「平然とそんなことを言うな!そんな莫迦なことをする奴、見たことないぞ!」
何が莫迦だ。突然言われたことに日和はむっとした。
「そんなに俺の侍女が嫌か!」
「嫌です」
「おい!即答するな!」
ムキになって即答する。怒りたくなる気持ちも分からないことはないが、そこまで怒鳴る必要はないだろう。呆れて了承すればいいじゃないか。
「こちらが嫌ですから仕方がありません。ただ秋人さんと菫澪さんは違いますのでご安心ください」
「おい!」
紫苑の後ろに移動していた秋人が日和に訴えるように首を横に振っている。かなりおどおどしている。けれど日和は言葉を撤回するつもりはない。
「絶対に許可は出さん!ここで働いて貰う!」
「その強引さが嫌なのです!ちゃんと理由を仰ってください!納得ができません!」
紫苑の言葉が詰まる。紫苑は分かっていた。理由を言っていないことに、それに日和が納得してくれていないことに。
けれどその理由を伝えたくなかった、特に本人には。紫苑は自分の中で葛藤する。言ってしまえば日和はどのような反応を示すだろうか。嫌な思いはしてほしくない。ただ、言わなければ日和は紫苑の元から離れてしまう。紫苑は意を決すると口を開いた。
「……お前がここに必要、だからだ」
「?菫澪さんがいらっしゃるのなら大丈夫なのでは?」
「っ……俺にとって大切な存在だからだ」
紫苑はほんのり赤く頬を染め、そっぽを向く。日和は目を丸くした後、きょとんとした顔で首を傾げた。
「ご冗談はおやめ下さい。貴方様が私を?全く意味が分かりません」
その言葉と態度に紫苑は恥ずかしさもあってか、ふるふると震え出した。
「冗談、だと?本当に意味がわからないのか」
「?はい。ただの侍女を大切だと言うなんて物好きなのでしょうか?」
今度はわなわなと震え出す。そして立ち上がるとびしっ!と日和を指差した。
「良い度胸だな!なら賭けをしようじゃないか!俺は必ずお前を落としてやる!お前が落ちるか落ちないか!賭けだ!」
日和はまたきょとんとする。
「落とす?私を?」
想像していなかった発言に日和は少し驚くが、袖で口元を隠し、ふふっと意地悪な笑みを浮かべた。
「分かりました。その賭け、乗って差し上げましょう。期間は?」
「言ったな。期間は三ヶ月だ」
「かしこまりました。私が賭けに勝った場合、菊ノ宮様の元へ行かせて頂きます」
「好きにしろ。その代わり、俺が賭けに勝ったなら、ここの侍女でいてもらうからな」
「分かりました。まぁ、私が落ちることはありませんけれどね」
まだ勝負が始まってもいないのに、日和が勝ち誇った顔をしている。自信があるのだ。紫苑は悔しそうにしながらも強気に出る。
「くっ、俺を侮るなよ」
日和と紫苑との間にばちばちと火花が散る。秋人はおろおろするのをやめ、がっくし肩を落としている。菫澪は変わらず微笑んでいた。
日和は執務室を出る。菫澪が後ろを付いてくる。くすくすと笑っている。
「日和凄いわね。あそこまで紫苑様に対抗するなんて。首が飛んでもおかしくないのに」
「すみません、菫澪さん。お見苦しい所をお見せてしまいました」
「いいのよ。面白かったから」
笑っている状況ではないはずなのに、流石菫澪だと思った。けれど正直面白くはない。日和は憤っていたからだ。
「賭けに乗って良かったの?」
「構いません。私が負けるとは思いませんから」
日和はかなり自信があった。紫苑が気にしたこともないしそもそも興味がない。だから落ちることはない。
「ふふっ、楽しみね」
菫澪はまた面白そうに微笑むのだった。部屋に避難していた雪葵に事情を話すと雪葵は心配そうに日和を見つめていた。
日和と菫澪が退室して行った後。静かになった執務室で秋人は紫苑に話しかけた。
「紫苑様」
「言うな……」
紫苑が机に伏した。秋人は呆れすぎて言うなと言われても一言言わないと気が済まない。
「一体何なさっているのです。賭けなど、貴方様らしくありません」
「知るかよ…。俺に聞かないでくれ」
「貴方様以外誰に聞けばよろしいのですか」
秋人が眉を寄せる。紫苑は重い溜息をつく。そして暫く黙っているかと思うと、また溜息をつくかのように言葉を発した。
「……何してんだろ俺」
「私が聞きたいです」
「だって、他の宮に行くとか言い出すから…ふざけるなよ……」
紫苑は大きな衝撃を受けた。大きな岩を頭に投げつけられたようだ。日和が不満を持っていたのを気付いてはいたが、まさかここが嫌だと言われるとは思ってもみなかった。ましてや即答だ。これはかなり落ち込む。
「勢い任せに言ってしまったが、あいつの顔、むかつくほど自信ありげだった。勝てる気がしない…」
「では諦められるのですか?」
「そんな訳ないだろう…」
紫苑が力弱く、でも否定する。正直勝てる見込みはない。けれど手放したくなかった。自分の傍にいてほしい。
紫苑はもう一度深く溜息をつくと、顔だけ上げた。
「言ったからにはやってやる。何がなんでも落としてやる。絶対に他の宮の所には行かさん」
紫苑はやけになって気合いを入れる。後々後悔することになるのだが、それはまだ先の話である。




