第二十一 口喧嘩
桜が満開になった。それが意味するのは遊華演会の時期ということである。
当日。外はばたばたと慌ただしい。会場の準備をする武官。主の準備をする侍女や従者達。それに加え、自分の準備もしなければならないのだから、大変だ。
それとは反対に日和は自室でのんびりと茶を啜っていた。菫澪は紫苑の着付けに行っている。流石にただの侍女には着替えさせないかと日和は解釈していた。
「日和はまだ準備しなくていいの〜?」
「もう少ししたらね」
日和がやることは自身の着替えと化粧である。と言っても薄化粧の為、特に時間はかからない。
日課の屋敷の掃除はあっという間に終わった。暇を持て余して、茶を飲んでいるのだ。
日和はふと思い立って、棚の引き出しを一つ引く。そこには丁寧に仕舞われた紫苑と果莉弥の着飾りの品が入っていた。昨年頂いたものだ。念の為、二つとも持っておいたのだ。使うかもしれないと机の上に置いておく。
そろそろ時間になり、着付けを始める。果莉弥の時と同じく装飾がたくさんついていて重い。またしんどいだろうなあと気も重くなる。今回は紫が基調の着物だ。
この色の裳を見て、本当に紫苑の侍女だなあと改めて実感し、溜息をついた。
化粧を終えた頃、秋人と菫澪を連れた紫苑が日和の部屋までやって来た。やはり煌びやかである。
(見目麗しい人って本当にすごいよなぁ)
紫苑の顔やら衣装やらにただただ感心する。この顔に似合うとは、この衣装は物凄い力を持っているのだなあとどうでもいいことを考えていた。
見れば紫苑は日和の顔をじーっと見つめている。居心地が悪くなり視線を逸らす。紫苑は近付き、日和の前でしゃがんだ。日和は後ずさろうとしたが、後ろは机だった。しまった!と思う頃には紫苑が手を伸ばしていた。思わず目をぎゅっと瞑る。
「昨年渡した簪、ちゃんと大事にしていたのだな」
紫苑の声で目を開けると紫苑は日和の後ろの簪を手にしていた。
「え、えぇまあ。大切にするように言われていましたから」
「それはそのまま大事にしていろよ。今回はこれを付けろ。菫澪頼んだぞ」
「はい、かしこまりました」
菫澪が「失礼するわね」と言って日和の髪を束ねる。そして一つに斜めで束ねると下りた髪は前に流した。そしてその束ねたところに新しい簪が差される。
「ありがとうございます。そういえば藤ノ宮は芸を披露するのですか?」
「いいえ。私一人だし、特別に許可を頂いているのよ。日和が一人で踊ってもいいのよ?」
「菫澪。余計なこと言うな」
「それですと紅ノ宮と被ってしまいます」
「あら、被っても問題はないのよ。ただ同じ芸をすれば比べられてしまうから皆避けているだけなの」
「そうなんですか」
「おい、目を輝かせるな」
紫苑のジト目を無視して日和は身体がうずうずし出す。最近は自室でひっそりと踊ることしかできず、久しぶりに大勢の前で踊ってみたかった。けれど紫苑に睨まれる。日和はむすっとした。
「なんでしょうか」
「お前は大人しくしていろ。踊るな」
「何故ですか」
「なんでもだ。それに紅ノ宮と被るならやめた方がいい」
「構わないと菫澪さん、申し上げているではありませんか。紫苑様はそんなに私の踊りがお嫌いですか?」
「!そんなこと言ってないだろう!」
紫苑が怒るが、日和は引き下がるつもりはなかった。自分の舞踊を莫迦にされている気分だ。
「直接仰っていなくても、踊るな踊るなと言われたら嫌っていることと同じでしょう!そんなにお嫌いなら私を侍女にしなければ良かったのではないですか」
「!ふざけるな!誰もそんなこと言っていないと言っているだろう!話をちゃんと聞け!」
「あ、そうですか。どこの仕事にも就けない私を哀れんでここに仕えさせてくださったんですよね。忘れておりました」
「それも言ってない!もういい!とにかく踊るな!いいな!」
紫苑はぷんぷん怒りながら日和の部屋を出て行った。菫澪が困ったように微笑んでいたが日和は反省する気はなかった。秋人は溜息をついて紫苑に付いていった。日和は拳を強く握りしめる。
(やっぱりここは嫌だ!果莉弥様の所に戻りたい…!)
結局、踊るのは諦める。気に食わないが、これで勝手に踊れば確実に首と胴体がさようならしてしまうだろう。それだけは困るので言うことを聞いておくことした。むしゃくしゃしたまま遊華演会が始まる。鐘が鳴り、出し物が始まった。菫澪は紫苑に付くため壇上に行ってしまい、雪葵が隣にいるとはいえ、日和はぽつんと一人で佇んでいる。
初めは菊ノ宮の侍女達だ。笛を奏でている。そういえば昨年、樹の体調が良くなさそうだと気づいたのがこの頃だった。ちらりと樹を見る。
凛々しい顔は少し痩せ細ってはいるものの、昨年よりも明るい表情をしているように見える。順調に回復していることが窺え、安心する。
ふと果莉弥と目が合った。にこやかに微笑んでくれる。日和は頭を軽く下げる。彼女の傍から離れてしまっても優しくしてくれることが嬉しかった。侍女達も優しい。それに比べて今の主は何だ。
いくらこちらが命令を聞く側とは言え、理由もなしにあちらの考えを押し付けないでほしい。あの言葉に誰が納得できるものか。日和は紅ノ宮に戻りたいなあと本気で考えてしまっていた。
紅ノ宮の侍女達の舞踊が始まる。一年経って見るとまた一段と成長しているような気がする。一緒に踊れないのか…と残念に思っていた。
「日和〜!」
演目の間の準備時間中に声を掛けられる。見れば緑を基調とした衣服に身を包んだ愛華だった。
「愛華!久しぶり」
「久しぶり〜!」
抱きついてくる愛華を引き剥がす。薄化粧をしており、普段の愛華とは雰囲気が違っていた。化粧していない顔に慣れていると、少し違和感を感じる。
「もうすぐで葉ノ宮の演目だよね。愛華は出ないの?」
「うーん、本当は経験だからって出る予定だったんだけど、なかなかお琴が上手くならなくって。今回は見送ろうかってなったの〜」
侍女は演目の練習も仕事の一つである。初心者であれば、苦労するだろう。舞踊であれ琴であれ、初めは一人でひと通りこなすだけでも大変だ。
それを他の侍女達と合わせ、人前で披露できるほどの演目に仕上げなければならない。
「なかなか慣れないよね。手も怪我しているし」
日和は愛華の手を取る。全ての指に晒が巻かれている。恐らく膏薬を塗っているのだろう。
日和と愛華が御苑で侍女になってからまだ3、4ヶ月ほどしか経っていない。この指を見ればその期間、どれだけ頑張っていたかがよくわかる。
「痛くて水に浸みるの。けどね、次こそは来年の遊華演会…は難しくてもお茶会では披露できるように頑張ろうと思うんだ」
「そっか。愛華なら大丈夫だよ。応援してる」
「ありがと〜!」
愛華が笑顔を返してくれた。




