第十九舞 約束はずっと
静まり返る場で死神は鼻で笑う。
「我を倒す、だと?はっ、笑わせてくれる。お前みたいな軟弱者に何ができる」
燈威が死神に飛びかかる。紫苑と雪葵も加勢しようとするが、蛇神が止める。
「燈威にやらせてやってくれ」
その一言で全てが伝わる。紫苑と雪葵は大人しく踏みとどまった。
「燈威なら大丈夫だよね!」
「どうしてそう言い切れるの?」
燈威の代わりに威張っている雪葵に日和が聞く。雪葵は迷いなく笑った。
「軟弱者ほど、本気になったら強いんだよ。特に大切な誰かを守りたいと思った時は。僕もそうだから」
日和は心配そうに燈威を見つめる。雪葵の言葉を信じたい。
死神から黒い影の腕が無数に伸び、燈威に襲いかかる。燈威は羽根を羽ばたかせ、避けている。しかし腕の一つに脚を掴まれ、地面に叩きつけられた。大きな砂埃の中から燈威が槍のように飛んでくる。死神は首を傾げてそれを避けると、燈威に手を突き出す。そこから黒い球が複数生まれ、燈威に向かって飛んでいく。槍で防ごうとするが、全ては防ぎ切れず、腕や脚を掠する。球が消えると燈威が片膝をつく。
「燈威!」
日和が思わず駆け寄ろうとするが、それを蛇神が止める。
「蛇神様!このままでは燈威が…」
「儂は燈威を信じておる」
意志の強さに日和は何も言い返せない。紫苑が日和の肩に手を置く。そして無言で頷く。日和は頷き返すしかできなかった。
「やはりこの程度か」
「くっ」
「烏天狗など、元から八咫烏の劣化物にすぎん。そもそもお前は中途な妖であるからして、その力使いこなせるはずがなかろう」
「八咫烏の劣化物?中途な妖?」
日和と雪葵が呆然とする。
「…聞いたことがある。烏天狗の元は八咫烏だと。八咫烏から派生して烏天狗が生まれたのだと」
「ほぅ、物知りな人間もいるのだな。ではこの者が人間として生きたまま死なずに妖になったことは?」
「……死なずに妖に?ど、どういうこと」
頭が混乱する。紫苑も顔を顰める。燈威は苦い顔をする。何故こいつがそれを知っているのか。そして燈威の記憶が呼び覚まされる。
家を捨てた燈威は蛇神の元で毎日を過ごしていた。蛇神は家に帰れとは強く言えなかった。ある真夜中、瞳に光を失った燈威が森の道に倒れていたのだ。まるでそれは生きた屍。蛇神が助けると翌日は何事もないように元気になっていた。
夜に見たあの姿は夢だったのか、気の所為だったのか。しかしその光景は背筋が凍るほどの恐ろしさを持ち合わせていた。
「お前さん……良いのか。ずっとここにいて」
「うん。蛇神様にとって邪魔じゃなかったら俺は全然。むしろここの方が落ち着くんだ」
そう言う燈威は晴れ晴れとした顔だった。けれどその中に悲しみの色を感じるが一瞬にして消えてしまう。
「儂は構わんが」
「ほんと?良かった。あーあ、蛇神様とずっと一緒にいられたらなあ」
「ほほ、それは無理じゃな。人間の命は儚い。あっという間に命の灯火は消えてしまう」
「蛇神様は妖になって何年なの?」
「何年かのぅ。もう数えるのやめてしもうたわ」
人間だった時の記憶はもうほとんどない。ただの蛇の妖だったはずが、気付けば森の鎮守になっていた。それがいつのことだったか。
「…俺も妖になりた…」
「莫迦なことは言ってはならん」
蛇神が燈威を睨む。燈威は恐怖で一歩後ずさる。
「前にも言ったはずだ。妖は生きたくても生きられなかった人間達だと。彼らを侮辱することになるぞ」
「…わ、分かってる。けど、蛇神様と一緒にいたい。それに蛇神様はもうおじいちゃんなんでしょ。ずっとそばで支えたいの」
優しい心の持ち主だ。だからこそ、厳しくしなければならない。
「ならん。人間の子供に心配されるほど儂は落ちこぼれておらん。お前は人間らしく生きろ」
「……もう生きるのは疲れたよ」
蛇神ははっとして燈威を見る。燈威の顔は困ったように微笑む。それは実年齢より遥か上に見えた。
「俺は自分の親の顔も知らない。他人の親を奪っていた。俺に生きる価値なんかないよ」
「……いい加減にせんか」
蛇神の尾が燈威を締め付ける。燈威は「ぐっ!」と苦しそうに唸る。
「生きている者が価値がない等と言うな。先程言っただろう、それは妖への侮辱であると。生きているだけで有難く思え」
燈威の瞳から涙が溢れ出す。そして苦しみながらも蛇神の尾を弱くも力の限り掴む。
「それじゃあ!苦しみながら生きる理由って何!生きてたって生きてるって感じられない!それでも生きなきゃいけないのって何!」
その必死なる姿は、心からの苦痛の叫びは蛇神をも狼狽えさせた。
「自ら死を選ぶことを良しとしない世の中かもしれないけど、自分が何を選択するかなんて自分の自由じゃんか!他人に決められたくなんかない!それに他の妖のことなんて俺の知ったことじゃない!」
蛇神が燈威を離す。燈威は激しく咳き込む。蛇神は呆然とする。自分が間違ったことを言っているつもりはない。だが、燈威の言葉が胸に刺さる。もしかしたら自分の価値観を、正義を押し付けていたのかもしれない。
「………その言葉は必ず誰かを傷つける。その覚悟はできておるのか?」
燈威は涙を拭う。けれど涙は止まらない。けれど彼は微笑んでいた。
「正直、怖いよ。俺、打たれ弱いもん。けど、もう人間は良いかな。それに蛇神様と一緒にいれるなら何でも乗り越えられる気がする」
「…ほほ、大袈裟な奴め。良かろう、目を閉じよ」
燈威は目を閉じる。蛇神はお互いの額を合わせる。
「そう言えば、名前聞いておらんかったな」
「燈威だよ。蛇神様は?」
「蛇神様じゃよ。…燈威。これから我と共にこの森を護ってくれるか?」
「うん。約束する」
その瞬間、2人から放たれた光が森全体を包んだ。
顔を顰めたままの紫苑と日和。燈威は記憶を大切に胸にしまうと死神を見据える。
「確かに俺は自ら妖になった。他の妖にとっては俺は認められない侮辱されるべき存在。けど、妖は楽しいこともある。一緒にいたい人と一緒にいれる。何より」
燈威は槍を死神に向かって突きつける。
「お前を倒し、大切な人達を守れる力がある!」
燈威が死神に飛びかかる。死神も燈威に黒い球を撃つ。激しい攻防が再び始まる。けれど少し燈威が押しているように見える。死神が顔を歪め燈威の攻撃をかわすと、真っ直ぐ日和達に向かって飛んできた。そして真っ黒な大きな球を作り出す。
「っ!」
咄嗟のことで反応ができない。紫苑が蛇神と日和を庇うように前に出るが攻撃を受け止める体勢は整っていなかった。このままでは紫苑は重傷。後ろにいる日和達も無事かどうか……。
「お前の相手は俺だ!卑怯者!」
叫び声が聞こえた瞬間、日和の胸元の鈴が音を鳴らして揺れる。
『あら、山神様と仲が良い妖がいるなんて初めてですね』
『こやつはちょいと特殊でな。ほら、挨拶せんな。彼女が妖姫様じゃ』
『…………よ、よろしく…』
『えぇ、よろしくね』
琴葉と燈威と蛇神の記憶。
『燈威は本当に山神様が大好きなのね』
『うん!すっごく優しいもん。だから俺、絶対に蛇神様護るんだ』
『とても頼もしいわ。それじゃあ妖姫のことも護ってくれないかしら?』
『琴葉を?どうして?』
『私じゃなくて将来妖姫が現れた時、力になってあげてほしいの。その護りたい思いはとても大切で時に人を強くする。 燈威の優しさ、蛇神様だけにではなくて、他の人達を護ることにも使って欲しい。だからまずは妖姫から』
『……無理だよ。俺、護りたいって言っておきながらそんなに強くないし、そもそも初対面の人と仲良くなれる気がしない…』
『なれるよ。蛇神様や私と仲良くなれたじゃない。それに燈威の優しさをみんな知ってくれる。きっと大丈夫』
世界が戻る。その瞬間、黒い球を生んだ手に真上から槍が刺さる。死神が鈍い呻き声を上げたと同時に燈威が槍を振り投げ死神が宙に吹っ飛ばされる。間髪入れずに燈威の蹴りが入る。その姿を見ながら日和は少し微笑む。
(燈威は優しい。強い。私は、いやここにいる人達はみんな知ってるよ)
「おい、妖狐。俺を背中に乗せろ」
紫苑が雪葵に指図する。雪葵は後ずさる。
「油断してるところを祓う気だな!」
「この状況でそんなことするか!いいから乗せろ!」
「うう〜〜、この借りは大きいからなあ!」
「背中に乗るだけなのに!?」
二人でグチグチ言いながら、燈威と死神の元へ駆けて行く。日和は蛇神に寄り添い、見守る。
「……ほっほっ、案外相性が良さそうじゃのぅ、あの二人」
「そうですかね。私には最悪に見えますが」
「ああいうのは、最初はお互いが嫌かもしれんが、気付けば相手の隙を自分が補えるようになっていく。本人達も気付かずうちにな」
「はぁ」
蛇神の言葉はこの時の日和にはまだよく分からなかった。
死神はかなりの体力を削られていた。足取りが不安定だ。ただ燈威も限界が近い。立っているのがやっとだ。
「一気に畳み掛けるぞ、妖狐、烏天狗」
「言われなくても」
雪葵が木の枝に乗る。燈威は震える手で力一杯槍を死神に投げつける。
「妖姫様。奴らが死神を祓おうとする時、一緒に唱えよ」
「え?は、はい」
日和が戸惑いながら札を構えた。
雪葵は炎を吹き、紫苑は札を投げる。札が槍に張り付き、炎は槍を包む。死神はそれを払う。しかし目の前には紫苑と雪葵が迫っていた。
「慈光刻詞唱!」
「月光照天輪!!」
紫苑の札が雪葵の炎の力で大きな炎となり死神を包む。そして日和の投げた札も青い炎を纏って更に炎を大きくさせる。
「ぐああああああ!!」
炎に包まれ苦痛の叫び声を上げる死神。それでもまだ抗おうとしている。紫苑達が狼狽えた瞬間、
グサッ。
燈威が槍で死神を貫いた。死神は倒れる。燈威の瞳に色はない。
「無の力…」
「?無の力?」
蛇神の呟きに日和が聞き返す。
「先程、雪葵が言ったこと覚えておるか?」
「?」
「軟弱者ほど、本気になったら強い。特に大切な誰かを守りたいと思った時は。それは燈威の場合、“無”となる。昔からそうじゃった。限界を超えた瞬間、無となり何にも動じなくなる。それが燈威の力。だが、自我を忘れているのと同じじゃ」
それはつまり暴走を意味している。蛇神は寂しそうな顔をする。
「恐怖を超えたのならまだ何とかなる。しかし今回のように怒りで無となる状況が続けばお前さん達に彼を止められるかどうか…」
「……止めてみせますよ」
日和は蛇神に向かって微笑む。
「止め方とか全然分かりません。けれど、必ず止めます。約束します。蛇神様との約束、守ります」
「……ありがとのぅ」
蛇神も弱々しく微笑んだ。
地面に倒れた死神は、残りの力で顔を上げる。その視線の先は雪葵だった。
「今のお前には鬼を倒すことは、できない」
「え?」
「記憶が力を、抑えている。記憶を、取り戻さん限り、お前に未来など、ない」
「え、それって」
「……お前達には、いつか必ず、天罰が…下るだろう……。精々、足掻くが良い…」
「待って!」
雪葵の言葉を聞かず、死神は消えゆく中呪うかのように呟いた。死神が完全に消えると、蛇神が元の大蛇の姿に戻る。それに燈威がはっとして蛇神を見る。その瞳には色が戻っていた。
「蛇神様ぁ!」
次の瞬間には、ぽろぽろと涙を流して突進してきた。
「蛇神様。まだ、まだ一緒にいられるよね?沢山お話できるよね?」
必死に訴えてくる燈威の頭を蛇神が優しく撫でる。
「…うぐ。すまんのぅ、そろそろ限界じゃ」
「…や、やだ。やだやだやだ。いかないでよぉ」
「お前さんはもう、一人じゃ、ないじゃろ?数多の仲間が、いるじゃろ?なら大丈夫じゃ」
「やだ!その中に蛇神様もいなきゃやだ!」
燈威が駄々をこねる。けれど誰もそれを止めない。日和と紫苑、雪葵は静かに見守る。
「儂はずっとここにおるぞ」
蛇神はそう言って頭で燈威の胸を叩く。燈威が蛇神の頭を優しく抱き締める。
「ずっとお前さんと一緒じゃ」
「………うん」
「これからも一緒にこの鎮守の森を護ってくれるかの?」
「………護る!ずっと護る!いつまでもずっと!」
「ほぅ。嬉しいのぅ」
蛇神が目を閉じる。そして静かに光となって空へと消えていく。雪葵が日和の胸に飛び込む。日和は雪葵を優しく抱きとめ頭を撫でた。
満天の星空の下、蛇神も星となる。けれどその心は今も燈威の胸の中に。燈威は空へ見送った後、暫く地面に額をつけて、大声で泣き叫んでいた。




