第十四舞 平穏な日々
屋敷に戻ると紫苑が飛んできた。妖と対峙していたことに気づいていたのだろう。紫苑は日和を一周見ると安堵した溜息をついた。
「怪我はしていないようだな」
楓霞のおかげで気づかずに済んだ。心の中で感謝を述べる。
執務室で菊ノ宮邸での出来事を報告する。楓霞の名前を出すと顔を顰めていたが、無視して報告を続けた。
「以上です。菊ノ宮様や侍女達に被害は及んでおりませんのでご安心ください」
「そうか」
紫苑は黙り込む。静かに主人が口を開くのを待つ。
「…お前は、初めて菊ノ宮の屋敷に足を運んだ際、妖の気配には気づいたか?」
「え?そうですね、上級だとは思っていませんでしたが、妖がいることには気づいていました」
ここまで返事をしてふと頭に疑問が浮かぶ。
「紫苑様こそお気づきだったのではないですか?」
「あぁ。昨年、菊ノ宮を訪ねた際に気づいていた」
淡々と答える紫苑に腹が立つ。菊ノ宮はずっと苦しんでいたのに。
「知っていて野放しにしていたんですね」
日和の言い方にあまりに棘があったのだろう。紫苑はムッとして日和を睨む。
「対策を講じた上、十分な準備を行っていたんだ。妖との戦闘で騒ぎが起きなかったのは結界を張っていたからなんだぞ」
言われてみれば菊ノ宮が騒がしかった、などという噂は聞いていない。部屋の中はかなり酷く壊れている状況であるにも関わらず。結界と聞けば納得する。
「それでは紫苑様ご自身で祓ったら良かったのではないですか?」
「残念ながら俺は室内での戦闘には向いていなくてな。最悪、屋敷を全壊させるだろうし、結界も持たなかっただろう」
(乱暴すぎるだろ)
いくら室内での戦闘が苦手だからといって全壊させるなど一体どんな戦い方なのだろうか。
「だからお前や白狐が祓えるよう準備を整えていたんだ」
投げられたような気もするが紫苑のおかげだったのは間違いない。しかし日和は首を傾げる。
「昨年から、ということは私が解雇された辺りですよね?その頃から既に私達が御苑に戻ってくることを想定していたのですか?」
紫苑の動きがピタリと止まる。何故か気まずそうに目を泳がせている。変な人だ。更に問いただそうと口を開いたが紫苑が激しく首を横に振る為、声は出なかった。
「お前らがいないと俺だけでは手に負えなくなると判断していたからな!戻ってくることを想定して対策を練るのは当然だろう」
言い訳をするかのように必死に口を動かしている。ただただ怪訝に思うだけなのだが放っておくのが楽である。日和はさっさと執務室を出ることにした。
その翌日。菊ノ宮が目を覚ましたと連絡を受け、日和と雪葵は菊ノ宮邸に向かった。紫苑は生憎仕事だ。屋敷に着くと、侍女頭が出迎えてくれた。
菊ノ宮の寝室に案内されている最中、侍女達がこそこそとついてきているのを横目に見る。角を曲がると菊ノ宮が寝室前の縁側に腰かけているのが見えた。侍女頭が急いで主人に駆け寄り腰を下ろすと声を上げる。
「樹様!まだ横になっていた方が良いと申し上げたではありませんか!」
「もう体調は大分良くなったのだ。少しくらい良いだろう。おや、そちらは」
少し離れた所で腰を下ろしていると菊ノ宮と目が合い、一礼する。
侍女達は下げられ、日和と雪葵だけ残される。
「藤ノ宮の侍女よ。名を聞いていなかったな」
「日和と申します」
「日和か。良かったら横にどうだ?」
「…失礼致します」
菊ノ宮の横にそっと腰を下ろす。雪葵は日和の横でひっくり返り、日向ぼっこを始めた。
「顔色がとても良くなりましたね。安心しました」
「あぁ。日和には世話になったな。私が外で倒れた時、ここまで連れてきてくれたのだろう?」
「いえ。それほど大層なことはしておりません」
「そうか?私にとっては大層なことだ」
暖かい微笑みを日和に向ける。
「そうだ。日和。ここの部屋の一番上の引き出しにしまっている木箱を持って来てくれないか?」
日和は立ち上がると引き出しを確認する。そこには細長い木箱がしまわれていた。それを菊ノ宮に渡すと蓋を開ける。中には横笛が丁寧に入っていた。
「菊ノ宮様」
「樹で良いぞ」
「……樹様。体調はよろしいのですか?」
「あぁ。笛を吹くくらいなら大丈夫だ。安心してくれ」
笛を口に当てると綺麗な音色が奏でられる。綺麗なのに何故か少し切なく聞こえる。その音楽は遠くへと響いていく。
菊ノ宮の侍女達が集まり、菊ノ宮の外では通行人が足を止めていることだろう。日和は目を閉じて音楽に体を任せるような感覚になった。そのままふらりと立ち上がり、くるくる回り出す。侍女達がうっとりとしていた。雪葵はちらりと日和や樹を見ると、嬉しそうに笑ってまた静かに目を閉じた。
その日の夜。日和は藤ノ宮の執務室にいた。樹の報告にきていたのだ。紫苑はぼさぼさの髪で目の下にくまをつくっている。
「酷いお顔ですね」
「うるさい、放っておけ。それよりご苦労だったな」
「樹様はとてもお元気になっていました。この調子でしたら全快することでしょう」
「そうか。なら良かった」
きっと他の貴族も安心していることだろう。日和も安心してひと息つく。すると視線に気が付いた。じと目で紫苑を見る。
「なんの御用でしょう」
「いや、疲れているようだからな。よくやったから褒めてやろうと…」
「遠慮します。餓鬼ではないので」
「この俺が褒めてやろうって言っているんだぞ」
「褒められることはしておりません」
ぷいっとそっぽを向いていると頭を撫でられた。紫苑を睨もうとしたが、その手があまりに優しくて暖かく、体の力が抜ける。そしてそのまま紫苑に体を預け寝てしまったことに気付いたのが翌日の朝であった。
相当疲れていたんだと思うと同時に紫苑に全体重をあずけてしまったことで申し訳なさと恥ずかしさで紫苑に平謝りした。その後、菫澪にこっぴどく怒られ、一日中ずっと仕事を負わされることとなった。




