第十三舞 慕い、信じ、安らぐ
静かな睨み合いが続く。日和の意識は段々と戻ってきたものの、体中の痛みに耐えることで精一杯だ。
動き出したのは遥希。蜘蛛蜂の周りを走り出し、意識を錯乱させる。蜘蛛蜂は無作為に糸を吐く。その一つが遥希に絡まり付き、地面に叩きつけられた。しかし雪葵が遥希に向かって火を吹き、糸を燃やす。遥希は大慌てで体にまとわりついた糸を払い、炎も消す。
「おまっ、容赦なしかよ!」
「大丈夫だよー。もう僕落ち着いてるからー」
「そうじゃねぇよ!糸じゃなくて俺狙っただろ!」
「えぇー、そんなことないよぉ」
言い合っている間にも毒が吐き出される。それを避けては蜘蛛蜂の間合いに入り、遥希が刀を振るう。そして蜘蛛の脚を一つ切り落とす。
「ぎゃああああ!!」
蜘蛛蜂が絶叫を上げ、体制を崩した。その機会を逃さず、瑞葉は水の短剣を二つ投げる。体に突き刺さると体内の毒が吹き出してきた。遥希達は急いでその場を離れる。
「や"め"ろ"ぉぉぉ‼︎」
蜘蛛蜂が叫び続けながら大量の糸を吐き出し自身を包み込んだ。まるで繭のようだ。
「何してるんだ、あいつ」
雪葵が首を傾げる。繭は徐々に紫色へと染まり始めた。その色は濃く、蜘蛛蜂の体と同じだ。
繭が猛毒色に染まりきると突如表面が千切れ、繭の欠片がこちらに向かって飛んできた。
「うわっ‼︎」
雪葵達は慌てて避けたり、刀で防ぐ。刀に当たると甲高い音が聞こえてきた。糸というよりまるで針金だ。
「想像以上に厄介だね」
瑞葉が静かに蜘蛛蜂を睨みつける。その間も蜘蛛蜂は糸を吐き出し繭を形成し続けている。
「これじゃ近づけねぇじゃねぇか!」
苛立ちを露わにして遥希は吐き捨てるように言う。針金には銃も刀も通らない。
「どんなに固くても糸なんだから僕に任せてよ!」
雪葵が前に出て勢いよく炎を吹き出す。しかし火に焼かれても糸は切れるどころか焦げた跡も見当たらない。
「えぇ!」
雪葵が驚き狼狽える。このままでは部屋中が毒にまみれてしまい、菊ノ宮だけでなく、侍女達にまで影響が出るかもしれない。
「おい、雪葵はともかくお前も八妖樹なんだろ?あいつより強いんじゃねぇのか」
遂に遥希が八つ当たりを始めた。巻き込まれた瑞葉は平然と笑っている。
「確かに実力では上級妖より俺らの方が上だけど、相性ってものがあるからね。俺ならこの毒をこの部屋から全て流すことは可能だけど、御苑内に広げることになる。それじゃあ意味がないでしょ?」
正論に遥希が黙らせられる。不貞腐れていると瑞葉が前に出る。水で創り上げた短剣を両手に構えると、強気な顔で笑う。
「けどまあ相性は良くないけど、それをどうにかするのが面白いだろう?」
床を蹴り上げ繭に向かって飛び上がる。繭から飛んでくる針金の糸を短剣で弾き飛ばしつつ接近する。そして短剣の姿を変えた大剣を握り直して繭に突き刺した。全く刃が入っていないが瑞葉は全体重を大剣にかけると徐々に亀裂が入っていく。
「九尾!高温!」
瑞葉の言葉に即座に雪葵は反応し、目を閉じる。体の中に炎があり、その炎が今までにないくらい煮えたぎっている想像をする。炎を口腔内に集め、深く息を吸う。蜘蛛蜂に狙いを定めると炎を吹き出した。
「ぎゃあ“あ”あ“あ”あ“‼︎‼︎」
高温の炎は針金のような糸をも燃やし始めた。炎は繭の中に隠れていた蜘蛛蜂の体にも燃え移る。尋常ではない熱さにのたうちまわる。
その隙をついて瑞葉の水の綱によって締めあげる。
雪葵が蜘蛛蜂に接近すると噛みつき、蜘蛛蜂は悲鳴を上げながらモヤとなって消えていった。
「日和、大丈夫ですか?」
事態が収まると日和の後ろの襖が開き、楓霞が顔を出す。そしてぐったりしている日和を見つけると手をかざした。暖かい光が日和を包み込み、身体が楽になる。
「…ありがとう、ございます」
「完全には治せていないから安静にするように。怪我が酷いと、あの子が怒るから応急処置ですよ」
見目麗しい人の剣幕を思い浮かべ、楓霞は困ったように微笑む。日和はよくわからず首を傾げた。
「日和ー!」
雪葵が一目散に駆けてくる。日和の胸に飛び込むと頭を撫でられて嬉しそうに、そして心配そうにする。
「怪我は?」
「楓霞さんのお陰で大分楽だよ。心配してくれてありがとね」
「良かったあ」
「遥希も瑞葉もありがとう」
楓霞に声をかけられ、遥希と雪葵は怪我を治しにいく。けれど瑞葉は日和の前にしゃがみ込んだ。
「少し診せてください。俺も医学に携わっていますから」
「そうなんだ。人間の頃から?」
「そうです。なので、妖より人間の治療の方が得意なんです」
そう言って瑞葉は微笑むと日和の手を取る。楓霞さんのように力で治すわけではない。人間と同じように目で見て、手で触って確認し、最適な治療を施していく。
「楓霞さんの力で完治するわけじゃないんだね」
「はい、あの力は妖には完治する効果があるんですが、人間には応急処置程度にしかなりません。その後の治療が大切になってくるんですよ」
手を動かしたまま、瑞葉がちらりと何度か日和の顔色を窺っているように見える。
「?どうしたの?」
「…妖姫様が気に病むことはありませんよ」
日和がハッとする。不安げな気持ちが顔に出ていたようだ。全く役に立てなかった上に足を引っ張ってしまった悔しさ。自分の無力さを恨む。
「…けれど、琴葉さんはとても強い方だったって聞いてる。私は足元にも及ばない。そもそも彼女に手が届くかどうか…」
「比べて満足しますか?」
棘のある言葉に日和は瑞葉を睨みつける。けれど直ぐにハッとして俯く。
「……ごめん」
「比べて満足するのであればいくらでも比べれば良いのです。人間はあらゆることを他人と比べる。そして己の無力さを痛感し、絶望する」
ゆっくり顔を上げると瑞葉の顔に微かな悔しさが滲んでいる。しかし瑞葉は優しい笑みを浮かべる。
「けれど比べても仕方ないんです。満足なんてできません。自分自身をどん底に落としてもまだ落とし切れなくて心をズタズタに切り裂いてしまう。人間とはそういう愚かな生き物です」
その言葉はまるで瑞葉自身に向けているかのよう。
「それなら比べない方が楽じゃないですか。自分が誰かより劣っていて当たり前なんです。それを気にするよりかは自分にできることを考える方がよっぽど有意義ですよ」
彼の言葉には何故だか妙に納得出来ることがあって。けれど彼は困ったように微笑む。
「まあ、そう人から言われると嫌になりますよね」
「え?」
「妖姫様もきっと迷って考えて進んできたんだと思います。なのに他人にあーだこーだと言われるのは正直腹立たしくなるものです。だからこれ以上は何も言いません」
瑞葉はそう言って立ち上がる。そして日和に手を差し伸べ、立ち上がらせてくれる。
「もう既にあーだこーだ言ってしまった気もしますが。きっと自分で感じる時が来ます。そうしたら吹っ切れてしまうんじゃないでしょうか。かつての俺のように」
「…瑞葉も誰かと比べていた?自分を傷つけた?」
「……えぇ、とても。それは妖になってもありました。けれどある時、吹っ切れたんです。琴葉のお陰で。だから今度は貴方に伝えたい」
日和はギュッと瑞葉の手を握る。そして薄ら笑みを浮かべた。
「私のことは日和って呼んで。あと敬語もなしで。もっと仲良くなりたいから」
「…分かった」
「ありがとう、瑞葉。まだ心の整理はできてないけど、少し考え方が変わる気がするよ」
瑞葉が日和の頭をポンポンと撫で、隣の部屋に入っていく。日和もそれに続いた。
「楓霞さん、菊ノ宮様の容態は如何ですか」
「解毒剤を投与したから安静にしていればその内回復すると思いますよ」
「良かったぁぁぁ」
遥希が心底安心したように肩を下ろす。やっと落ち着いた遥希に日和が問いかける。
「ねぇ、遥希はどうして菊ノ宮様の従者を?」
「ん?あぁ。俺、樹様に拾ってもらったんだ。その恩返し…のつもり」
“拾って”。菊ノ宮の侍女達の多くは拾われてきた。遥希もそうだった。
「十年前。どうしようもない生き方をしていた俺を樹様は拾ってくださり、武官になることを勧めてくれた。だからその恩を返したいと思って従者になることを出願したんだ」
遥希の真っ直ぐな瞳に日和は息を呑んだ。自分はどうだろうか。日和が危険な時、必ず紫苑は助けに来てくれた。そして御苑を解雇された日和を御苑に連れ戻そうとしてくれた。いや解雇した本人ではあるのだが。本当に御苑に戻れたこと、感謝している。けれどその恩を返そうとしたことがあっただろうか。
我儘な主に呆れ、自分も我儘を言った。日和は大きくため息をつく。
「……甘えてたんだな」
「ん、何?」
「いや、なんでもない。その遥希の思い素敵だと思うよ」
優しく微笑みかけると遥希は目を泳がせた。日和が首を傾げる。
「な、なんだよ急に。別に褒められるようなことじゃねぇし!それより樹様、安静にしなきゃいけねぇんだろ。だったら全員さっさと出てけ」
『え』
遥希が日和や楓霞など全員を部屋の外に押し出す。
「……ありがとうございました!!」
俯いたまま大声でそう言うと勢いよく襖を閉めてしまった。日和達は顔を見合わせて笑いあった。




