第十舞 "蜜"と"毒"
妖の凶暴化の原因は何者かによる術らしい。何者かは不明であり、凶暴化させる理由も明確ではない。妖祓師を困惑させる為なのか、この世を乱す為なのか。なんにせよ、このまま放っておくわけにはいかない。
「私は何者の仕業なのかを探ります。紫苑達は引き続き妖を鎮めることに全力を注いでください」
「鎮める余裕がありますか。祓わなければ俺達が殺られてしまいます。まだ貴方は妖を鎮められるという甘い考えをお持ちなのですね」
「全てとは言いません。けれど妖と私達は分かり合えるはずです。紫苑も分かっているでしょう?」
「もう忘れました。私は妖は祓うべき存在だという考えを変えるつもりはありません」
紫苑の火花散りそうな瞳に動じない楓霞。少しずつ険悪になっていく雰囲気に日和と雪葵は思わず秋人を見る。秋人は深く溜息をつくと立ち上がり二人の間に割り入る。
「埒があきません。各々できることをやることが最適ではないでしょうか」
「ふふっ、そうだね。それではよろしくお願いしますね」
「勝手に…」
「ではそろそろお暇しましょうか」
「外までお送りします」
「おい!二人で勝手に話を進めるな!」
可哀想な人である。日和は白けた目で紫苑を見た。
「僕も一緒に行くー!」
秋人に続き雪葵も部屋を出て行く。日和も後を追おうとしたが、体がまだ本調子ではない。紫苑に止められ、その場に留まることにした。
玄関に着いた時、雪葵が人間の姿になって楓霞に近付く。
「あら、可愛い人間になれるんですね」
「あ、あのさ。…僕、記憶がないんだ。人間だった頃のことも日和に出会う前までのことも何も。どうしたら良いかな」
雪葵の悩みに楓霞は初めて笑みが消える。
「他の八妖樹は?昔一緒にいたのでしょう?何も教えてくれないのですか?」
「?…うん、何も」
楓霞が顎に手を当てて考え込む。
「何故誰も昔のこと教えてくれないのでしょうか?普通なら知っていることを教えてくれるはずでしょう?」
「…あ…」
雪葵は言われて初めて気付く。雪葵が人間の頃のことは知らなくても九尾の狐の時は共に行動していたこともあるはず。それなら多少何か知っているのではないか。けれど何故誰も何も教えてくれない?
「……なんでなんだろう…」
雪葵の心がもやもやとする。その時、柚寧の冷たい視線が浮かんでくる。
「自分の罪も忘れるなんて、お気楽だね」
その言葉が今でも胸に刺さる。
「……思い出さなきゃ、自分の罪を。僕は何をしてしまったのか」
雪葵の独り言に楓霞は微笑んで頷いた。
その頃、日和は何とも言えない状況に困っていた。楓霞達が出て行ってから紫苑の肩に体を預けたまま、無言の時間が流れる。
そろそろ一人で座れるだろうか。ちらりと紫苑を見てみるが、髪に隠れて表情は見えない。日和は声をかける。
「あのー、紫苑様」
「ん、どうした」
紫苑はこちらを見ようとしない。日和はそのまま続ける。
「もう一人で座れると思います。あの、肩をお貸しいただきありがとうございました」
そう言って紫苑の肩から頭を離す。足に重心を移動させようとしたが、うまく力が入らない。体勢が整えられないまま、倒れ込んでしまった。幸い柔らかいものの上に倒れたお陰で痛くはなかったが、それが紫苑の膝の上だったことに気付く。
「も、申し訳ございません!すぐ離れます!」
日和は慌てて体を起き上がらせようとする。しかし襟を引っ張られまた膝の上に転がってしまった。驚いて上を見上げると紫苑と目が合う。次第に紫苑の顔が引き攣り、遂にはそっぽを向いてしまった。
「紫苑様、お辛いのではありませんか?」
「それはお前の方だろう?俺は平気だから調子が戻るまでこのままでいろ」
「そういうわけにはいきません。侍女が主人様の膝をお借りするなどあってはならないことです」
「ならば一人で座れるか?無理だろう?立場どうこうよりまずは体調を優先しろ」
紫苑の言うことが間違っていないのは理解しているが、だからと言ってそのお言葉に甘えるわけにはいかない。ただでさえ、つい先程まで肩を借りていたのだ。これ以上迷惑をかけたくないし、この状況を菫澪に見られれば説教確定だ。
「お前の体調が悪くなったのは先生の影響だ」
「楓霞さん、ですか?」
「ああ。妖を引き寄せる力があると言っていただろう?」
確かに、多くの妖に囲まれていた時に言っていた。けれどもそれと体調が悪くなるとのどんな関係があるのだろう。
「俺にも詳しいことはわからないが、先生が引き寄せるのは下級妖のみ。その他の妖は近づくことができない」
「…どういうことですか?」
「先生の妖力は妖力が弱い奴には甘い“蜜“だが、妖力の強い奴には“毒“になる」
「“蜜”と“毒”…」
医学的な知識はないが、人によって善悪が変わる植物や食べ物があることは聞いたことがある。それと同じようなことが妖力にもあるというのか。
「ですが、雪葵は“毒”を受けていないようでした。彼は上級妖なのに」
「それは現在のあいつの妖力が低いからだろう。本来、八妖樹と呼ばれる程の妖力を持っていたとしても、現在が下級並であれば、現在の妖力で影響されるのではないかと思う」
「で、でしたら私はどうなるのですか。今の私の妖力も弱いです。どうして雪葵は“蜜”で私は“毒”を受けたのですか」
自身の妖力が下級妖程度であることはわかっている。雪葵とは違う状況であることに理解できない。
「それはお前が人間だからだと考えられる。言っただろう?下級妖を引き寄せ、他の妖は近づけないと。人間はそれには当てはまらない。だから先生の妖力が“毒”であったとしても関係なく近づけるんだろう。俺も秋人も先生に最初に会った頃はお前のようになっていた」
筋は通っている話だ。しかし、それでは命の危険があるではないか。
「そうなりますと、楓霞さんに近づくことは“毒”を受け続けるということになります。あまりに危険ではありませんか?」
「それは俺達も考えたが、十年以上関わっていても体に影響があるようには感じない。恐らく抗体ができているのではないかと考えている」
少し“毒”を受けただけで眩暈と息苦しさがあった。それが十年以上となれば体に何かしらの症状が現れているはずだ。最悪の場合、後遺症が残ることも考えられるだろう。
それにも関わらず何も影響がないのは不思議な話である。本当に抗体があるのだろうか。
屋敷の奥から話し声が聞こえてくる。秋人と雪葵が帰ってきたのかもしれない。この状況を見られては困る。日和は体を起こしたが、かなり体調は良くなったようだ。
「おい、もう大丈夫なのか?」
不安そうにこちらを見つめている紫苑。日和は軽く頭を下げた。
「はい。随分と良くなりました。ありがとうございました」
「日和ー。ただいまー!」
雪葵が日和に飛び込んでくる。日和は彼を優しく撫でている姿を見て、紫苑はふぅと息を吐くのだった。




