第九舞 師
朝ご飯の支度中。いつもならもう起きているはずの紫苑はまだ寝室から出てきていなかった。
「日和、悪いけど紫苑様を起こしてきてくれない?今日は朝から仕事があるの」
「構いませんが、私が寝室に行っても良いのですか?そこは菫澪さんと秋人さん以外侵入禁止と聞いていますが…」
「大丈夫。よろしくね」
菫澪は平然とした態度で手を振っているが、寝室に入って怒られるのは日和だ。それに雪葵もまだ寝ている為、怒られるなら一人で怒られるのだ。日和は嫌そうに寝室へと向かった。
「紫苑様ぁ〜、起きてくださぁい」
寝室前で声をかける。しかし、返事はない。日和は不審に思い、もう一度声をかけた。しかしやはり返事はなく、物音一つもしない。日和は嫌な予感がし、勢い良く襖を開いた。
「紫苑様!!」
襖に手をかけた状態で日和は固まる。そして目を点にする。そこにいたのは綺麗な長い髪があちらこちらに跳ね、胸元が大きくはだけた寝間着姿の眠そうな青年だった。目を擦りながら上半身だけを起き上がらせている。
「ん、菫澪、もう少しだけねかしぇてくれ……」
そう言うと、横に戻り布団にくるまる。日和はずけずけと部屋に入ると布団を引き剥がした。
「なっ、何するー………」
寝ぼけながらも布団を取り返そうと手を伸ばしていたが、日和と目が合うと動きを止め、暫く見つめ合う。かと思うと日和から布団をひったくり、頭から被った。
「なななななな、なんでお前がここにいる!!」
まるで乙女のような様子に日和はにやりと意地悪な笑みを浮かべた。
「いえ〜、菫澪さんに紫苑様を起こすよう言われましてねぇ〜」
「あ、あいつっ…」
苦々しい表情の紫苑とは裏腹に日和は面白い玩具を見つけたように頬が緩む。
「まさか、あの気高い方が寝起き悪いなどとは知りませんでした〜。あ、こちらは見てはいけないものですね、失礼しました。では良い時間を」
「待て待て待て!」
紫苑が慌てて立ち上がる。日和が走り出すと追いかけてきた。暫く追いかけっこをし、後程二人仲良く菫澪に拳骨をくらった。
紫苑が屋敷を訪れた秋人と共に仕事へと向かい、屋敷が静かになる。痛む頭を押さえながら仕事を続け、昼になった。
簡単に昼食を終え、洗い物をしていると、門の方から声が聞こえてくる。
「私、行ってきますね」
雪葵もついてきて、二人で玄関に向かう。そこには優しそうな顔をし、杖をついた青年が微笑んでいた。
菫澪に通すよう言われ、客間に案内する。日和がお茶を運ぶと菫澪と青年は何やら親しげに話していた。
「失礼します」
「すみません、気を遣わせてしまいまして」
「いえ」
「良かったら一緒に話をしませんか、妖姫様」
日和の動きが止まる。と同時に雪葵が日和を庇うように立ちはだかり威嚇した。
「ふふっ、安心してください。私は妖祓師です。貴女方に危害は加えませんよ」
「妖祓師、ですか…」
「楓霞さんは紫苑様と秋人さんの先生なの」
「先生?」
日和が畳に座ると菫澪が教えてくれる。そんな存在は聞いたこともなかった。
「大したことは教えていませんけどね。妖の祓い方を少しくらいです」
菫澪が「ごゆっくり」と言って部屋を出て行く。仕事は置いておいても良さそうだ。
「ですが、伝説とも呼ばれた妖姫様がこちらにいらっしゃるとは思いませんでした」
「日和と申します。妖姫と呼ぶのはやめていただけると幸いです」
「これは失礼しました。はっきりと仰るのですね」
「妖からはよく呼ばれますが、人間からはあまり呼び慣れていないもので。そもそも、何故私が妖姫だと分かったのですか」
楓霞はまた微笑む。
「気配が違うのですよ。妖とも八妖樹とも妖祓師とも違う、独特な気配を感じるのです。私は様々な妖や妖祓師に出会ってきましたが、貴女のような気配は初めてでした。そうなると妖姫以外の何者でもないでしょう」
そこまではっきり告げられると説得力があった。気配というものは、妖達にはわかるようだが、人間にはわからないと思っていた。この楓霞という人から異様な気配を感じるようになったのは気のせいだろうか。
「あの、楓霞さんは何故こちらに?貴族の方でも武士の方でもないように思うのですが…」
御苑内にいるということは何かの役職があるはずだが、楓霞は何にも見えない。ただの平民にしか。
「ええ、仰る通りです。私は林の奥の小さな神社跡地に住むただの平民です。こちらには天皇陛下に許可を頂いているのですよ」
「許可を?」
楓霞は表情一つ変えず話を続ける。常に微笑んでいる姿は安心する一方で少し不気味だ。
「私は天皇直々の陰陽師として雇われています。実際の所、陰陽師というよりかは妖祓師なんですけどね」
確かに妖は知らなくても邪気の存在を信じるという者はよく聞く。それから天皇陛下を守るために陰陽師を傍に置くのだろう。
「日和の横にいるのが八妖樹の九尾の狐ですね」
「雪葵だよ!」
雪葵は元気に挨拶するとゆっくり楓霞に近付く。少々警戒しているようだが、頭を優しく撫でられると嬉しそうにごろんと寝転んだ。人懐っこい奴だ。
「それにしても日和も九尾の狐も想像より妖力が違いましたね」
その言葉で日和と雪葵は気を落とす。その様子で察したのか楓霞がまた雪葵の頭を撫でる。
「貴方達が落ち込む必要ないでしょう。そこまで落ち込むのであれば現在も何か動こうとしているのでしょう?それで十分ではありませんか?」
それは嬉しい言葉だった。出会ったばかりの人にわかることはないだろうが、それでも励まそうとしてくれていることにまだ頭が重いが少し元気を取り戻す。
「ありがとうございます。まだまだですが、なんとかやってみま………ん?」
日和が顔を上げると異様な光景が広がる。楓霞の周りに多くの妖が集まっていたのだ。可愛い小動物の姿もあれば一つ目など様々な種類がいる。楓霞は困ったように笑っていた。
「すみません。私、妖を引き寄せる力があるようで。知らぬ間にこんなに集まるようになるんです。けれどお気にせず。危害を加える子はいませんから」
雪葵を驚いて飛び上がる。けれどすぐに仲良くなったようで一緒に楓霞の傍でゆったりしていた。
(この人、只者じゃない…)
日和にも分かった。妖とも妖力を持つ人間とも違う気配。妖でも人間でもないとすれば一体何者なんだ。考えれば考えるほど段々と胸が苦しくなってくる。視界がぼやけ、頭がぐらつくと同時に体が傾いた瞬間。
「何度も申し上げたはずです。いくら無意識とはいえ、屋敷内にその数の妖を連れ込まないでくださいと」
知る声が聞こえ、そして誰かに支えられた。汗ばんだ顔をゆっくり上げると秋人だった。そのまま横に寝かせてくれた。
「紫苑。どうしようもないんです、許してください」
「周りからは視えませんが視える俺達からしたら流石に気持ちが悪い」
「だからすみませんって」
冷たい紫苑と困りながらも笑う楓霞。始めて見る光景なのになんだか懐かしいような感じがした。
「秋人さん…申し訳ありません」
「気にしなくていい。私も同じようなことになったことがある。少し横になっていれば落ち着いてくる」
「…ありがとうございます」
日和の異変に気付いた雪葵がこちらに駆けて来る。心配そうに顔を覗き込む雪葵の頭を優しく撫でた。
秋人の言う通り少しすると大分落ち着き、体を起き上がらせる。すると隣にいた紫苑がもたれ掛かるよう仕草で指図される。触れても大丈夫なんだろうか、と心配になるが、本人が言うのなら大丈夫なのだろう。
それに直接触れるわけでもない。お言葉に甘えて、肩を借りて頭を置かせてもらうことにした。
「今回の用事はなんです?こちらとしては仕事が多いので手短にして頂きたいのですが」
苛立ちを隠せない、いや隠さない紫苑に楓霞は気にせず微笑んでいる。
「ここ最近の妖の凶暴化。気になっていないことはないでしょう?」
空気がぴたっと止まる。それはここにいる誰もが気にしていることであり、行き詰まっていることだ。
「どのくらい知っているのです」
紫苑が静かに聞く。秋人も日和も聞き耳を立てる。
「妖のことならある程度」
その微笑みは少し不気味に見えた。




