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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
暁ノ宮編
74/114

終舞 新たな道

 半年ぶりの有明の館は何も変化していなかった。以前より活気に満ちていることは喜べよう。


 日和は休職期間ということで館に戻ってきていた。実際は解雇になるのだが、紫苑が裏で動いてくれているおかげで、一応まだ御苑関係の雇用になっているらしい。今の精一杯の気遣いだろう。感謝している。


 結亜の元を離れ、愛華はすぐに葉ノ宮へと行ってしまった。住む場所を失った日和は紫苑からの連絡が来るまで実家に帰ってきたのだ。とは言えなんのやる気も起きず、部屋で大の字になっている。ただ同じことが頭の中をぐるぐる回っている。


(確かに侍女を殴ったのは悪かった。けど、そんな危険人物みたいに警戒されてもなあ。それか、私なんか御苑に必要ないのかも。今まで私なしで御苑は回っていていたんだし。お邪魔になってたかなあ)


 思考が悪い方向に進み、一人で落ち込む。この劇場に自分は必要ないと感じていた。けれど、御苑で舞ったあの感触。あれは忘れられない。あの瞬間、自分が認められた気がした。ここにいてもいいと言われた気がした。けれど、それは幻だったのだ。


「日和…」


 雪葵が心配そうにしている。何か声をかけようとするが、言葉が見つからない。雪葵には解雇の辛さはわからない。変に励ましてしまったら…そう思うと何も言えなかった。


 それに雪葵にも気がかりなことがある。鬼の存在。知っているはずの鬼を知らない自分。何故、自分は何も覚えていないのだろう。初代妖姫も雪葵を知っているはずだ。では何故自分は知らない。どうして記憶を無くしたのか。断片的に思い出したものの、記憶が戻ったとは言えないほど些細なものだ。きっと思い出さなければならないことがたくさんあるはずだ。思い出せないのが、もどかしくて悔しい。


「日和、いる?」


 下から兄、光の声が聞こえる。日和は起き上がると近くの階段を覗いた。


「いるよ」 


 光は階段を登り、日和に近寄る。


「そういえば、家の中静かだけどお姉ちゃん達は?」

「二人なら仕事だよ。ちょっと遠出」

「…そっか」


 遠征の仕事は名を知られている実力ある芸者しか声をかけられない。光も何度か呼ばれていたはずだ。ただただ感心する。


「何か悩んでる?」


 光が日和の顔を覗き込む。日和は顔を逸らした。


「何もないよ。ちょっと疲れただけ。色々あったから」

「大変だったもんね。けれど、それだけじゃないでしょ?」


 光は日和の頬を両手で挟むと顔を自分に向けた。


「日和はいつも隠しちゃう。まあそれは僕たちが悪いんだけど。けど日和が悩んでいるなら力になってあげたい。それとも僕じゃ頼りない?」

「そんなことない!」


 慌てて否定する。いつも頼りになる自慢のお兄ちゃんなのだ。


「…心配させたくなかったから」


 しどろもどろに言う。光は微笑んだ。


「話してごらん」


 その言葉に背中を押され、日和はぽつぽつと話し始めた。


「私はやっぱりお兄ちゃん達と同じ舞台には上がれない。お兄ちゃん達の足を引っ張ってしまうから。ここの舞台が怖い」


 日和にとって有明の館の舞台は公開処刑の場所だった。誰よりも劣っている自分がその舞台で舞って批判されないだろうか。芸者の皆の顔に泥を塗ってしまわないだろうか。それが不安だった。


「だけどね、御苑ではそんなことない。あそこでなら私は…自分らしく舞うことができる気がするの」


 自分の舞踊が喜んでもらえたあの嬉しさは忘れられない。もっと喜ばせたい、踊りたい。そういう気持ちがあった。


「日和は気づいてないかもしれないけど、日和にも才能はあるんだよ。舞踊という才能が。昔の嫌味なんて気にしなくていいんだよ。それに有明の館には才能ある芸者が多いからね。それと比べたら駄目だよ」

「才能なんか、ないよ」

「ある。だから自分の価値を下げないで」


 日和は俯く。光にそう言ってもらえるのは嬉しい。けれど自分では認められなくて素直に頷けない。


「日和が舞台を怖いと感じているのは知っている。けれど御苑で踊った時、楽しかった、嬉しかったって言ってたでしょう?それが僕はすごく嬉しかったんだ」


 光が日和の手を優しく握る。


「僕も薫も凛杏も日和が踊っている姿が好きだよ。それが舞台上じゃなくてもいい。日和がどこかで楽しく舞っている。それだけで十分なんだ」


 光の言葉が暖かくて日和の視界が揺らぐ。日和のある想いが膨らんでいく。


「日和は今後どうしたい?」

「私は…私は、御苑に戻りたい。仕事も悪くなかったし、また御苑で踊りたい」


 光が大きく頷く。


「うん。じゃあ行っておいで」

「え、でも」


 部屋の入り口を光が手のひらで指す。見れば見慣れた武官が立っていて、静かに一礼した。



 秋人を部屋の中に入れ、光が退席する。お茶を持ってこようとしたが、断られたのでそのまま腰を下ろす。


「ご足労いただいてすみません」

「いや、文を送ろうかと思ったのだが、直接話すべきだと思ったのだ。本当なら御本人がいらっしゃる予定だったのだが、仕事が忙しいもので」


 何の話なのかさっぱしだ。日和は話の続きを促す。


「どのようなご用件でしょうか」

「あぁ。天皇陛下と話がついたようで、和の娘を御苑に戻せることになった」

「本当ですか!」


 思わず大声を出してしまった。抑えようとしても口角が上がってしまう。雪葵も嬉しそうに尻尾を振っていた。しかし疑問が浮かんで首を傾げる。


「ですがどちらで働かせていただくのでしょうか。果莉弥様の元へは戻れないでしょうし、葉ノ宮様の元へは愛華が行ってますよね。他は接点ありませんし…」

「…ん?和の娘。一つ忘れていないか?」

「何をです?」


 不思議そうな顔をすると秋人が溜息をついた。


「本当にわかっていないのであれば、清々しいものだな」

「どういう意味ですかぁ」


 日和が顔を顰める。呆れ気味に秋人が言った。


「もう一つあるだろう。関わったことのある貴族が」

「……?」

「…藤ノ宮」

「……あ」


 日和は口をあんぐりと開けて固まる。申し訳なかった。本当に頭の中にあの見目麗しい貴人の顔は思い浮かんでいなかったのだった。



 翌日。日和を迎えに来た牛車が館の前に停車する。前回と同じ量の荷物を担ぎ、館を出る。雪葵と共に牛車に乗り込むと窓から顔を出し、兄妹を見る。


「また行ってくるね」

「言っでらっじゃい〜。まだがえっできでね〜」

「姉さん、泣きすぎ」


 薫は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら日和の手を両手で握る。凛杏は薫の背中をさすりながら日和に声をかける。


「いつでも戻っておいで。待っているから」

「御苑で失礼のないようにね」

「わかっているよ。ありがとう」


 牛車が動き出す。日和は身を乗り出して手を振った。兄妹が見えなくなると座り直す。


「藤ノ宮様は御苑にいらっしゃるのですか?」

「あぁ。夜には屋敷に戻られるそうだ」

「そうなんですね。それにしてもよく天皇陛下が了承してくださいましたね」

「あ、あぁ。そうだな」


 返事の歯切れが悪い。何かやましいことでもしたのだろうか。


「それにしてもあの黒妖祓師の世話になるなんてなー。なんか癪」

「ごめんね。色々と振り回しちゃって」

「日和は悪くないよ〜。ただこれから毎日のようにあいつの顔を見るとなるとなぁ」

「まあまあ、そう言わないで。秋人さんも聞いているんだし…」

「構わない。紫苑様も同じようなことを仰っていた」

「……この先、ちょっと不安だなぁ」


 日和は軽く頭を抱えた。


 気づけば御苑が見えてきていた。門をくぐり、屋敷の前で停車する。そういえば、数日間ここでお世話になったなと思い出した。


 屋敷の前では一人の女性が待ってくれていた。確か侍女頭の菫澪だったはずだ。療養中にお世話になった。


「久しぶりね。元気になった?」

「はい、おかげさまで。その節はお世話になりました」

「いえいえ。これからは同じ主人に付く侍女としてよろしく頼むね」

「はい、こちらこそよろしくお願い致します」


 屋敷の中に入り、まず自分の部屋に案内された。紅ノ宮の時と同じくらい広い部屋だ。一人では余ってしまう。


 荷物を置くと簡単に屋敷内の案内を受ける。構造が大体紅ノ宮と同じなのですんなり頭に入ってきた。


 ただ違和感はあった。菫澪以外の侍女を見かけていないのだ。療養の時も気づいていたが、怪我人と敢えて距離を取っているのだろうと思っていた。どうやら違うらしい。話を聞いてみたいが、菫澪の案内が素早く、話し始める隙を見つけられない。また後日でいいかと諦めた。


「仕事に関しては各屋敷で違うだろうから、それはやりながら説明していこうかな。移動で疲れたでしょ。夕飯にしましょ」


 紫苑はまだ帰ってこないので先に夕食を頂くことになった。菫澪は話しやすく、緊張気味だった日和は安心できた。


 就寝時間になっても主人は帰ってこない。菫澪は少し考えてから微笑む。


「挨拶は明日のほうが良さそうね。日和も疲れているだろうし、紫苑様は多分疲れすぎて挨拶どころじゃないかもしれないから」

「わかりました」


 当日に挨拶できないのは不安ではあるが、菫澪が言うのだから大丈夫なのだろう。


 自分の部屋に戻り布団を敷いて寝転ぶ。昨日からバタバタしていたのでやっと一息つけた。けれど目は冴えている。隣では雪葵がぐっすりと眠っていた。


 暫く布団にくるまっていたが、一向に眠気が来ない為、静かに布団から抜け出すと襖を開けた。外は灯りがないにも関わらずとても明るい。そのまま屋敷内を散歩することにした。


 中庭を見つけ、裸足のまま降りる。静かで虫の声が聞こえるだけ。日和はふと踊り出した。ひらひらと袖が舞う。体の思うままに舞い続けた。


 区切りが良いところで一度終える。一息吐くと後ろから微かな床の軋む音が聞こえた。振り返ると紫苑である。怪訝な顔で近づいてくる。


「こんな夜遅くに何している」

「ご覧の通り踊っております。眠れなかったもので」


 日和は一礼した。よく見ると紫苑は疲れているようだ。髪も服も乱れ、目の下には立派なクマができている。


「藤ノ宮様、お疲れのようですね」

「まあな。…藤ノ宮と呼ぶのはもうやめろ。もうここの侍女なんだから、名前で呼べ」

「そうですね。承知いたしました、紫苑様」


 紫苑は照れて視線を逸らす。呼べと言ったのはそっちだろうに、と日和は目を細めた。照れ隠しなのか、早口で言葉を続け出す。


「そ、そんな薄着だと風邪引くぞ。今晩は特に冷えるそうだからな」


 空気はひんやりとしている。真冬は部屋の中でさえ寒い。外となれば余計に冷え込む。何も考えていなかった日和は薄い寝巻き一枚で散歩していた。それに気づくと急激に寒くなってくる。


「本当ですね。そろそろ戻りま、くしゅんっ」


 踊っていても体はかなり冷えていたらしい。体を縮こまらせて震えているとふわっと羽織りがかけられた。見ると暖かそうだ。実際に暖かく体の震えが少し収まる。しかし反対に紫苑は寒そうな格好になっていた。


「紫苑様がお風邪を引いてしまわれます」

「そんな簡単に体調は崩さん。いくら徹夜しても倒れない体だ。安心しろ」

「……ありがとうございます」


 徹夜のしすぎでも倒れないのはそれはそれで心配なのだが、紫苑は何気ない顔で言うので黙っておくことにした。


 足の土を払って廊下に上る。足を綺麗にはできないので明日廊下を拭く必要がありそうだ。初日から怒られそうなことしたなあと、今更反省する。


 部屋まで紫苑と並んで歩く。沈黙した二人。虫の声が鮮明に聞こえてくる。しかし何度も視線は感じていた。最初は無視していたが、鬱陶しくなりジト目を返す。


「何か御用でしょうか?」

「え…あ、いや…その…」


おどおどする紫苑。そんな様子は今まで見たことなかったので日和は目をぱちくりさせる。紫苑はまた日和を見ると、勇気を振り絞って言った。


「…こ、これからよろしく頼む、日和」


 予想外の言葉に思わず驚く。紫苑の様子がいつもと違うが、それが正直可笑しくて思わず微笑んだ。


「こちらこそよろしくお願い致します、紫苑様」


 いつの間にか降り出した雪が月の光に反射して輝き、二人を包んでいるかのようだった。

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