第二十九舞 苦手
悩み続けてずっと暗くなっていても無駄なだけだ。気分を変えようと雪葵に声をかける。
「白狐。暁ノ宮の侍女に粥を持ってくるよう伝えてきてくれ」
「え、僕?」
「動けるだろう?」
有無を言わせない圧で雪葵は仕方なく部屋を出て行った。日和は紫苑を睨みつける。
「怪我人ですよ」
「あいつは妖だ。もう完治している。それにお前に話があってな」
「…まだ粗相してましたか」
日和が深い溜息をつく。その様子に紫苑は首を横に振る。
「違うから安心しろ」
大丈夫なようなのでふぅと息を吐いて、結亜が用意してくれていたお茶を一口啜る。
「紫苑の花言葉は調べたか?」
思わぬ話題に盛大にお茶を吹くかと思った。なんとか耐えて飲み込むが、肩が大きく上下する。危うく見目麗しい貴族の顔にお茶を吹きかける所だった。
「…何のことでしょう?」
「忘れたか?その様子だと調べているようだが」
しらを切るつもりが無理のようだ。紫苑はニコニコとこちらを見ている。
「それで?花言葉は何だった?」
あの顔は花言葉を知っているはずだ。日和は意地でも言わないと心に決める。
「分かりませんでした」
「調べただろう」
「私が読んだ書物にはありませんでした」
「あの書庫にある本はどれも専門的な本ばかりだ。大抵の花言葉なら載っているぞ」
何故そんなことを知っている。わざわざあの書庫を調べたと言うのか。そこまでして日和に花言葉を知ってもらいたかったのか。
(もう気味が悪いぞ、こいつっ)
「分厚すぎて見逃したのかもしれませんね」
「茶を濁そうとしてても無駄だぞ。絶対に言わせるからな」
いらない根性を発揮しないでほしい。しつこい男は嫌われるんだぞ。そう言ってやりたい。
そもそも何がこの男にここまでして言わせたい精神にしているのだろう。別にこちらが言わなくても知っているんだからいいではないか。言わせて面白がるつもりか。そうであるなら趣味が悪い。
ふと節度ある距離で迫ってくる紫苑に疑問が浮かぶ。日和は失礼を承知で紫苑の右手に触れる。すると紫苑は慌てて右手を引っ込めた。顔が少々青ざめている。日和は頭を下げる。
「申し訳ございません。驚かせてしまったようです」
「あ、いや、俺こそ振り払って悪い…」
居心地悪そうな顔で右手をさすっている。日和は何となんとなく察しがついた。
「もしかして女性が苦手ですか?」
「えっあ、あー…」
なんとも言えない返事は肯定だろう。確信すれば色々と腑に落ちる。今までずっと掴まれてきたのは手や腕ではなく裾だった。
「…昔のことで訳あって苦手になった。昔に比べたら平気にはなった方なのだが…」
毎日のように侍女や下女に囲まれ、黄色い声を浴びていれば嫌でも慣れてくるだろう。けれどそれがどれだけ苦痛だったか。日和には想像もつかない。
「女性に触れられないんですよね。会話はできますか?目は合わせられますか?」
「……お前は医師か?」
問診のようになってしまった。だが、医療の知識はほぼ皆無である。
「今後の接し方について参考にしようと思いまして。藤ノ宮様が不快になることはしないよう気をつけたいんです」
「…そんなに気を遣ってくれなくてもいい。距離の取り方はわかっている。躱し方も知っている」
「こちらとしても無意識に嫌な思いをさせたくないと思っているんですよ。もし話したくないことでしたらもう追及はしません」
少し強引すぎただろうか。紫苑は悩んでいる。あまりこういう話はしてこなかったのかもしれない。
「…触れられるのは怖い。距離が近いのも嫌だな。会話や目を合わせるのは問題ない」
「……それなのに私の腕を掴んでくれたんですね」
日和は改めて紫苑に感謝する。苦手を超えて助けてくれた。それには相当な勇気が必要だっただろう。
「あ、あの状況ではやむを得なかっただろう。…体が勝手に動いていたしな」
「ありがとうございます」
日和は何故か可笑しくなって笑ってしまった。紫苑は気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「失礼しま…。あらら、随分と仲が良いのですね」
部屋に入ってきた初めて見る女性が微笑ましそうに笑う。紫色の着物。藤ノ宮の侍女だ。紫苑が慌てる。
「そ、そんなわけないだろう!」
「そうです。私はただの庶民です。貴族の方と仲良くなどなれませんよ」
「あらー、分をわきまえていると言うべきか、なんというべきか」
日和の言葉に衝撃を受けている紫苑の顔を見て、また侍女は笑っているのだった。
雪葵が持ってきてくれた粥を頂き、その後紫苑と秋人、沙良に集まってもらった。雪葵も同席している。
何故か落ち込んでいる紫苑が話を切り出す。
「それで、私達を呼んで何の用だ?」
「例の反帝軍のことです」
全員の顔が深刻になる。日和は続けた。
「藤ノ宮様、秋人さんは実感している思いますが、彼らの武力は相当なものです」
「ああ」
「普段から鍛錬を怠っていない証拠になるのではないでしょうか。何回か武器を持っただけのような人物ではないのは確かです」
「…回りくどい。何が言いたい」
紫苑ならとっくにわかっているだろうに。日和は冷静に告げる。
「彼らがどこかの武官、または武士ではないか、ということです」
沙良が驚きの表情を浮かべる。紫苑と秋人はやはり検討がついているようで表情は変わらなかった。
「そ、そうだった場合、誰か貴族の方が結亜様を狙ったということなの?」
沙良が震えている。日和は頷くしかない。
「おそらくは。ただ貴族であった場合、御苑外に居住しているかと思われます」
「見知らぬ牛車に見知らぬ男か」
「はい」
紫苑の言葉に頷く。御苑内の貴族であれば、貴族の紋章の牛車を使用するはずだ。紋章を隠したとしても牛にも番号が振られており、御苑の牛であるとわかる。
また、秋人であれば武官の顔は概ね把握しているだろう。どちらにも当てはまらないということは、御苑外である可能性が高い。
「御苑外にも高貴な方は多くいらっしゃいます。そして、天皇陛下に不満を抱く者も」
「あぁ、わかっている」
重苦しい空気が漂う。呟くように口を開いたのは沙良だった。
「…結亜様は、どうなってしまうのでしょうか」
「少なくともあの屋敷にはいられないだろう。その辺りは既に話を進めている」
結亜が屋敷を移動するのならば、結亜の小さい頃から侍女をしていた沙良はついて行くはずだ。では日和と愛華は?二人も結亜について行くのだろうか。それとも…。
(私は一度解雇された身。仕事がなくなってもおかしくない。けれど愛華は?御苑に戻れるの?)
そんな心配を自分がしなくても良いことはわかっている。けれどわざわざ下女を侍女にしてまで離れに送ったのだ。その後の面倒を見てやってくれ、と祈った。
解散した後、日和は沙良を呼び止めた。
「沙良さん」
「どうしたの?」
「お怪我は大丈夫ですか?」
沙良は晒の巻かれた手首をさする。
「手首を強く掴まれて捻っただけよ。日和の方こそ大丈夫なの?頭もお腹も殴られたんでしょう?」
沙良が微笑む。確かに日和の方が巻かれた晒が多く、傍から見ても痛々しく感じるだろう。
二人で結亜と愛華の待つ部屋に移動する。愛華は日和に気づくとぽろぽろと泣きながら飛び込んできた。
「わああ!良かったよおお!」
「わっ!痛い、痛いから」
なんとか愛華を剥がす。彼女は頭に晒を巻いていた。咄嗟に男の腕にしがみつき、振り飛ばされた時に頭を打ったという。
「痛くない?」
「時々ズキッてなるけど全然元気だよ!というか日和の方が重症でしょ!」
「私も大丈夫だよ」
愛華がフグのように頬を膨らませる。
「全くもう。無茶しないでよ、日和」
「あはは、ごめん」
「本当に」
沙良も大きく頷く。
「いくら結亜様を守るためでも自分が死ぬようなことがあったら元も子もないでしょう?貴方を心配する人達が沢山いるんでしょうから、まずは自分を大切にしなさい」
沙良の言葉で兄弟や果莉弥、紅ノ宮の侍女など、今まで関わってきた人達の顔を思い浮かべる。自分が彼らの為に何かできたとは思わない。けれど日和が死んだら悲しんでくれる、そんな気はした。
「日和…死んじゃだめだよ?」
何より、結亜に可愛く言われては死ぬに死ねない。
日が沈み、花の商店街も落ち着いた頃、屋根の上で寝転ぶ雫の傍に誰かが降り立つ。
「やっほ」
「……何の用だ、覚」
柚寧は表情の読めない笑みを浮かべている。その表情に苛立ち、雫の口調が鋭くなる。
「日和と九尾に八妖樹の本来の目的を教えていなかったんだね」
「……」
雫は何も答えない。柚寧は空を見上げるが、薄らと雲がかかっているようで星は見えなかった。
「困惑していたよ。この世界が滅ぶこと」
「お前は直接的に言い過ぎだ。今の二人にその事実を伝えたところで戸惑うのは目に見えている。だから敢えて言わなかった」
「遠回しに言ったって意味ないでしょ。あいつらは鬼の封印にとって重要な存在なんだ。封印が解け始めている今、早急に知らせて手を打つべきなんじゃない?雪男だってわかっているでしょ?」
雫はまた黙り込む。それは頷くことと同じだ。
「俺自身、この世界がどうなろうと興味はなかった。琴葉の願いだから封印に手を貸した。けど今は考えが変わったかな」
「日和に絆されたか?」
柚寧の言葉が止まる。雫の瞳が虚で恐怖を感じた。
「生きる目的ができようと関係ない。所詮、俺達は妖だ。人間と同じようには生きられない」
「…わかってるさ」
「一度、この世界は滅ぶべきだ。この世界はもう随分崩壊している。その原因が人間であることに当の本人たちは気づいていない。愚かさはいつか自滅をもたらす。だが、それで良い」
雫は寂しくなった商店街を見下ろす。元々から感情のわからない奴だが、今は心の奥に黒く渦巻くものが見える気がした。
「…話が逸れたな。とにかく今の二人には荷が重すぎる。自分らで覚悟を決めてから、それからだ」
雫は無言の圧で柚寧を追い出そうとする。柚寧は溜息をついて、その場から消えた。




