第二十五舞 乱入
日和と沙良は夕飯の支度を始めていた。日和は水を汲みに屋敷裏にある井戸に桶を持って向かう。
水が入り、重くなった桶をこぼさないように慎重に運んでいると、牛車の音が近づいてきた。紫苑でも来たのだろうか。
(全く、こんな夕飯時で忙しい時に。どういう神経しているんだ、あの人は)
屋敷の裏口から戻ったが、屋敷は結亜と愛華のはしゃぐ声以外聞こえない。日和は不審に思いつつ台所に戻る。
「沙良さん。藤ノ宮様が来られたかもしれません。牛車の音がしました」
「え?こんな時間に?」
沙良が怪訝そうな顔をする。火を止め、入り口に近づく。少し待っても扉が開く様子はない。沙良が扉を開けようと手を伸ばした時、日和は妖の気配を感じて急いで沙良を止めた。
「待ってください!」
「ど、どうしたの?」
「…すみません。私が様子を見ます。沙良さんは結亜様の元にお願いできますか?」
「え?えぇ。わかったわ」
沙良が見えなくなったのを確認し、二階に移動し、屋敷の門が見える窓を覗く。そこにいたのは見知らぬ複数の男性だった。体つきはかなり良く、刀や槍などの武器を持っている。
日和は息を呑む。二人の門番が倒れている状況がこの後の最悪な状況を予期させた。
急いで結亜の部屋に向かう。不思議そうな顔の彼女らに外の状況を伝える。雪葵の顔は険しくなり、他三人は青ざめる。
「もう屋敷の外に逃げるのは不可能です。結亜様とお二人は上に行って隠れていてください」
「ひ、日和は?」
「…時間を稼ぎます」
助けを呼ぶ時間はない。離れの状況を知るのはここにいる者のみ。誰かが来てくれることを願うしかなかった。そして結亜を守る為には日和が立ち上がるしかない。
「僕も日和と残るよ」
「そんな…危険よ」
「急いでください。もうすぐ彼らが来ます。どうか結亜様をお願いします」
沙良は目を閉じて深呼吸すると、静かに頷いた。震える結亜と愛華を促し、二階へと誘導する。結亜は振り返ると振り絞った声で言った。
「日和、雪葵…無事でね」
「はい」
「任せて!」
日和は結亜に微笑んだ。
結亜達が二階に上がったのを見届けると台所に向かう。良い武器になりそうなものは近くにない。けれど生身だけよりかはマシだろうとおたまを手に取る。
扉が開かないよう玄関のそばに置いてある箒をつっかえ棒にする。
物陰に息を潜め、様子を伺う。少し運動神経が良いとしても、あの屈強な男達の相手になるとは思っていない。しかし悪あがきをしてでも時間稼ぎをするしかない。
数秒後に扉をガタガタと揺らす音が聞こえる。外で男達が開けようとしているのだ。つっかえ棒のおかげだったが、バキバキ!という音と共に外の声が鮮明に聞こえた。何事かと玄関を覗くと扉が破壊されているのが見えた。つっかえ棒も折れてしまっている。
思わぬ光景に危うく声が出るところだった。慌てて口を押さえる。つっかえ棒が折れることは予想できていたが、扉まで壊されるとは思っていなかった。
「本当にここにいるんだろうな?」
「門番もいたんですよ。間違いないでしょう」
男達の会話が聞こえてくる。この離れの場所を特定されたのは何故だろうか。やはり後をつけられてしまっていたのだろうか。常に警戒はしていたはずなのだ。気配でも消せるのなら納得はするのだが。
日和と雪葵の真横を男達が通過する。その瞬間、日和は飛び出しおたまを振りかざす。
「!」
男はギリギリの所で避けた。日和の頬を一筋の汗が流れる。
「なんだお前」
男達が槍や刀を構える様子に緊張が走る。彼らは近くで見るとより大きく威圧的だった。どう見ても小柄な日和に勝ち目はない。
男達が日和に向かって刃物を振りかざす。しかし後ろから巨大雪葵が突進し、男達が平衡感覚を崩した。その隙に日和がおたまを男の頭に振り下ろす。直撃したにも関わらず男は少し狼狽えただけでこちらを睨んでいる。そのまま日和は首を掴まれた。
「ぐっ!」
「ただの小娘が俺達を相手にできると思ってんのかよ。笑わせてくれる」
「日和を離せ!」
雪葵が男に噛みつこうとするが突然体の力が抜け、床に倒れ込んだ。
「あ、れ…」
「こいつも妖か?」
子狐に戻ってしまった雪葵は蹴飛ばされ、壁に激突する。そして他の男達に何度も踏みつけられていた。日和は必死にもがいて男の手に噛み付く。男は痛がると日和を投げ飛ばした。全身に痛みが走るが立ち上がろうとする。しかし体中の力が抜け、立つことさえできない。その瞬間だった。
「ー‼︎」
日和の頭に強い衝撃が走った。頭がじーんとし、耳では甲高い音が響いていた。視界がぼやける。男達が何か吐くように叫んでいるが何も聞こえない。今度は腹部に激痛が走り、思わず血を吐いた。嗚咽は止まらず、意識も遠のいていく。微かに男達が離れていくのが見えた。日和は手を伸ばそうとするが、体の感覚も失われ、動かせない。
時間稼ぎなんて一つもなっていない。ただ無駄に痛みを感じただけじゃないか。このままでは結亜が…。
次第に頭も働かなくなる。そして遂に意識が途切れた。
紫苑を乗せた牛車は御苑を離れ、森の中に入る。秋人が武官と何か話している。武官は貴人のいる前で話をしていいのかと戸惑っているようだが、秋人は気にせず意見を尋ねてくるので、遠慮気味に答えていた。その貴人はというと、ひたすら反帝軍について考えている。
国の政権は東の将軍率いる幕府が握っている。その政策に納得していない民がいることは承知である。この国には何百万人の民が暮らしている。全員が満足する政策など難しい。
しかし西に住む民はその矛先を将軍より近くにいる天皇に向ける。国の政権を将軍に任せたのは天皇だ、政策に問題があるのは将軍に問題があり、将軍に任せた天皇にも問題がある。見事な飛び火である。
不満を言われるだけならまだ良い。警戒しなければならないのは、反発する手段が武力であるということである。人間は力を合わせれば脅威となる。その代表的なのが反帝軍だ。
何年も前から名前だけは聞いていた。とはいえ目立った行動はしていなかった為、特に気にしていなかった。それが間違っていたのだろうか。もっと早く対処していれば、今回のように頭を悩ませる必要はなかったのだろうか。頭が痛くて仕方がない。
屋敷が見えてきた、と思うと同時に牛車が止まる。まだ門をくぐっていない。不審に思った秋人が操縦士の武官に声を掛けた。
「どうした」
「あ、いえ。木の陰に牛車が一台止まっていまして」
「何?」
秋人が牛車を降り、その牛車を見に行く。見たことがない牛車だ。少なくとも御苑で使われている物ではない。
「御苑以外の牛車だと?」
紫苑と二人の武官も牛車を降りる。木陰に止まっている牛車には御苑の紋章がついていない。御苑では基本は御苑の牛車を使用するが、貴族の中には牛車を所有している者もいる。だが、離れに用事のある貴族などいるだろうか。子供の頃に結亜と面識のある果莉弥でもここに来たことは一度もない。
門の奥を確認しに行った武官が慌てて戻ってくる。案内され門をくぐると、紫苑達は絶句する。門番が二人とも倒れていた。そのうちの一人はかろうじて意識があるようだが、かなりの重症だ。駆け寄ると、門番がゆっくり口を動かす。
「すみま、せん…。突然、襲われ…歯が…立ちません、でした…」
紫苑は事情を察する。武官の一人に応援を呼ぶよう命じ、屋敷に急いだ。
扉が破壊されている。床には大きな足跡がいくつも残っていた。大柄な人物が複数いるようだ。紫苑は更に警戒をしつつ奥へ進むと誰かが倒れているのが見えた。その姿に見覚えがあった。紫苑は急いで駆け寄る。
日和と雪葵だった。日和が顔を歪ませており、服は破け汚れ、全身は痣と血にまみれていた。床にも血が飛んでいる。雪葵も全身に怪我を負っている。
紫苑は思わず床を壊す程の力で拳を叩きつけた。




