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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
暁ノ宮編
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第十八舞 温かい記憶、悲しい記憶

 時は約八百年前。まだ御苑が現在の場所になかった頃。柚寧は貧しい家庭に生まれた。木の上でよく眠っている子であった。


「おーい、柚寧〜。また寝てるのー?」


 柚寧を呼ぶ声に面倒くさそうに見下ろす。幼馴染の那津だ。柚寧は眠くて目を擦る。


「……何?」

「柚寝のかかが呼んでたよー。お願いがあるんだってー」

「ええ〜」

「ととがいないんだから柚寧がかかを助けてあげないと駄目でしょ!」


 那津に説教され、柚寧は渋々木を降りる。那津に手を引かれて家に戻った。


 柚寧の小さい頃に父を亡くし、母と二人で暮らしてきた。色々大変なことがあったが、那津の家族が助けてくれてここまで生きている。


 しかし貧しい暮らしは酷で、柚寧も母も痩せ細り、母に関しては先日、病で倒れた。重病ではないが、布団で横になることが増えた。


「今戻ったよー」

「あら那津、ありがとうね。柚寧、これを向こうの部屋に運んでほしいの」

「ん」


 母の手伝いをして、夕食を食べて、寝て。毎日が同じ繰り返しだ。けれど柚寧はこのままで良かった。ただ何もなく毎日のんびり昼寝する日々、那津と何気ない会話をする日々、それだけで良かった。良かったはずなのに…。


「あー!違うよ柚寧!」


 桶に水を張り、洗濯物を洗っていると後ろから幼馴染の声が聞こえてきた。柚寧が溜息をつく。


「…何が」

「手で擦っても汚れ取れないから足踏み洗いするんだよ」

「じゃぁ那津がやって?」

「嫌だよ」


 那津に拒否され、仕方なく桶の中に入る。水が冷たくて足が冷えてくる。それが嫌で顔を顰める。


「手の方がマシだなー」

「それじゃ意味ないの!もう本当頼りないなあ」

「頼りなくてもいいよ、別にー」


 柚寧が拗ねる。頼られる気なんて全くない。


「柚寧のかかにとって柚寧が頼りになる家族にならなくちゃ。かかを支えられるのは柚寧しかいないんだよ」

「俺にそんなことできると思うー?無理でしょ」

「開き直らないの!」


 那津に睨みつけられるが、全然痛くも痒くもない。視線を無視して洗濯を再開する。


「那津がかかみたい。しっかり者だね。これからも頼りにしてるねー」

「…もぅ、世話の焼ける弟だなあ」


 那津が満更でもない顔で笑う。那津は頼られるのが好きであり、柚寧は怒られると度々那津を誉めて危険を回避する。


「弟じゃないから」

「はいはーい」


 那津が嬉しそうに走り去っていく。柚寧は那津の笑顔が好きだった。


 ある日。柚寧はお使いで市場に来ていた。市場と言っても所々破れた布を敷いた上に簡素な屋根を組んだだけの建物が数個並ぶだけだ。柚寧は言われたものを買おうと市場を見て回る。


「交換できる物、あまりないから必要なものだけにしてね」


 お使いに行く前に母に言われたことを思い出す。物々交換の時代。物が良い質でないと交換することは難しい。しかし交換しなければ食料が手に入らない。かなり苦しかった。


 柚寧は山盛りに積まれた林檎を見つける。林檎は母の好物だ。きっと持って帰れば母は喜ぶ。


 こんなにあるのなら一つくらい取っても変わらないんじゃないか。魔が差した。


 人気がなくなったのを確認すると店の死角から手を伸ばし、林檎を一つ取る。そして急いで店を離れた。


 見つからなかった。上手くやれた。このことが後に悲劇を生むなんて知るはずもなかった。


 それから毎日のようにお使いに行っては林檎を盗んだ。それが良いわけがないのはわかっていた。けれど、止められなかった。


「しっかりしなさい!」


 ある時、那津の母の切羽詰まった声が聞こえてきた。柚寧が母の寝室を覗くと、荒い息をして苦しそうにもがいている母の姿が目に飛び込んできた。


「かか!」


 柚寧は母に駆け寄る。那津も涙を浮かべて柚寧の母を見つめている。


「今朝になって、急に具合が悪くなったのよ。那津、家に薬が少し残っていたはずよ。持ってきてちょうだい」

「う、うん、わかった」


 那津がばたばたと部屋を出て行く。母が震えながらゆっくりと手を差し出してきた。柚寧はそっとその手を握る。母も握り返してくれたが、力はほとんど入っていなかった。


「…かか…」


 柚寧は何も言えなかった。何を言えば良いのかわからなかった。


 那津が持ってきてくれた薬では母の容態は落ち着いた。けれどもう薬はないし、薬を貰うに相応しい交換物もない。今度また容態が悪くなれば助けてあげられないかもしれない。柚寧は自分に何ができるか考えた。足はふらっと市場に向かっていた。


 いつもの果物の店に近づく。そして死角からそっと林檎を一つ手に取り、走り出そうとした時、後ろから野太い声がした。


「何やってんだ餓鬼!」


 果物の店の店主だ。柚寧は逃げようとするが、襟を掴まれてしまった。もがいても手から抜けられない。


「は、離せ!」

「離すか!何度盗みをすれば気が済むんだ、あぁ?今日という今日は許さねぇ!」


 気づかれていたことに衝撃を受けた。全然上手くやれていなかった。けれどここで捕まるわけにはいかない。この林檎を母に届けなければ。母の為に。早く。その時、頭に強い衝撃が走る。そして柚寧の意識は遠のいていった。



 体全体が何かに刺されているかのように痛い。柚寧はゆっくりと目を覚ます。そして頭が朦朧としたまま起き上がろうとしたが、自由に動けなかった。見れば、腕と足を縛られている。


 目の前に誰かが駆け寄ってきたのが見えた。その人物がしゃがむ。那津だった。


「…那津…どうして、ここに」

「柚寧!」


 那津は涙を浮かべて柚寧の手を握る。周りには店主や役人らしき人が複数人立っている。


「家にいたら役人さんが来て。かかは柚寧のかかの看病していたから私が来たの」


 役人が冷たい視線を柚寧に向ける。


「何故盗みなんてしたか、教えてもらおうか」


 那津がこちらを見て目を見開く。柚寧は那津の手を握り返して、ぽつぽつと言葉を溢す。


「…かかの、好きな物。病気だから…持って行って、あげたかった…」

「だからって盗んで良い理由になるわけねえよな!」


 店主の睨みに柚寧は震え上がる。けれどその通りだ。どんな理由であれ、盗みはやってはいけない。わかっていたのに止められなかった。自分を制御できなかった。


「此奴の首を切ってやる」

「⁉︎」

「さ、流石にやりすぎではないでしょうか。まだ相手は子供で…」

「俺の気が収まらねぇんだよ!」


 役人も慌てて止めようとするが、店主は耳を貸そうとしない。ドスドスと柚寧に近づいてくる。柚寧は震えていた。その時、那津の握る手に力がこもったのを感じた。


「待って!」


 那津が柚寧の手を握ったまま立ち上がり、店主に立ちはだかる。店主は機嫌が悪そうに那津を見下ろす。


「あ?」

「処罰を受けるのは私なの!私が柚寧に盗めって命令したの!」


 柚寧は目を見開く。店主も役人も驚いて固まる。


「…な、那津、何を…」

「私が全部悪いの!自分の手を汚したくなくて柚寧を利用したの!柚寧は何も悪くない!」

(やめろ、やめてくれ)


 那津を止めたいのに言葉が出てこない。頭がぐちゃぐちゃだ。どうして、そんなことを言い出すのか。那津は何も関係ないのに。


 顔を歪めた店主は那津の腕を強く引っ張って歩き出す。


「お前のせいで迷惑なってんだよ!おら来い!」


 柚寧と那津の繋いだ手は簡単に外れてしまった。那津の手を掴もうとしても縛ってある縄が邪魔をしていた。


「ま、待って…」


 柚寧の声は誰にも聞こえていない。このままでは那津が危ない。柚寧は縛られた縄を解こうともがく。しかし縄はきつく縛ってあり、解けそうにない。この間にも那津の姿が遠のいていく。


 那津が柚寧を振り返ったのに気づき、顔を上げる。そして息を呑んだ。


「全く、世話の焼ける弟だなあ」


 そう聞こえたような気がした。そんな風に笑っていた。こんな状況なのに、自分は何も悪くないのに悪役を買って出て、そして幼馴染に笑いかけていた。那津の姿が完全に見えなくなる。柚寧はハッと我に返り、辺りを見回した。


 柚寧は壁に腕の縄を擦り付ける。外れず、近くにあった壊れた箒の柄の鋭くなった先で縄を千切る。腕の縄が外れると、同じ柄の先で足の縄も千切った。


 両方の縄が外れ、柚寧は箒を手に取ると急いで建物を出る。同じような建物がいくつも連なっているが、一つだけ周りより一回り程大きい建物があった。柚寧は直感でその大きな建物に入る。そして硬直した。


 店主と役人がいた。そして地面には…赤く染まった那津が倒れていた。


 柚寧はよろよろと那津に近づき、跪く。震える手を伸ばし、那津の手を握る。温かみはあるものの、握り返してはくれなかった。


「…那津…?」


 声をかけても反応しない。回らなかった頭が徐々に動き出す。恐怖と絶望に染まっていく。


「あああああああ‼︎」


 柚寧は店主を睨みつけると箒の柄を持って走り出す。涙が溢れてくる。箒の柄を大きく振りかざす。けれど、子供の力なんて大したことはない。降りかざした箒の柄は店主から大きく外れ、柚寧は地面に倒れ込む。


 店主が斧を振りかざしたのがわかった。


(那津…かか…。守らなければいけなかったのに。俺は…俺は…)


 世界が真っ黒になった。

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