第十三舞 変身
日和達侍女は困った状況に陥っていた。裾を強く引っ張られる。啜り泣きながら訴える声が聞こえてくる。侍女はひたすら困り果てていた。
「街ぃ〜街に行くぅ〜」
結亜が顔を涙で濡らしながら日和や沙良の着物を引っ張り続ける。
こうなったのは、先日の劇場に行ったせいだった。外の世界が楽しいとわかったらしく、結亜は有明の館だけでなく、街を散歩したいと言い出した。
流石にあの商店街を歩くのは危険だ。どこから誰が結亜を狙うかわからない。完全に守るのは不可能だ。だからと言って固い護衛を頼むわけにもいかない。変に目立ってしまって逆効果だ。商店街では目立たないことが絶対条件である。
何度も断ったり危険だと伝えたが、遂に泣かれてしまった。ここまで泣きじゃくられるとどうしようもない。行かないと言えば余計に泣くだろうし、だからと言って行こう、と簡単には言えない。困り果てていると、絶妙な時機で結亜の部屋の襖が開き、見目麗しい貴族が現れた。
翌日。日和は結亜の部屋で準備をしていた。
結亜が着替えていたのはいつもの着物ではなく、商店街でよく見かける平凡な着物だった。日和も同じような着物を着ている。着物はいつもより地味ではあるが、街に行ける喜びで結亜はわくわくしていた。
面白いことを考えてくれる。日和は久しぶりに紫苑のことを見直した。
「あの黒妖祓師の口から出たとは思えない発想だね」
雪葵の言葉に頷きながら準備を進める。
紫苑は昨日、屋敷に現れたかと思うと、話は聞いていたようで結亜が平民のふりをすれば良い、と提案してきた。日和は名案だとのった。そういうわけで現在、身支度しているわけである。
結亜が日和の前に座る。日和は化粧の準備をしていた。本来、十の娘は化粧をしなくて良いのだが、沙良には化粧はしてくれ、結亜様には気高くいてほしいと懇願された為、軽く化粧をすることにした。
ついでなら、と少し意地悪な血が走る。結亜の顔に白粉を叩き、紅を唇にのせる。そして水で溶いた粘土を顔のあちこちにつけた。沙良が結亜の顔を見て絶句する。そして日和を激しく揺らした。結亜は沙良の反応の理由がわからず首を傾げていたが、沙良に手渡された手鏡を覗き込み、「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。
結亜の顔にはたくさんの泥がついていた。実際は粘土なのだが、平民の子供達は外で遊ぶことが多く、よく顔や服を汚している。それを再現したのだが、怒られてしまった。当然かと思い、結亜の顔を拭いてまた白粉を叩いた。
身支度ができ、屋敷を出る。全員で行けば、大人数で目立つので最小限の人数で行くことになった。話し合いの結果、商店街に詳しい日和と気さくな護衛の宗悟だ。堅物よりも宗悟の性格なら結亜も行きやすいだろうという紫苑の配慮だ。
宗悟も平民の格好をしていた。確かに武官の格好で歩かれると、目立つことこの上ない。
街へと牛車で移動している中、宗悟がずっと日和達に話しかけてくれる。結亜は日和の腕を抱えているが、宗悟の話に頷いたり小さい声で答えたりしている。案外打ち解けるまでに時間はかからなさそうだ。
「また街に行けるなんて嬉しいなあ。それに今回はなんと結亜様のお供ができるなんて光栄です」
お世辞も完璧である。できる人のようだ。
「お使いを頼まれたんだったか?」
宗悟は日和に聞く。日和は一枚の紙切れを出した。
「はい。街に行くなら目的があった方が良いとのことで」
お使いとは別に結亜の好きなものも買ってきて良いと言われている。沙良も結亜が外に出れることが嬉しいようだ。必ず何事もなく連れて帰らなければ。日和はより一層使命感に燃えた。
街に着くと人の多さに結亜が怖気付く。しかし、瞳はきらきらと輝いていた。
「えっと、今日は兄妹で買い物にきたという設定で良いんだよな?」
「いえ、そんな話は一切しておりません」
「じゃあ敬語はない方がいいな」
「…そうですね」
宗悟に否定、という言葉は効かないらしい。日和は諦めて相槌を打った。
「僕は?弟?飼い狐?」
「結亜様、手を繋ぎましょう。危ないですから」
雪葵を無視して結亜に手を差し出す。結亜はきょとんとした。
「…敬語なくて、いいよ?」
「………結亜。手繋いでて」
「うん!」
皇族を呼び捨てにするなど抵抗しかないのだが、結亜の頼みなら仕方がない。それに怪しまれてしまうのは避けたい。日和は我慢だ我慢だ、と自分に言い聞かせた。結亜は嬉しそうに手を握っていた。
まずは食料を買いに行く。基本出来上がった料理しか見たことがないであろう。結亜は興味津々で野菜や果物を見つめていた。気前の良い商人のおじさんが結亜に野菜や果物についてたくさん教えてくれる。結亜は日和の後ろに隠れながらも小さく頷いて話を聞いていた。日和は大根を指差し、この中でどれが良いかを聞いてみる。正直どれを見てもさほど変化はないのだが、結亜は真剣になってたくさんの大根を見つめていた。
そして最終的に一つの大根を恐る恐る手に取る。なんとおじさんは安くしてくれた。結亜は大事そうに大根を抱えた。その後も様々な野菜や果物を結亜に選んでもらった。
次に菓子を探す。沙良に日和のおすすめを買ってきて、と言われたので果莉弥も御用達の饅頭の店に行った。けれど売り切れたようで日和の話を聞き、楽しみにしていた宗悟が肩を落としていた。代わりに、饅頭の店の隣のおはぎを買った。結亜と宗悟に一つずつ渡す。結亜はじっくりおはぎを見つめた後、少しだけ口に入れる。そして美味しそうに目を細めた。宗悟を美味しそうに豪快に頬張る。日和は沙良と愛華の分も買っておいた。
「結亜。何か欲しいものある?」
雑貨屋を見つけたので中に入ってみる。結亜は店の中を見回し、指を差した。その先には猫のぬいぐるみがあった。どうやらうさぎのぬいぐるみの友達が欲しいらしい。日和は一つ買う。結亜は猫のぬいぐるみと大根を抱える、という奇妙な姿になっていたが、本人が満足そうなのでそのままにしておく。
雑貨屋を出て、商店街を歩いていると子供達の声が聞こえてきた。はしゃいでいるように聞こえるが、よく聞けばそうでないことに気づく。声がした方は路地裏だ。
日和は目を細め、ちらりとみると複数人の子供がいた。皆、結亜と同じくらいの歳だろうか。一人の子供が数人に囲まれている。囲まれている子供は震えている。いじめだ。
見なかったことにしようと前を向いたが、正義感の高い武官は見過ごせないようだ。
「おい、お前ら」
子供達に近づく。囲む子供達は木の枝を持っていた。振り返って「ああ?」と威嚇してくる。
「弱い者いじめか?みっともねぇ」
「うるせえ!黙れ!」
子供達が木の枝を振り下ろす。しかし鍛えた体を持つ武官に効くわけもなく、その武官にぼこぼこにされ、泣きながら走り去って行った。
日和は溜息をついて宗悟の元へ行く。結亜は怖かったようで少し震えながら、ぴったりと日和にくっついていた。
「大人げないですよ」
「いじめているのが悪いだろう。大丈夫だったか?」
宗悟が立膝をつき、囲まれていた女子に手を差し出す。女子は震えながら一人で立ち上がると、よろけながらも走って行ってしまった。
「怖かったようですね」
「…助けたつもりなんだけどな〜」
宗悟が項垂れる。無理もない。目の前で大人が子供をぼこぼこにしているのだ。見ているだけで十分怖いだろう。
「何故いじめていたんだろうか」
「日常茶飯事ですよ」
宗悟が眉を寄せる。日和は淡々と言う。
「平民の子供にとっていじめは一つの遊びなんです。自分より良いものを持っている子がいれば、複数人でそれを奪う。またただ弱い子をいじめるのを楽しむ子供もいる。娯楽の少ない子供の楽しみなんです」
小さい頃から見てきた。日和は兄妹に守られていた為、そのようないじめを受けたことはないが、その光景はよく見ていた。それでも見て見ぬふりをするのが暗黙の了解。大人も自分の子供がいじめられていない場合は知らぬ顔。親の愛に満たされない子供は人を貶すことで優越感を得る。可哀想だと思う。けれど思うだけだ。
「…信じられないな」
「それが現実ですよ」
日和は何事もなかったかのように歩き始め、結亜と宗悟は日和の後を追いかけた。




