第九舞 小さき手と手
静かな屋敷。秋人の足音だけが響く。襖を開けると頭を悩ませている紫苑の姿が目に入る。それに気づいた紫苑が手を止め、顔を上げる。
「戻ったか。お前にはあの離れ、どう感じる」
「紫苑様の仰る通り、何かいることは間違えないようです。その者が結亜様を狙っているとお考えなのですね」
「あぁ。以前に捕らえた者、妖と手を組んでいただろう。人間の指示で妖が狙っている可能性がある」
「そのことを和の娘に伝えるべきでは?その為に和の娘を離れに送ったのでしょう?」
秋人が呆れ気味に軽い溜息をつく。この主は大事なことをわざと伝えない所がある。
「まだ確証がないのに気を張らさせる必要はない。それにあいつなら察するだろう」
「過信しすぎでは?妖姫であるとはいえ、ただの侍女なのですよ」
紫苑が日和を気にかけているのは知っている。雪葵を含めて少しでも頼りにしているからこそ結亜の所に送った。しかしまだ彼女について知らないことが多い。過信するのも問題になる。
「過信などしていない。結亜の世話を任せられると思ったから送っただけだ。仕事に戻る」
紫苑が書類を手に取った。秋人は静かに一礼し、執務室を出た。
何かあってからでは遅い。今まで以上にあの離れを気にかけておく必要があるだろうと秋人は感じた。
森の中を歩く二つの小さな影があった。足元が悪い為、結亜と愛華は手を繋いでいた。愛華が少し前を歩いて先導するが、彼女も知らない所である。恐る恐るだった。
「はぁはぁ…。街は、まだ?」
結亜が苦しそうに息を上げている。愛華もしんどかったが、笑顔で結亜を見る。
「きっともうすぐです!少し休憩しますか?」
「う、うん…」
二人は土の上に座る…着物が汚れてしまうが、足が痛かった。座って一息吐くと結亜が愛華を見る。
「ぬいぐるみ…」
結亜はしっかりぬいぐるみを抱いていたが、愛華のぬいぐるみはいつの間にか手元からなくなっていた。愛華が苦笑いする。
「どこかに落としてしまったみたいですね。帰りに探します。それより今は日が暮れるまでに街に行きましょう!」
「…ごめんなさい。街に行きたいって言い出したのは私なのに…すぐに疲れてしまって…」
「気にしないでください!結亜様を街に連れて行きたいんです!」
沙良と日和が書庫に入っている間、結亜から街に入ってみたいという話を聞いた。愛華が街に行った時の話をすると、結亜の目が輝いた。
閉鎖した空間。庭にも出ることができない。それは可哀想だった。羨ましそうな結亜を見ていると居ても立っても居られなくなり、結亜の手を引いた。
屋敷の門には武官がいる為、壊れた柵からこっそり抜け出した。
ただ、知らない森の中を進んでいる上に街までの距離感がわかっていない。方角もわからない。愛華は内心焦っていた。
結亜は辛そうだ。汗もかいている。愛華は心配になって結亜に聞く。
「お辛いなら屋敷に戻りましょうか?」
結亜は大きく首を横に振った。
「せ、折角誘ってくれた、から…い、行く…!」
愛華はにっこり笑った。
「はい!行きましょう!」
二人はまた手を繋いで歩き出した。
日和は拾ったぬいぐるみを持って屋敷の中に戻る。おどおどしている沙良は日和の手元に愛華のぬいぐるみを見つけると余計に青ざめる。力なく倒れる沙良を日和は急いで支えた。
ゆっくり床に座らせる。沙良の口はわなわなと震えていた。
「結亜様と愛華が、誘拐…」
「恐らく違います。愛華が結亜様を連れ出したのでしょう。どこに向かったのかはわかりませんが、方角的に森の中に行ったのは確かです」
門番は健在。もし誘拐ならば屋敷の裏の壊れた柵からの侵入と考えられる。しかし柵は壊れているもののそれは“隙間“であり、“穴“ではない。普通の大人では通れるとは思えない。
または誘拐犯が柵の外から何かで釣ったか。愛華なら釣れるかもしれないが、あの極度の人見知りである結亜は釣れないだろう。ということは二人は自らの意志で柵をくぐったと推測できる。
他に考えられるのは妖の仕業。考えられないこともない。ただ沙良は信じないだろう。それなら言わないほうが混乱を招かない。
日和はぬいぐるみを沙良に渡した。
「沙良さんは屋敷にいてください。もしかしたら帰ってくるかもしれませんから。私は森の中を探してきます」
沙良は無言で頷いた。自分が見ていなかったから結亜がいなくなったと思っているんだろう。沙良だけでなく、日和にも責任はあるのに。
日和は走り出す。さっきの壊れた柵を雪葵は難なく通り抜ける。一見狭そうに見えるが日和も簡単に抜けられた。それなら日和より小さい愛華や結亜もすぐに抜けられただろう。柵の向こうは薄暗い森だった。
頭上は木々の葉が生い茂り、少し肌寒く感じた。
最近は日が暮れるのが日に日に早くなっている。それに、と日和は空を見上げる。木々の狭い隙間から灰色の空が覗く。早く見つけ出さなければ。
「結亜様ー!愛華ー!」
日和は視線を森の中に戻すと二人の名前を呼びながら駆け出した。
結亜と愛華の目の前には終わらない森の道が広がっていた。二人とも体力は限界に近づいていた。息が荒くなっている。結亜が立ち止まり、愛華もそれに気づいて立ち止まる。
「はぁはぁ…」
「だ、大丈夫ですか…」
同じような景色が延々続いていることが一番辛い。その時、ポツンと愛華の頭に冷たいものが落ちてきた。愛華は空を見上げる。
「雨…」
雨は次第に強くなっていく。そして一瞬で目の前が真っ白に変わった。愛華は慌てて結亜の手を取り、駆け出す。どこか、雨宿りできる所を見つけなければ。
しかし、暫くしてもそんな場所は見当たらない。愛華はふと木の枝に座っている少年を見つける。大雨にも関わらず呑気に足をふらつかせている。愛華は立ち止まると声をかけた。
「あのーすみませーん!」
少年、覚が驚いたように振り向いて二人を見下ろした。驚いた顔が一瞬にして呑気な笑顔に変わる。
「何?」
「この近くでどこか雨宿りできそうな場所、知りませんかー?」
大雨の中、全く濡れていない覚に対し、愛華と結亜はびしょびしょだ。けれど愛華達にはそれに気づく余裕はない。
覚は指を顎に当てて考えると、どこか思い当たったようである方角を指を差した。
「あっちに大きな洞窟があるよ。そこなら崩れる心配もないだろうし、雨宿りとしては適していると思う」
「本当⁉︎ありがとう!」
愛華は御礼を言うと結亜を連れて走り出した。
少年の指差す方向に走っていると、言う通りの洞窟を見つけた。二人はそこに入り、結亜は疲れてその場に座り込む。
「はぁはぁ」
「はぁはぁ。なんとか、雨宿り、できそうですね」
二人で並んで洞窟にもたれかかる。外は先程より暗くなっていた。雨に加え、日が傾き始めているのだろう。暗い中の森は危険だ。それは愛華にもわかっていた。ここにいるべきか、帰るべきか。判断ができない。どちらも良いとは言えない。
今、愛華にできることは、泣き出しそうな結亜を元気づけることだった。
「…うぅ、沙良…」
「き、きっと大丈夫です!雨も止みます!そうしたら帰れますよ!」
「…道、わかるの?」
「うっ…」
痛い所をつかれ、愛華は固まる。その様子から察したのか、結亜は余計に落ち込んでしまった。愛華も項垂れる。
「すみません、結亜様。私が街に行こうなんて言わなければ、こんなことにはなりませんでしたよね…」
愛華の言葉に結亜が顔を上げる。
「ち、違う!行きたいって言い出したの、私!…だ、だから、嬉しかった。…ずっと、お屋敷にいたから…」
外は危ないと屋敷に閉じ込められていた。沙良に外に行きたいと言っても申し訳なさそうに断られた。それは結亜の為だとわかっていても、不満を持ってしまった。
だから愛華に誘われた時、今しかないと思った。今行かなければもう機会はないと思った。例え、それが悪いことだったとしても、沙良を困らせてしまうとしても。
「そう言っていただけて嬉しいです」
愛華が力なく微笑んだ。
暫く沈黙になる。結亜は恐怖と寒さで震えていた。外がこんなに怖い所だとは思っていなかった。雨も冷たい。空気は暑いが、日の当たらない場所で濡れた体は冷えていく。
その様子を見てか、愛華が自分の上着を脱いで絞る。上着に含まれた水が地面に滴る。それを終えると結亜の上着を渡すよう言われる。結亜は上着を渡すと愛華はそれも絞った。結亜に上着を返すと自身の上着も結亜に被せる。
「これで少しは暖かくなりますかね?」
「……うん、ありがとう」
「よし!楽しいことしましょう!はしゃいじゃいましょう!」
愛華なりの気遣いだ。結亜は立ち上がる。
「うん!」
愛華が歌って踊り出す。結亜もそれに続いてくるくると回り出す。段々楽しくなってくる。疲れているのに思いっきり踊る。
ゴオオオオ。
突然、何か低い音が洞窟内に響く。結亜と愛華は固まった。二人の視線は洞窟の奥。そこから低い鳴き声のような音が聞こえる。
結亜は愛華に抱きつく。愛華も結亜に抱きつく。
音が大きくなってくる。二人とも顔面蒼白になる。涙を浮かべる。何かが近づいてくる。二人が絶望に染まっている時だった。
「いた…!」
後ろから安心する声が聞こえた。




