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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
暁ノ宮編
51/114

第八舞 覚

 昼前には紫苑と秋人は帰って行った。昼食の準備をしようと調理室に行くと、既に沙良が支度を始めていた。


「沙良さん、すみません。遅くなりました」

「良いのよ。そうだ、一つお願いしたいことがあるんだけど」

「なんですか?」


 沙良が紙に何かを書き始める。


「この森のある場所に林檎の木があるの。その林檎を採ってきて欲しいのよ。いつもは武官の方にお願いしているんだけど、折角だから日和にも知っておいてほしくて」

「結亜様が森の林檎を召し上がられるのですか?」


 皇族が天然の果物を食べるということを想像できない。けれど沙良は頷く。


「ここに越してきて間もない頃、結亜様が体調を崩されたことがあったの。屋敷にある食料は全て受け付けなくて。街に行くにも牛車が必要だけど手配しなければならなくて、時間がかかったの。だから森で何かないかと探していた時に林檎を見つけたのよ」


 沙良は嬉しそうに微笑む。


「林檎をすり潰したら召し上がることができて。結亜様自身もその林檎を気に入ってくださったの。それ以来、その林檎を食事にお出しするようになったのよ」


 そんな苦労をしていたことがあったのか。離れだと不便なこともあるようだ。


「はい、これが林檎の木への地図よ。武官の方に同行してもらうよう伝えるけれど、念の為にね」

「私一人で大丈夫ですよ」

「え、でも森は危険かもしれないし…」


 沙良の言いたいこともわかる。けれど雪葵が行きたそうにそわそわしている。雪葵と気楽に行くなら、武官はいない方が良い。変に不審がられたくもない。


「自分の身は自分で守れますから」

「そう?わかったわ。気をつけて行くのよ」

「はい」


 日和は地図を受け取ると屋敷を出る。武官に同行しようかと聞かれたが、丁寧にお断りした。


 青空だからか森も明るい。日和は森の中を進んでいく。


「お散歩お散歩〜」

「屋敷にいる時間長くてあんまり動けないもんね」

「そうだよ!つまんない!」

「そう言わないの」


 分かれ道で立ち止まる。沙良から渡された地図と睨めっこする。


「ねえ、この道どっちだと思う?右?左?」

「うーん、この地図だと一方通行だねぇ」


 地図と実際の道が全く違う。地図には屋敷と林檎の木とそれまでの道が描かれているが、屋敷を目印に実際の道と照らし合わせてみると、存在しない道が描かれている。要するに地図が地図の役割を果たしていない。


「沙良さん、方向音痴なのかな」

「或いは絵がド下手なのかもね」


 地図の解読を諦め、勘で歩くことにして右の道を進んでみる。一本道になっており、ひたすら道なりに進んでいると開けた場所に出てきた。奥には洞窟らしき岩の塊があるが、奇妙なのは丸く大きな岩がその洞窟の入り口を塞ぐようにあることだった。天然物ではなさそうだ。その岩には縄と札が掛けられている。いかにも何かありそうだ。


「誰が何の為に造ったんだろう…」


 日和が呟きながら岩に近づいていく。雪葵もついていこうと一歩踏み出した時、頭に電気のような痛みが走った。


「っ!」


 雪葵が縮こまる。痛みは一瞬で消える。困惑して雪葵は岩を見つめる。


「どうかした?」


 日和が雪葵の様子に気づいて声をかける。雪葵は「なんでもない!」と答えると踵を返す。


「日和、もう行こう?早く林檎を見つけて戻らないと」


 雪葵は直感でここを離れるべきだと感じる。日和は何も感じていないようで「そうだね」と言いながらも岩を見つめている。


「…あ、見て、岩の上。少しだけヒビ入ってない?」


 日和の指差す先は岩の頂点。そこは確かに少しヒビが入っていた。こんな大きな岩にヒビが入るとは、どれだけの力が必要なのだろうか。


 雪葵の毛並みがピリピリと感じ始める。雪葵は岩から距離を取る。


「ほ、ほんとだね。ねぇもう行こうよ」

「わかったわかった」


 雪葵が駄々をこねると日和が折れて、その場を離れる。雪葵はもう一度岩を振り返った。少し不気味だった。


 先程来た道を戻り、今度は分かれ道の左を進む。この道は分かれ道が多く、手探りで進んでいった。そして、遠くに赤い実のなっている木を見つけた。間違いなく、林檎だ。


「あったよ、日和!」

「かなり複雑な道だったなあ」


 日和は林檎を一つ採る。そして雪葵に渡すと喜んで齧りだした。すると上から声が聞こえた。


「こ〜んに〜ちは〜」


 日和と雪葵は上を見上げる。林檎の木の枝に腰掛けていて林檎を齧りながら日和達を見下ろしている少年がいた。


「えっと、こんにちは…」


 日和は戸惑いつつ挨拶を返す。少年は眠そうに目を細めながら微笑んでいる。背筋がゾワっとする。この感覚は以前も感じた。


「ふわぁぁ、久しぶりに人間と話できたよ〜」


 雪葵が日和の前に立ち威嚇する。少年が妖であると確信し警戒しているのだ。日和も身構える。


「誰だ、お前」


 雪葵が低い声で問いかける。少年は首を傾げる。


「あれ?もしかして九尾の狐?久しいね〜何百年ぶり?」


 少年がひらひらと手を振る。雪葵はきょとんとしたが、険しい顔になる。


「お前なんか知らない!それよりお前は誰かって聞いているんだ!答えて!」


 日和はハッと息を呑んだ。少年から殺気を感じた。雪葵を睨みつける瞳はまるで鋭い刃物だ。けれど瞬きすると少年からの殺気は消え、元の眠そうな表情に戻っていた。


「俺はさとりっていう妖だよ」


 覚。雫からその名前を聞いた。八妖樹の一人だ。覚が軽やかに枝から降りてきて、日和に近づく。


「妖姫だよね?」

「え、う、うん。名前は日和…」


 覚は顔をグッと近づけて日和を見つめてくる。日和はじりじりと後ろに下がるが覚もじりじり近づいてくる。どうしようかと困っていると人間姿の雪葵が覚の腕を掴んだ。覚が振り返ると雪葵は険しい顔をしていた。


「日和に近づくな」

「……へぇ、人間の姿にもなれるんだ。前よりも進化したんじゃなあい?」


 覚が日和から一歩離れ、雪葵の手を振り払った。二人の間に不穏な空気が流れる。


「ね、ねえ覚。名前はなんて言うの?」


 必死に空気を変えようと日和は覚に聞く。覚はこちらを見た後、呆れたように鼻で笑う。


「何さ」

「ごめんごめん。妖に名前を聞くなんて野暮だなって思って」

「野暮?」


 日和は眉間に皺を寄せる。


「妖は相手に名前、真名まなを教えることはほとんどないんだよ。真名を知られてしまえば、相手に命を握られるようなものだからね。相手からの命令に従わなければならなくなる。それは嫌だからねぇ」


 覚が本当に嫌そうに、でもわざとらしく身震いする。命を握られるのは避けたいことだろう。


「ちなみにだけど、自分は妖姫って気軽に言わない方が良いよ。妖姫の力を欲して襲いかかってくる奴もいるからね」

「え、う、うん」


 襲われるのは遠慮したい。日和は大きく頷いた。


 覚は日和に優しく笑いかけたかと思うと、鋭い目で雪葵を見る。


「それで?君はどこまで忘れているの?まさか全部とか言わないよねぇ〜?」


 覚の言い方から二人は以前からの知り合いであることは間違いなさそうだ。雪葵は気まずそうに黙り込んでいる。覚の瞳が更に鋭くなる。けれど溜息をつくと日和と雪葵の横を通り過ぎた。


「もういいよ。自分の罪も忘れるなんてお気楽だね」

「え?」


 振り返った時にはもう覚の姿はなかった。


 無事に林檎を収穫し、屋敷までの帰り道。日和は雪葵をチラリと見る。雪葵は俯いて静かに日和の横を歩いていた。覚に言われたことを考えているのあろうか。時々呟いている。


「罪って何?僕は、何かしたの?…」


 日和はどう声をかけたら良いのかわからなかった…覚は一体何を知っているのだろう。



 夕方、屋敷に戻ってきた。雪葵は部屋に篭ってしまった。今はそっとしておくべきだろうと、雪葵を見送るとご飯の準備を始める。隣で煮物を作っている沙良に話しかける。


「沙良さん。この屋敷に書庫ってあるんですか?」

「うん、あるよ。どうしたの?」

「調べたいことがありまして」


 癪ではあるが紫苑に言われたことが気になっていた。一体、紫苑の花言葉はなんなのだろう。


「なら明日案内してあげる。ここの書庫、物凄く暗いから夜はやめていたほうが良いの」

「幽霊は出る、とかですか?」


 冗談まじりに聞いてみる。沙良は面白おかしく笑った。


「実は」

「私そういう系、平気な人なので」


 そもそも今傍に妖がいる。


「あら残念。単純に暗いと危ないだけよ、段差が多いからね。もう少し怖がってくれてもいいのに」

「すみません。ノリに乗るのは苦手なので」

「それも日和らしくて良いんじゃない?」


 沙良の笑顔に日和は安心する。日和をつまらないと言う人も昔はいたのだ。仕方ないと割り切ってはいたが、心に刺さるものがあった。それを自分らしいと肯定してくれるのはとても嬉しかった。



 翌日。朝食の後、結亜が愛華に声をかけていた。いつの間にか二人の距離が縮まっていることに嬉しくなる。愛華の身を乗り出す動作にはまだビクついているものの、かなり慣れてきているようだ。この様子なら少しの時間は愛華一人に任せても大丈夫そうだろう。


 愛華に結亜を任せ、日和は沙良の案内で屋敷から少し離れた書庫に向かった。書庫は屋敷に比べて少し古かった。地震が来たら入り口が崩れてしまいそうだ。どうか地震来ませんように心の中で祈りながら中に入った。


 入り口を入ってすぐに数段の段差がある。それを降りると床かた天井まである大きな本棚に本がびっしりと詰まっていた。日和は感嘆の溜息をこぼす。商店街の本屋でもここまでの本の量は見たことがない。


「それで、何の本を探すの?この量を一人で探すとなると日が暮れるどころじゃないから手伝うわ」

「ありがとうございます。花言葉の本です」


 大きな梯子を使ったりしながら端っこから探していく。無言で探すのも酷だ。沙良に話しかける。


「これらの本は結亜様の移動と同時期ですか?」

「いいえ。これはこの屋敷の前の主人の物らしいわ。結亜様には難しい本ばかりだし」


 言われてみればそうだ。歴史に関する本、絵画に関する本など、様々な本はあるが、幼い子が読みそうな本は見当たらない。前の主人はそういう本が好きだったようだ。


「あ、あった」


 日和が梯子に腰掛けて一冊の本を手に取る。表紙に大きく“花言葉“と書かれていた。沙良に声をかけてから本をめくる。日和は目次で紫苑の花を探す。そしてそのページを開くと…。


『君を忘れない』


 コトンと音がして沙良がこちらを覗く。日和は本を落としても動かず、ただ固まっていた。何とも言えない表情を浮かべながら。


 日和は我に返るとさっさと本を拾って本棚に戻し、梯子を降りて出口に向かう。沙良は慌てて日和を追いかけてくる。


「もういいの?」

「はい、調べたいものは調べられました。ありがとうございました」

「何の花?」

「…秘密です」


 言えない。絶対に言わない。言えば誰のことはすぐにわかってしまう。それは避けたい。


「折角だから教えてよ」

「極秘事項です」

「絶対に違うでしょ」


 口が裂けても言えない。書庫に行くんじゃなかった。本を開くんじゃなかった。日和は後悔しかしなかった。


 屋敷に戻ってくる。沙良が屋敷の扉を開く。


「只今戻りました、結亜様」


 沙良が屋敷の中に声をかけたが返事はない。それどころか静まり返っていて人の気配もしない。


 日和は嫌な予感がして結亜の部屋に走る。襖を開けたが、そこには誰もいなかった。追いかけてきた沙良が部屋の中を見て青ざめる。日和は屋敷の外に飛び出した。


 辺りを探し回る。どれだけ探してもいない。門番の武官に聞いてもこの辺りには来ていないという。


 屋敷の裏で探している時、ふと思い当たる場所があった。以前探索がてら愛華と庭を散歩していた時、屋敷の裏の柵の一部が壊れているのを見つけた。それは人が一人通れる隙間があったのだ。日和は急いでその場所に向かう。辿り着くと、その壊れた柵の前に何か落ちていた。拾い上げると、黄色のうさぎのぬいぐるみだった。

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