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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
暁ノ宮編
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第三舞 新たな旅立ち

 日和と雪葵は牛車に揺られていた。


 左右上下激しく揺れ、車輪の音はうるさく、快適とは言い難い。けれど牛車に乗る機会など滅多にない為、日和はそこそこ楽しんでいた。向かいには紫苑の側近、秋人が座っている。


 何故、日和と雪葵が秋人と共に牛車に乗っているかは二日前に遡る。



 その日の夕方。日和はいつも通り裏庭で洗濯物を取り込んでいた。雪葵は庭の水撒き用に張られた桶の水に手を付け、気持ちよさそうに掻き混ぜている。もう汗ばんでくる時期だ。もふもふ毛の雪葵には辛い季節になるだろう。


「日和〜どこ〜?」


 薫の声が聞こえる。日和は洗濯物を全て籠に入れると、それを抱えて家に戻る。


「薫お姉ちゃーん?ここだよー」


 廊下に顔を出すと薫が駆け寄ってきた。


「お客様来ているよ」

「え、私に?」

「そうそう。えっとね、道明寺様の使いっていう人だって」

「……誰?」


 薫に洗濯物を預けて怪訝な顔をしながら居間に向かう。居間をそっと覗くと、姿勢を正して座っている秋人だった。日和はほっとして中に入る。


「大変お待たせ致しました、秋人さん」


 秋人が軽く手を挙げる。


「いや、私が突然訪ねてしまったのだから気にしないでほしい」

「道明寺様って藤ノ宮様のことなんですね」

「…知らなかったのか。すまない。藤ノ宮は御苑内での呼び方であるため、外では呼び方を変えているのだ」


 日和が秋人に向かい合うように腰を下ろす。茶を出そうかと聞いたが、気にしないでくれと言われ、そのまま話を聞く。


「本当は文を出そうと考えていたのだが、直接話した方が早いだろうということになってな。紫苑様は仕事で手が離せない為、私が代理で来た」

「文…ということは、勤め先が決まったということですか?」


 日和の表情が明るくなる。それとは対照的に秋人は浮かない顔であった。日和と雪葵は同時に首を傾げる。


「どうしたんだ?あっきー」

「こら!そんな呼び方したら失礼でしょう…」

「構わない」

「なんで⁉︎」


 日和は思わず軽い口調で返してしまった。秋人は表情一つ変えない。なにを考えているのかさっぱりわからない。


「和の娘。残念ながら、良い報せはできない」

「わかっています。自分がしてしまったことの重さは十分に理解していますので」


 秋人はゆっくりと頷くと日和を見つめる。日和は緊張感で唾を飲んだ。


「…それならはっきり言うべきだろう。和の娘は御苑に戻ることはできない」


 わかっていた、覚悟はしていた。けれど、きちんと伝えられた言葉は日和に重くのしかかった。


「……そうですか」

「紫苑様は迎える用意を進めていたのだが、天皇陛下が首を縦に振ってはくださらなかった」


 秋人が申し訳なさそうに言う。日和は力なく笑う。


「いえ。それは私の責任ですので、藤ノ宮様や秋人さんが動いてくださったことだけでも有難いです」

「大したことはしていない。ただその代わりにある方に仕えてもらうことになった」

「ある方、ですか?」


 日和は首を傾げる。紫苑からの伝達ということは紫苑と関わりのある人物だろう。そんな人が御苑の外にいるのだろうか。


 秋人が外を見る。夕暮れになっていた。


「もう日が暮れる。すまないが、日が暮れる前に御苑に戻らなけばならなくてな。詳しい話は移動中にしたいのだが良いだろうか」

「構いません」

「できれば明日の朝、迎えに来たいのだが行けるだろうか?突然のことである為、準備ができないというのであれば明後日でも構わないが」


 謙虚な人だなと思う。主とは大違いだ。日和は首を横に振る。


「いえ、明日で大丈夫です。一晩あれば準備を終えられますから。あと、お迎えいただかなくて構いません。道を教えていただきましたら歩いて行きますので」

「ここから歩けば丸二日ほどかかるのだが、行けそうか?」


 日和は衝撃を受ける。丸二日歩くのも野宿もしんどい。


「なら雪葵の背中に乗せてもらったら…」

「僕そんなに歩けないよ〜」


 雪葵がだらけながら言う。日和に他の手段は思いつかない。諦めて秋人に頭を下げる。


「……秋人さん、よろしくお願い致します」


 その夜。日和は自室で荷造りをしていた。雪葵は寝台の上で丸まっている。荷造りといっても、最低限の着替えくらいで袋はスカスカである。


「日和、入るよ」

「凛杏お姉ちゃん。どうぞー」


 凛杏が日和の部屋に顔を覗かせた。手には今にも破れてしまいそうな程膨れ上がった風呂敷があった。


「え、なにそれ」

「ん。化粧品。必要でしょ」


 凛杏が風呂敷の結び目を解くと様々な化粧品が現れた。日和は拒否する。


「いやいらないよ。いつ使うの」


「毎日。もう十六なんだから薄化粧くらいしなさいな。後もしもの為に少し濃いめのも入れてる」

「もしもって。使わないと思うけどなあ」


 凛杏は風呂敷をまた結ぶと日和に持たせる。


「舞台芸者である私達にとって化粧は表情を伝えるもの。遠くから観てくれているお客さんにも表情がはっきりと伝わらないといけない。それには濃いめの化粧をすることが大切」

「それは知ってるけど、まず舞台に立つことがあるかどうか…」

「わからないだろうけど、もしもの場合に備えていて損はないよ。だから持っておきなさい」


 凛杏の言うことは最もである。日和は仕方なしに頷いた。


「わかった」

「ん。良い子」

「日和〜。あれ、凛杏もいた」

「薫お姉ちゃん」


 薫がズカズカと部屋に入ってくる。薫の大きな声に反応してか、雪葵の耳がぴくりと動く。それを知らない薫の手には分厚い紙の束があった。


「なにそれ」

「便箋。家にずっと置いてあったやつたまたま見つけたの!はい!」


 薫に便箋の束を渡される。かなりの重さだ。一体何十枚あるのだろう。


「寂しくなるから文送ってね!」

「姉さん。こんなに重たい物持たせてあげないで。日和の腕が可哀想」

「化粧品もなかなか重いよ。でも大丈夫。文送るね」


 日和が微笑むと薫が飛びついてくる。寸前で薫の襟が引っ張られた。


「なにしてんの」

「あ、光〜。只今男子禁制で〜す」

「違うから。どうしたの、兄さん」

「日和にこれ渡しておこうと思って」


 光から赤色の小さな袋を受け取る。


「袋?」

「御守りとして持っていて。母さんから預かった物なんだけど、家を出る日和に渡しておきたくて」

「お母さんから?」


 日和が少し身を乗り出す。光は笑う。


「そうだよ。母さんがこれは、危険なことから守ってくれる御守りだって教えてくれたんだ」

「…ありがとう」


 日和は御守りを見つめる。そして大切そうに両手で包み込んだ。

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