第二舞 雫
胸元の鈴が頭に鳴り響くと同時に頭の中に声も響いてきた。
『雫…』
(雫?)
雪男を見ると首筋に桜の紋章が現れている。雪男は自身の掌を見つめた。
「…縁」
その拳を強く握り締めると前を向く。
「やるぞ。さっさと片付ける」
「…うん!」
「まだやんのか?本気で殺っちまうぞ」
角妖が飛びがり、鷹のような速さで日和に襲いかかってくる。日和はギリギリで避け、地面に転がる。雪男は角妖に迫り、掌を角妖にかざした。冷気が溢れ、吹雪が放たれる。
角妖の背中が微かに凍った。けれどそれだけでは動きは封じられない。角妖が大きく体を動かし背中の氷を破壊する。その勢いのまま雪男に攻撃を向けた。雪男は氷の盾を作り出し、攻撃を凌ぐ。
その間に日和は必死に頭を働かす。攻撃はできないし、避けることで精一杯な日和にできること。日和は札を見つめる。果莉弥から貰った物。果莉弥の言葉を思い出す。
『この札は使う人によって発揮される力も変化するの。妖力が強い人が使えば札の力も強くなる。私の場合、ほとんど妖力を持っていないから、この札はただの紙切れと同然なの。だから日和に託すわ』
『私も妖力が強いわけではないのですが…』
『私よりかは妖力を持っているわ。少しでも妖力の強い人に使って欲しいのよ』
日和は札に強く想いを込めると、角妖に向かって投げつける。
「慈光刻詞唱!」
頭に流れてきた呪文を口に出す。札が角妖に貼りつく。角妖の動きが鈍る。それだけだった。祓うことはできなかった。それでも構わなかった。一瞬の隙を作れたのだから。
「氷槍一閃!」
雪男は氷の槍を投げつけ、角妖に貫通する。角妖は槍の勢いで地面に叩きつけられた。
「ぐぁっ!このっ野郎!」
角妖が激しくもがく。槍は地面に突き刺さり抜けない。力を使い果たし、地面に落ちていく雪男が叫んだ。
「九尾!やれ!」
雪男が大きな音を立てて瓦礫の中に墜落した。けれど雪男の言葉に応えるように白い影が日和の横をさっと通り抜ける。そして雪葵が角妖に噛みついた。
「ぐはっ。おのれ!同じ妖でありながら俺を祓うとはああ!」
角妖が苦しそうにしつつこちらを睨みつける。角妖は自分の角を折ると、腕を大きく振りかぶり、日和に向けて投げ放った。その速さに誰も足が動かない。
「っ!」
角が日和の目の前に迫った瞬間だった。
「氷結!」
カンッ。
角が力のない音を立てて跳ね返り、地面に転がる。日和は氷に包まれていた。
「なっ!」
雪葵が牙に一層、力を込める。角妖は顔を歪ませる。
「ぐあああああ‼︎」
角妖は大きく悲痛な叫び声と共に黒いもやとなって消えていった。
雪葵はばっと振り返ると日和の元に駆けつける。そして爪で日和を覆う氷を削り始めた。しかし、少しずつしか削れない。
「グゥゥゥ」
雪葵は唸りながら氷を削り続ける。
「…落ち着け」
瓦礫に埋もれた雪男が顔を出す。力がほとんど残っておらず、脱出できない。
「…どうして日和を凍らしたの」
雪葵が低く呟く。静かな憤りを感じられた。
「俺達は日和の元に駆け寄れなかった。こうするしかなかったんだ。日和には影響はないから安心してくれ」
「じゃあ早く日和を解放して」
「…悪い。力を使い切った。氷を消すことができない」
「っ!」
雪葵は雪男の埋もれている瓦礫をどけ、雪男に顔を近づけて強く睨みつける。雪男は顔色一つ変えない。
「どうするんだよ」
「お前が氷を溶かせ」
「…何言ってんだ」
「九尾の狐は炎を操る。だからお前の炎で氷を溶かせと言っているんだ」
先程までの怖い顔が消え去り、雪葵がきょとんとする。雪男は深い溜息をついた。
「本当に何も覚えてないんだな」
「なんだよ、悪いか!」
「どう考えても悪いだろ。八妖樹である者が自分の地位も力も忘れやがって」
「仕方ないじゃん!覚えていないものは知らない!」
「開き直るな!」
思わず雪男の声が大きくなる。軽く溜息つくと雪葵を見た。
「とにかく、お前は炎を扱える。頭で炎と念じながら口から放ってみろ」
雪葵は不満に思いながらも日和の前にたち、頭で炎を念じる。そして大きく息を吸うと、氷に向かって吹き出した。残念ながら何も出ていない。
「嘘つきー!」
「お前が下手なだけだろう。もっと集中しろ」
(炎を吹き出す炎炎。日和を助ける日和を助ける僕ならできるできる…)
「ふー!」
ボアッ!
雪葵の口から大きな炎が放たれる。そしてあっという間に日和を覆う氷を包んだ。
「うわあ!日和が燃えちゃう!」
雪葵が慌てて走り回る。雪男がよろよろと立ち上がって日和に近づく。
「お前、日和を助けたいって思ったか?」
「思ったに決まってるよぉー!」
「なら大丈夫だ。落ち着いて待ってろ」
雪葵の言う通り待っていると、氷が全て溶け、気を失った日和が現れた。火傷は見当たらない。
「うわーん!良かったよお!」
「優しくしろよ」
雪葵は日和を強く抱き締めた。
目が覚めた日和は雪葵の膝枕で横になっていた。途中から記憶は消えている。妖の角が飛んできて避けられないと思ったところまでしか覚えていない。怪我はしていないようだった。
「…妖は…」
ゆっくりと起き上がる。見晴らしが良く、屋根の上であることがわかった。
「もう祓ったよぉ〜。日和が無事で良かったぁ」
「ありがとうね、雪葵。体は大丈夫なの?」
「うん。ちょっと気を失っちゃったけどもう平気だよ」
「良かった」
日和は二人から少し離れた所に座っている雪男を見る。雪男は横目でこちらを見ると視線を前に戻す。
立ち上がって雪男の隣に腰を下ろした。怪訝な顔をされる。
「なんだ」
「雫、だよね?名前」
「っ!…」
雪男は何も答えない。それは肯定を意味していた。
「縁を結んだ時、誰かの声が聞こえたの。雫って呼んでいた」
「…声、か」
雫の表情が少し和らぐ。しかしそれは一瞬で戻る。
「それはきっと初代妖姫の声だろう」
「初代…?」
「あぁ」
妖姫が生まれたのが八百年前。そう教えてくれたのも雫だ。彼は妖姫に詳しい。
「雫は初代妖姫のことを知っているの?」
雫は目を逸らす。少しして静かに頷いた。
「そうだ。俺は今まで全ての妖姫と出会っている」
「全て?」
「あぁ、何百人とだ。それが俺の使命だからな」
雫の瞳の光が暗かった。それが気になって問いかける。
「使命って?」
「妖姫を補助すること。必要であれば力を貸すこと」
「…初代と約束したの?」
「……そうだ」
雫が立ち上がる。そして追い払うかのように手をひらひらさせる。
「もういいだろう。帰れ」
「まだ話聞きたいんだけど…」
「日和!お使い行かなきゃ」
日和はハッとする。光からのお使いをすっかり忘れていた。急いで立ち上がる。
「また話聞かせてね!雫!」
「名を呼ぶな。あまり呼ばれたくない」
「えぇ?わ、わかった」
とりあえず手を振って日和と雪葵は路地から消えていった。雫は座り直すと空を見上げた。
「…琴葉。俺はいつまでこんな嫌なことをし続けなければならない」
妖は元は生を受けた生き物だ。人間や動物、虫もそう。生を受けた生き物が死に、未練を強く感じている者が妖となり、この世に舞い戻る。
雫もその一人だ。けれど彼に人間の頃の記憶はなかった。雫はそれを恐怖に感じ、なるべく一人になりたいと他者との関わりを絶っていた。
琴葉はそんな雫にも優しく接してくれた。どんなに雫が冷たくても無視しても琴葉は決して諦めず笑顔で話しかけてきた。いつしか雫は琴葉に心を許していた。琴葉も雫を信頼して妖姫の補助を頼んだのだろう。雫は琴葉の両手を握り、強く頷いていた。今になってその使命がどれだけ辛いものか痛いほどわかる。しかし、その時の彼女の笑顔は永久に忘れられないものであった。




