第一舞 弱気
青い空に流れる雲。久々の青空に日和は目を細めた。ここ最近雨や曇りが続いており、なんとも憂鬱な日々だった。
寝台を降りると布団を整えて部屋を出る。そして倉庫に行くと箒とちりとりを取り出し、家の前を掃き始める。雪葵も落ち葉を咥えてはちりとりに入れてくれる。家の前の掃除が日和の日課だ。
日和は箒の手を止める。そして溜息をついた。
「どうしたの?日和」
雪葵が日和を見上げる。日和は雪葵に顔を近づける。
「藤ノ宮様から全然文が来てないじゃん?実は嘘でしたーとか話なくなりましたーとか言われそうで嫌なんだよね」
日和を御苑に戻す。紫苑と契りを交わした日からはや数週間が経っていた。
宴会の後、紫苑は突如有明の館に現れた。そして叔父や叔母と交渉し、日和は再び貴族の元に勤めることになった。ただ勤め先はまだ決まっていないらしく、決まれば文を送ると言われた。しかし、全く来ない。日和としては不安が募る一方だ。
「確かにあの黒妖祓師なら言いかねない」
「やめてよ、本当になくなりそうじゃん。というかそろそろ“黒“つけるのやめたら?」
「あいつは絶対黒だよ。いつか僕を祓うに決まってる」
雪葵が頬を膨らませる。問答無用に祓われかけているから気持ちはわかる。けれど今のところ、雪葵の力が必要ではあるため、そこまで毛嫌いしなくても良いだろうにとも思う。
「あ、いたいた。日和ー」
「光お兄ちゃん」
光が家から顔を覗かせる。日和は駆け寄った。
「悪いんだけどお使い頼んでも良い?皆んなちょっと手が離せなくって。いや一人は寝ているんだけど」
貴族が来客してからというものの、その話が広がったのか、劇場に客足が少し戻ってきていた。その中には新規の客も見受けられる。皆、貴族が貸し切ってまで見た芸がどんなものなのか興味があるのだろう。そのお陰で芸者も裏方も毎日忙しくなっている。今はほぼ毎日公演を行うほどだ。
寝ているのは薫だろう。彼女は時間ギリギリまで寝ていることが多い。
「大丈夫だよ。何買えば良い?」
「綿の布を一丈ほどお願いできる?」
「了解」
日和は光から銀を受け取ると、箒とちりとりを片付けて花の商店街に向かった。
雪葵と共に商店街を歩き回る。布を取り扱う店は花盛りの街から一番離れた場所に位置している。そのため
折角だからと商店街を見て行くことにした。
「日和!お団子あるよ!お団子!」
雪葵がお団子屋の前ではしゃぐ。以前食べたのがお気に入りになったらしい。
「今買ったら冷めちゃうでしょ。帰りに残ってたらねー」
「えー今食べるから大丈夫だよ〜」
「お金足りなくなるかもしれないしだめ」
「やだやだ!」
「だめです」
「やだやだやだあ!」
駄々をこねる雪葵を横目に歩いていく。見て回るといっても日和もこの後仕事があるのでのんびりはしていられない。少し見て歩いたら早めに戻ろう。
突然背筋がゾワっとした。初めての感覚だが、日和は思わず振り返る。特に怪しいものは見つからない。雪葵が日和に駆けてきた。
「今のって…」
「日和も感じた?多分妖だよ。まだ近くにいる」
周りを警戒しながら見渡す。初めての感覚に日和は戸惑っていた。殺気にも似た感覚。妖を感じる、というのは良い気分はしない。
「日和、あっち!」
雪葵が走り出す。日和は我に返ると急いで後を追った。
大通りがざわついている。時々悲鳴も聞こえる。日和が雪葵に追いつくと、四足歩行する人間があちこちで暴れているのが見えた。妖だ。肌に突き刺さるような感覚がある。
「雪葵!あいつを人気のない所へ!」
「うん!」
雪葵は大きくなると妖に噛みつこうとする。けれど、妖の動きは素早く、なかなか捕まえられない。
「グゥゥ!」
雪葵が苛立ちを見せた時、空気がひんやりとした。かと思うと後ろから凄まじい吹雪が吹き荒れ、妖を奥の路地裏に吹き飛ばした。日和と雪葵はその後を追う。
路地裏の奥に駆け込む。妖は屋根の上を睨んでいた。
「雪男!」
「…お前らか」
雪男が呆れたように呟く。また来たのかと言うように。
「なんだあ?俺と殺ろうってか?」
頭に角が生やした人間姿の妖が邪悪な笑みを浮かべている。雪男が冷気を纏わせた手を角妖に向ける。
「人間に危害を加えるのあれば見過ごすことはできない」
雪男は地面を強く蹴って角妖に急接近する。けれど、角妖はにやっと笑ったかと思うと軽々と避ける。雪男は冷静に角妖を捉え、氷で槍を作り出すと投げつける。氷の槍は角妖の頬を掠る。お互いに地面に着地して睨み合う。
角妖の身体能力が高いのが見ればわかる。日和が今まで対峙してきた妖よりも遥かに強い。それについていっている雪男も凄い。妖同士の戦いはこんなに激しく息を呑むものなのか。そう思うと足がすくんで動けない。
それは雪葵も同じだった。同じ妖でここまで動きが違う。自分の弱さに気づく。自分が加勢すれば確実に足手纏いになる。そう思うと足が動かなかった。
激しい戦闘は続いていく。日和達は路地の隅で見守っていた。角妖が雪男を無視して建物を壊す。瓦礫が日和達めがけて落ちてくる。
「えっ…」
「くそっ」
雪男が日和に駆け寄ろうとする。それが隙となった。角妖は硬い拳を雪男の腹に捻り込み、雪男は建物に吹っ飛ばされる。
ダダダダンッッッ‼︎
激しい瓦礫の音と砂埃が舞う。日和は何も痛みを感じなかった。恐る恐る顔を上げて絶句する。そこにはやわらかな白い毛並みが見えた。その奥の地面に瓦礫が転がっているのも見える。
「雪葵…?」
返事はない。雪葵はよろけたかと思うと、子狐に戻り日和の足元で倒れる。雪葵の体は瓦礫を受けてボロボロになっていた。
「雪葵…。ごめん…」
日和は雪葵を抱き寄せて呟く。自分は何もできなくてまた助けられて傷つけた。申し訳なく思うと同時に悔しい。
「庇った奴に謝る暇があるなら立て。今やることは謝ることじゃない。お前が妖姫であるというのならば、役割を全うしようというのなら態度で見せろ」
瓦礫を抜け出し、ボロボロになった雪男が説教する。雪男はふらつきながら立ち上がったが、日和は座り込んだままだった。
「妖姫って何よ。私には何もできない。力だってない」
「それならこのまま死ぬか?」
日和の弱気な発言に雪男は同情しなかった。角妖から殺気が滲み出ている。逃げ切れる自信はない。しかし戦う術もない。どうしたら良いのか日和にはわからない。
「妖姫だから特別な力を持っている、というわけではないだろ。だが、もう後戻りできないと言ったのはお前だ。なら覚悟を見せろ。それができたなら後は俺がなんとかしてやる。それが八妖樹の役目だ」
雪男の心強い言葉にハッとする。責任を負うと決めたのは自分だ。だからと言って強くなれるわけではない。それでも、どうにかしなければ、という思いを諦めてはいけない。弱気でいたら死ぬだけだ。
日和は立ち上がる。そして雪男の横に並び札を構えた。
「わかった。頼んだよ」
「あぁ」
シャラン。
胸元の鈴が静かに頭に鳴り響いた。




