第四十一舞 再会
数日後。昼間から有明の館では準備が進められていた。貴族が来る、ということでかなり大騒ぎになっている。舞台が始まるのは夕方。それまでに準備を終わらせる為、皆慌ただしく走り回っている。
劇場が豪華な装飾が施されていく。特に目立つのは銀の飾りだ。銀の装飾は高価なもの。これがあるということは、昔この劇場がとても栄えていたことを意味する。劇場でこんな豪勢なことができるのはこれが最後かもしれない。日和はそう思うとなんだか寂しく感じて劇場の準備を手伝いに広間に向かった。
「何か手伝うことない?」
準備中の人達に声をかけると、皆が目を見開く。
「今回、日和は芸者でしょ。そっちの準備をしなさいな」
「いや、でも…」
「でもじゃねえよ。ほら、準備してこい」
「…ちぇ」
追い出され、日和は膨れるが誰も相手してくれない。ここに年下がいてくれれば少しは相手してくれていただろうか。ぶつぶつ文句を言いながら楽屋に向かう。
「ここからは雪葵は入るの禁止。客席で見ててよ」
「ええ!僕も一緒に行く!」
「だーめ。特等席取っといてあげるから、そこで見てて」
「特等席⁉︎わかった!」
目を輝かせる雪葵に単純な子で良かったと感じたのであった。
雪葵と分かれ、楽屋に到着する。楽屋は光、薫、凛杏以外は芸一つに対し一つ与えられる。その為、日和は一緒に舞踊を披露する子達四人と同じ部屋である。楽屋の扉を開けると中にいた人達がこちらを見る。そのうちの一人、芽衣が駆けてくる。芽衣は日和より年下の舞踊の先導者である。
「どこ行っていたんですか日和さん!今から予行演習なんですよ!」
「あーごめん」
「ほら早く、着替えますよ!」
手を引かれ、部屋の中に連れて行かれる。他の芸者達は既に着替え終えていた。白を基調とした衣装だ。けれど、日和の前に持ってこられたのは薄紫色を基調とした衣装である。日和は芽衣を見る。
「私がこれ着るの?芽衣じゃなくて?」
「はい。今回は日和さんを中心に踊ることになりました。薫さんにお願いされたんです」
抜け目ない人だなーと日和は溜息をつきながら感心した。断ることはできないだろう。日和は頷くと、衣装に袖を通した。
日が傾いた頃、何台ものの牛車がある劇場に到着する。牛車は貴族の足とも呼べる移動手段だ。その為、牛車が走っているということは貴族が来ているという証拠。花盛りの街に貴族が来るのは珍しく、街の人々は驚き、
慌てて道を開けていた。
今回は貴族が何十名も来るらしい。入り口で出迎えている女子達は緊張した顔をしていた。
官僚達より早く着いた紫苑は渋々牛車を降りる。その後に秋人が降り、扉を閉める。
「やっぱり屋敷に戻る。興味のないものを観るくらいなら寝たい」
「ここまで来てどうやってお帰りになるおつもりですか?行きますよ」
「そうよ。折角なんだから行きましょうよ」
別の牛車から降りてきた果莉弥が紫苑の腕を取って劇場に引っ張っていく。
「お、おい待て果莉弥!」
「ふふふっ」
困っている紫苑と楽しそうな果莉弥を見て、遠子は微笑む。
「本当に仲がよろしいですね、あの方々は」
「全くだ。周りに人がいる時はもう少し礼儀良くしてほしいものだが」
「そんなこと言いながら本当は秋人さんもあちらに混ざりたいのでしょう?」
柔らかく微笑んでいる秋人が遠子を観る。遠子は暖かい笑みを浮かべていた。
「何を言うか」
「ふふっ、知っていますから。皆様が仲良くはしゃいでいたことを」
小さな男の子二人と女の子が一人、庭を駆け回っている情景が思い出される。楽しそうな声と駆ける足音。あの頃は何も知らなかった。何も…。
「…貴族よりも遠子が一番しっかりしているな」
「あら、そんなことありませんよ」
「秋人ー、遠子ー。早く行くわよー」
「呼ばれちゃいましたね。行きましょうか」
遠子が歩き出す。秋人は空を仰ぐと遠子に続いた。
劇場はとても豪華だった。老舗と聞いていたが全くそんな気はしない。広間は広く、公演の場も大きかった。
今回は宴会をしつつ伝統芸能を鑑賞する、という贅沢な会である。
紫苑が一番後ろの席に腰を下ろす。終わったら速攻帰る、という意味だろう。秋人は仕方なく紫苑の横に座る。その反対隣に果莉弥も座り、その隣に遠子が座る。
少しして他の貴族達が入ってくる。御苑外の貴族で顔見知りはほとんどいない。目が合うたびに軽く会釈する。こんな広大な劇場で一番後ろに座っているのは不審だろう。そんな目で見られた。
照明が薄暗くなり、幕の下りた舞台だけに照明が照らされる。芸が始まるようだ。幕が上がると箏を前にして座っている女性が三人。息の合った動きと音楽で初めから世界観を作り出す。
次に現れたのは濃い化粧をした人。歌舞伎である。迫力のある演技と男性とは思えない華奢な女性の演技に圧倒された。
その次には一人の女性が中央で座布団に座っている。その後ろには三味線を持った人が座り、音楽を奏で始める。中央の女性がのびのびとした声で歌い出す。懐かしい唄もよく聞く唄もいくつかあった。童心に返ったような気持ちにさせてくれる。
その中で紫苑はつまらなかった。食べる気にもならない。楽しそうな宴会がただ辛い。
やっと最後の演目になった。舞踊らしい。周りからひそひそと声が聞こえてくる。
「ここの三大芸者はもう出てしまったよな」
「そうよね。なら最後はそんなに見所ないわね」
「順番間違えたよな。三代芸者を最後にしとけりゃ良かったのに」
あまり魅力はなさそうだ。紫苑は更に興味をなくす。舞踊…。瞼の裏にいる一人の少女が浮かび上がる。
元気にしているのだろうか。無理やり連れてこられた御苑を出ることができて喜んでいるだろうか。紫苑は重い息を吐く。こんな思いになったのはいつぶりだろうか。そんなことを考えていると音楽が聞こえてくる。舞踊が始まったようだ。紫苑は見る気もなく俯いていた。
次の瞬間。空気が変わったのがわかった。何かに包まれる優しい感触。周りからは感嘆の溜息が聞こえてくる。紫苑は目を見開く。知っている、この空気を知っている。しかしそんなはずはない。
紫苑は顔を上げ、舞台を見た。ハッとする。舞台には五人の踊り子。けれど紫苑の瞳は真ん中にいる薄紫色の衣装を着た少女しか捉えていなかった。
さらさらと綺麗に揺れる透き通った長い黒髪。衣装の袖からちらりと見える白い腕はしなやかに空気を踊らす。長いまつ毛と血色の良い薄桃色の唇は色っぽさを出している。その姿はまさに空を舞う天女であった。
見惚れているうちに舞踊を終わりを迎えた。踊り子が一礼し、舞台袖に消えていく。紫苑は暫く固まっていた。すると背中を二回叩かれる。一つは左から、もう一つは右から。紫苑はその手に背中を押されるように立ち上がると、公演の場を飛び出した。秋人は頷き、果莉弥と遠子は見る。二人とも微笑んでいた。遠子の目には薄らと涙が浮かんでいる。秋人も微笑んだ。




