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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
紅ノ宮編
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第四十舞 朗報

 日和の解雇から十日。紫苑の机には山積みの書類に散らかった書類に判子。紫苑は積み上がった一番上の書類を手に取り、溜息をつきながら内容を確認する。


 正確に言えば読もうとしている。けれど内容が全く頭に入ってこない。何回読んでも意味が理解できない。紫苑はまた溜息をつく。


 こんな感じでこの十日間、紫苑はほとんど仕事が手についていない。おかげで机がこの有り様になっていた。片付かず溜まる一方。


 その仕事を紫苑の代わりに秋人がいくつかこなしてくれているのを知っている。でも秋人の本業は武官だ。並行してくれているのは有難いが申し訳ない。


「すまない、秋人」

「そう思いになるのでしたら仕事をしてください。あの書類に書いた事案はどうなったんだとたくさんの苦情が寄せられています」

「…悪い」


 秋人は他の屋敷の側近や侍女とは違う。基本、主が謝れば謙遜するだろう。しかし秋人はちゃんと注意する。それはただの主従関係ではないからだろうか。どちらにせよ、秋人は甘やかしてはくれないので、紫苑は項垂れることになる。


 執務室の襖が開く。見ると果莉弥と遠子だった。


「失礼するわね」


 果莉弥が許可を聞く前にさっさと中に入ってくる。遠子は丁寧に一礼してから果莉弥に続いた。


「やっぱり。こんなに書類を溜め込んでいたのね。おかげで私の方にも仕事が来なくなっているわ。なのにまだかって苦情がくるものだからどうしたらいいのか困ったものよ」

「…」


 今の紫苑に言い返すことはできない。自分のせいで他の貴族にまで迷惑をかけている。それは許されることではない。


「外部からの仕事がほとんど最初に貴方の所に行くっていう訳のわからない制度ができてしまっているんだから、ちゃんとしてちょうだい。この中から私の仕事に関係する書類だけ持っていくわ。それで少しは貴方も楽になるでしょう」

「…別に好きで全ての仕事を取り込んでいるんじゃない。誰かが変な制度を作るせいだ。仲介者になるとは言ったが全ての仕事の、とは言っていない」

「はいはい」


 紫苑の力ない文句を果莉弥はさらりと受け流す。そして遠子に指示を出す。遠子は軽く一礼をして書類を仕分け始める。秋人もそれを手伝う。果莉弥は紫苑の近くに座る。


「いつでも仕事優先にしている貴方らしくないわね。そんなに日和を解雇にしたこと、後悔しているの?」

「…あいつは関係ないだろ」

「図星と」

「おい…」


 答え方にも切れがない。果莉弥は呆れつつも少し嬉しさも感じた。


「仕事が滞るのは困るけど、適度に自分を優先させていいのよ。息抜きだって必要なのだから」


 仕分けが終わったのか、秋人が紫苑を向く。


「紫苑様。伝統芸能を鑑賞しに行くのはいかがでしょうか」

「あらいいじゃない!行きましょうよ!」

「秋人さん、アテがあるのですか?」

「あぁ」


 果莉弥も遠子も嬉しそうに騒ぎ出す。紫苑はジトっと秋人を見る。


「…お前、嫌がらせか?」

「息抜きに良いと思いますよ」


 周りのキラキラした雰囲気に紫苑はただただ肩を落とすしかなかった。



 日和が有明の館に帰って来てから十四日が経った。今日は劇場の公演は休みである。ということで皆、家でだらけていた。


 特に薫は色気のある姿で寝転んでいた。叔父がいないのは幸いだろう。光は呆れている。


「薫。みっともないから身だしなみちゃんとして。それじゃ、お嫁に行けないよ」

「ふーんだ。光だってもっとガッチリした体にならないとお嫁貰えないよ」


 毎日こんなやりとりが続いている。光は毎日この光景を見ているため、呆れるしかない。それは男としてどうかとも思うが、それが光らしい。だが、確かにいつも空いている時間は読書ばかりしているせいか体はひょろりとしている。簡単に折れてしまうそうだ。


「僕のことはいいの。…とは言ってもちゃんと今後どうするか考えた方が良いかもね」

「?どういうこと?」


 日和が首を傾げると凛杏が教えてくれる。


「最近、劇場の客足が遠のいているのは知っているでしょう?その客足の中で特に常連の方が来なくなってきている。けれど新たな文化が生まれつつある今の時代に新たな客を呼ぶのが難しいんじゃないかって言われている」

「新たな文化に対応していくべきなんだろうけど、そんな簡単にできることじゃないしね」

「最悪、劇場を畳むことも考えているんだって〜。だから今後のこと考えていた方が良いってさ〜。もう嫌になっちゃうよ」


 薫が深い溜息をつく。今まで芸一筋でやってきていた兄妹にとって別の仕事を探す、というのは酷だった。他の芸者達も困るだろう。日和も裏方の仕事がなくなる為、何か仕事を見つけなければならなくなる。


「光お兄ちゃんは本屋で働いていそう」

「それはありだね。凛杏は楽器に関わるのとか良さそう」

「楽しそう。姉さんは子供を喜ばせることやってるかもね」

「仕事になるかなあ。日和はー何やってるかな?」

「私かー」


 日和には趣味もないし特技もない。自分が劇場以外で何をやっているか想像がつかなかった。


 四人が話していると玄関から騒がしい音が近づいてきて、四人のいる部屋で止まる。日和の眉がピクッと動いた。


「お前達!仕事だ!貴族の方からの依頼で…」


 叔父の嬉しそうに叫んでいたが、ジトリと見つめる三女を見つけ、瞬時に顔を青くする。


 日和は叔父に近づくと問答無用に固い拳で殴った。後ろから追いかけてきたであろう叔母が意識のない叔父を見て、小さく悲鳴を上げた。日和の後ろからは「あはは…」と乾いた笑い声が聞こえてきた。


 暫くして叔父が意識を取り戻す。日和は部屋の隅にいた。


「それで叔父さん。貴族の方からの仕事だって?」


 誰一人、叔父の心配をしない所は可哀想だが、日和とて心配するつもりはない。それどころか後二回は殴らなければ気が済まないのだ。叔父は飛び起きる。


「そうなんだ!劇場貸切という依頼だ!こんなの初めてじゃないか!」

「そんな方達の前で芸できるの⁉︎嬉しいー!」


 薫が大きく飛び跳ねて喜ぶ。光も凛杏も満更でもなかった。


「日和も出ようね!」

「え」


 薫のキラキラした瞳に日和は全力で首を横に振る。


「無理無理無理!お兄ちゃんお姉ちゃんと同じ舞台になんて立てないよ!」

「でも日和。御苑で踊る機会あったんだよね?」


 光も聞いてくる。凛杏も真剣な眼差しでこちらを見ている。三人とも日和を舞台に上げるつもりだ。冗談じゃない。


「あそこはあそこ。ここはここ。私が舞台に立てば悪目立ちしちゃうよ」

「そんなことないよ。一緒に立てるよ」


 光の言葉に日和は首を振る。


「全然練習してないし…」

「そんなの日和なら大丈夫だよ!才能がばぁんと助けてくれるよ」

「何その表現」


 凛杏が目を細める。


「…私に才能なんてない。そもそもいつも裏方の私が舞台に上がるなんて…」

「日和」


 凛杏が静かに名前を呼ぶ。日和は言葉を止め、俯く。凛杏が優しく日和の肩に手を置く。


「御苑で踊った時どうだった?」


 日和は息を吸う。あの時は…。


「…楽しかった…」

「それならここでも大丈夫」

「でももしお兄ちゃんやお姉ちゃんと比べられたら…」

「私は私だし、日和は日和だよ。どちらが良いとか悪いとか、そんなのない。もし誰かが比べて文句言うようなら例えそれが貴族であっても殴ってあげる」

「凛杏の拳じゃ頼りないから私が殴ってあげるよ!」

「いや殴るのは良くないから…でも注意くらいはしようかな」

「お兄ちゃん、お姉ちゃん…」


 日和は兄妹を見る。まだ舞台に立つのに不安はある。けれど彼らがいてくるのなら。日和は頷いた。


「…ありがとう。わかった」


 凛杏が頭を撫でてくれた。



 自分の部屋に戻って床に寝転ぶ。雪葵が人間姿で横に並ぶ。


「日和は、踊り下手だと思っているの?」


 雪葵の悪気のない質問に日和は少し不機嫌になる。


「…そりゃあ踊りをしたことない人よりかは上手だとは思っているよ。昔からやっているんだから」

「確かに日和の踊り、とっても綺麗なんでしょ?誰よりも一番!」

「そんなことないんだよ」


 雪葵が不思議そうに日和を見る。日和は不安な顔で俯く。


「劇場の芸者達には到底敵わない。本気で仕事プロとしてやっているんだ。けど私は趣味でやっているようなもの。同じ舞台なんて…正直怖い。お兄ちゃん達はああ言ってくれたけど、比べられるに決まっている。そんなのもうたくさんだ…」


『大した才能ないくせに』


 日和の頭に昔の誰かの声が響く。陰から聞こえてくるひそひそ声。心臓を刺すかのような冷ややかな視線。


 かつての有明の館は戦争のように芸者同士がぶつかり合っていた。技術で競い合う者もいれば、他人の足を引っ張り蹴落とす卑怯な者もいた。日和の方が震える。


「僕は皆んな凄いと思うな。比べられないよ」

「…素人だから、そんなこと言えるんだ」

「そうだね。でも貴族だって伝統芸能に関してはほとんどが素人でしょ?」


 日和が顔を上げる。雪葵が満面の笑みを浮かべて、両手で日和の頬を挟む。


「むっ」

「誰にも比べられないって。だってわかんないもん。そんなに固く考えなくてもいいんじゃない?」


 雪葵の笑顔を見ていると、言葉を聞いていると胸がスッとする感じがした。日和は雪葵の頭を撫でる。


「ありがとう、雪葵」

「えへへ」


 雪葵が嬉しそうにニコニコする。耳と尻尾がぴょこぴょこ動いている。


「頑張るよ」

「うん!」


 日和は外を見る。灯りがついている街にしては星が見える夜だった。

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