第三十六舞 処罰
紫苑の執務室は逃げ出したくなるほど静かだった。。誰も何も言わずただ真っ赤に腫れた右頬に湿布を貼った日和と佳奈子を見ている。心配する表情や厳しい表情、睨みつける表情、色々な表情が日和と佳奈子に集中している。日和は何故か落ち着いていた。反対に佳奈子は怯えていた。いつも微笑んでいる人に睨まれているのだ。あの顔に睨まれたら怖いのはわかる。日和は嫌な意味で慣れてしまったが。
「説明してちょうだい」
厳しめの口を開いたのは果莉弥。佳奈子は俯き、泣くのを我慢していて答える余裕はなさそうだ。仕方なく日和が口を開こうとしたが、その前に紫苑が口を開いた。
「説明など必要ない。あそこまで大事を起こしたのだ。どんな理由があろうと二人ともただで済むと思わない方が良い」
「藤ノ宮」
真琴が紫苑を止めようと声を掛ける。けれどその声を遮るように日和が言った。
「承知しております。どんな処罰もお受け致します」
「日和!」
真菜が叫び、前に出ようとするのを遠子が制止する。真菜も何故か涙を浮かべていた。真菜が泣くことはないだろうに。本当に優しい人だ、と日和は思った。
「良い覚悟だな」
紫苑はある処罰を二人に下した。それを黙って受けるしかなかった。
日和と佳奈子が部屋を去った後、突然真菜が紫苑と真琴、果莉弥の前に飛び出し、床につくほどに頭を下げる。
「どうかお願い致します!日和の話を聞いてあげてください!確かに手を出したことは悪いことです!ですが、日和は果莉弥様や私達のために…」
「真菜」
遠子が真菜の背中に手を置く。真菜は号泣する。果莉弥も眉を下げていた。そして紫苑を見る。
「真菜の言葉も一理あるわ。叱らなければならないことだけど、だからといって何も聞かずに処罰を下すなんて、あまりに横暴だったのではないかしらね…」
「そうだな。話してくれないか?」
真琴が真菜を見て言う。
真菜は涙を流しながら見た事を全て伝えた。果莉弥も真琴も遠子を時々目を見開いたり目を伏せたりして話を聞いていた。紫苑と秋人は無表情のままだった。
真菜が話終えると真琴は果莉弥に片膝をついて頭を下げた。
「うちの侍女がすまなかった。代わりにお詫びする」
「貴方が頭を下げることないじゃないですか。顔をお上げください」
果莉弥が静かに言う。怒りを鎮めようとしているというよりもなんとか落ち着こうとしているようだった。紫苑は机を叩いた。全員が紫苑を見る。
「理由が何であろうと処罰は変わらん。それに、私達にはやらねばならないことが山ほどある。こんなことに時間を割いている場合ではない」
「……遠子、真菜を連れて先に屋敷に戻っていなさい」
「…分かりました」
果莉弥の意図を読み取って遠子は泣きじゃくる真菜を支えながら執務室を出て行った。それが今、果莉弥にできる真菜への手助け。
二人の足音が聞こえなくなるのを確認すると果莉弥は紫苑の前に立った。腰に両手を当て、少し身を乗り出す。
「紫苑、どういうつもり?遠子はともかく真菜の前であんなこと言わないで。いくらなんでも言い過ぎよ」
「そうだぞ。もう少し言い方を考えろ」
「…でしたら夢物語を語ってやるべきでした?語ってどうするのです?現実を見せるべきではないですか」
「だからって…」
「私達が援護し、事実を改竄する。それであいつは納得するでしょうか」
あいつというのは日和のことだ。果莉弥は言葉に詰まる。真面目な日和のことだ。きっと改竄されたことを知れば、文句を言いに来ることだろう。
「そういう事です。…仕事をするので、退出願えますか…」
紫苑の声が次第に弱まっていき、最後には俯いて黙り込んでしまった。秋人は呆れた顔で果莉弥と真琴に告げる。
「…葉ノ宮様、紅ノ宮様。紫苑様はご愁傷のようです」
紫苑は机に伏していた。果莉弥はそんな紫苑の様子を見て溜息をつく。
「貴方って本当に馬鹿で不器用な人」
その言葉に誰も何も返さなかった。
果莉弥と真琴が帰っても紫苑は机に伏していた。寝ているのかと思いきや時々溜息が聞こえてくる。秋人は呆れて首を振り、紫苑に近づいた。
「紫苑様。いつまでも落ち込まないでください」
「…落ち込んでない」
「どこがですか」
処罰を下して落ち込むのなら別の処罰を与えれば良かったのに。私情より世の中の理を優先してしまう人なのだ。良いことなんだが私情を抑えすぎだ。昔からそうだった。屋敷の主となって仕事を始めてから自分の事は一切表に出さなくなった。だから会合の時、紫苑が会場を飛び出したことは本当に驚いた。
そんな衝動的な行動を見たのは久しぶりだった。それくらいあの娘は衝撃的で、大きな存在なのだろう。
紫苑は青い顔で書類を見ている。ちゃんと文字は見えているんだろうか、うわの空ではないだろうか。秋人は後であの書類に目を通しておこうと決めた。
日和と佳奈子に下された処罰、それは解雇だった。




