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月明かりの妖姫  作者: 穂月千咲
紅ノ宮編
3/114

第三舞 妖

 日が傾いてから立ち上がれた日和は子狐を抱えて自分の休む六人部屋に戻ってきた。子狐は明日林に返してあげることにした。今日一日だけならば、同じ部屋の下女達も許してくれるだろう。


「ただいまー」

「おかえり〜。日和、遅かったね」


 寝転がっている五人のうち、愛華が声をかけてくる。


「ま、まぁちょっと掃除が時間かかっちゃって。それより今晩だけこの子一緒に寝てもいいかな?」


 お茶を濁しながら子狐を皆に見せる。きっと「可愛い!」という反応が返ってくると思っていたが、五人ともキョトンとしている。予想外の反応にこちらもキョトンとする。


「この子って?どこにいるの?」

「え、いや腕に抱えている子」

「…なあんにもいないよ?」

「…え?」


 五人の反応が嘘には見えない。日和は頭が追いついていない。そんな時、子狐が「クゥン!」と元気よく鳴いた。


 夜が深くなり、御苑が静まり返った頃、日和は自身の部屋の前の廊下に腰掛けていた。本来は就寝しないといけないのだが、頭を整理したくて涼しい風を浴びたかった。


 子狐は膝の上で丸まって眠っている。子狐の頭を撫でながら空を見上げる。月の光が御苑を照らしていた。


「なんで愛華達には見えないんだろ。声も聞こえていないみたいだし」


 今日は分からないことが多い。一体この子は何者なんだろうか。やはり知っている狐とは全然違う。その上人に見えていないとなると、この子はただの狐ではないのかもしれない。


 子狐が目を覚まし、膝から飛び降りる。そのまま宿舎の外を走り回り出した。楽しそうにはしゃいでいるが、時間的にはもう寝なければ。日和は他の人を起こさないような声で子狐を呼ぶ。


「おぉぉい、もう寝るから戻っておいでぇぇ」


 声が聞こえていないのか、相変わらず子狐が飛び跳ねている。諦めて近寄ろうとした瞬間、


「キエエエエエエ!」


 耳を塞いでしまうはどの雄叫びと共に強い風が巻き起こった。日和は飛ばされないよう必死に近くの建物の柱にしがみつく。が子狐は容易く空に飛ばされてしまった。そして何か黒い影が子狐を掴み御苑の奥へと飛んでいく。

「待って!」


 黒い影が去ると風も止む。日和は急いで影が向かった方へ走り出した。


 影が降りたのは昼間、子狐と出会った御苑の西側だった。こんな時間に下女がここに来ていることが見つかればただでは済まない。けれど子狐を放ってはおけなかった。急いで足を進める。


 辿り着いた場所には大きな黒い影がいた。夜でよく見えなかったが、恐らく鴉だ。日和が近づいてきたことに気付くとまた雄叫びを上げる。壁付近に薄ら白い物体が転がっているのが見えた。きっと子狐だろう。日和は子狐の元に駆けつけようとする。


「キエエエエエエ!」

「うっ!」


 耳が壊れるような爆音と巻き上がる強い風。身動きが取れない日和に鴉が近づいてくる。それを必死に止めようとして子狐が鴉に向かって威嚇しながら走って行く。けれど竜巻によって吹き飛ばされてしまう。鴉の鋭い爪が日和に襲いかかる。日和は無理矢理体を動かして危機一髪で避ける。けれどこのまま避け続けることはできない。吹き飛ばされそうになるのを必死に足で踏ん張っているだけで体力は削られていく。いつかは力尽きてしまう。そうなる前に何か…。


「はあああ!」


 空から鴉の頭めがけて別の影が落ちてきた。頭を強打したことにより鴉が狼狽え、風も消える。見れば、昼間の貴族の青年であった。日和の前に着地するとこちらを確認する。


「こんな時間にどうして……って昼間の!」


 青年が目を見開く。こんな短時間で数多いる下女の中から同じ下女に会うなんてそうそうないことだ。日和は咄嗟に嫌な運命だと思った。


「話は後でしますっ危ない!」


 鴉が高速でこちらに飛んできていた。青年は鴉の爪を刀で防ぐがその勢いに耐えられず飛ばされる。木に背中を強打し、下へとずり落ちる。その衝撃で木が倒れ、砂埃で何も見えなくなる。


「ぐっ!」


 青年が低い唸り声を上げる。砂埃が消えると崩れた木々の山ができていた。青年の姿は見当たらない。日和は駆け寄ろうとするが鴉がこちらを睨む。最初に邪魔してきた日和を先に片付けたいようだった。必死に逃げようとするが、襟元を掴まれ、投げ飛ばされる。背中が木に衝突する勢いで鈴が着物の下から顔を出す。痛みに耐えれず木の下で蹲る。動けないが鴉が近付いてくるのが分かる。早く逃げなくては。その思いが日和を焦らせるが体は動かない。その時、白い物体が鴉の前に立ちはだかった。


「クゥゥゥ!」

「だめ…逃げて…」


 どんなに鴉に睨まれても子狐は動こうとしない。懸命に鴉に向かって唸り、威嚇している。だが威嚇にならない弱い唸りには目もくれず鴉の爪が近付いてくる。このままでは日和も子狐も…。


「お願い、逃げて…!」

「クゥゥ!」


 シャラン。


 鈴が鳴る。その瞬間、鈴と子狐が同時に光り出した。どんどん光は強くなり、遂には眩しすぎて目を塞ぐ。

 少しして光が収まり、日和はゆっくりと目を開けた。その前には白く大きな生き物がいた。額に桜模様の付いた大狐だ。けれど見たことがあるような気がした。


「…あれは、まさか、えにし…」


 崩れた木の山からどうにかして頭を覗かせれた青年がその光景に驚き、呟く。


「…子狐?」

「グォォォォン‼︎」


 日和の言葉に応えるような遠吠えが山彦のように空に響き渡った。そして大狐は鴉に飛び込んで噛みついた。鴉が奇声を上げながら苦しそうに暴れる。けれど大狐は決して鴉を離さない。更に強く強く噛み続ける。


「ギアアアアアア‼︎‼︎」


 地面が割れるかと思う程の叫び声を上げ、鴉は黒いもやとなって消えていった。

 静けさがやってくる。けれど、これで終わりではなかった。大狐が青年に接近すると牙を向ける。


「やめて!」


 日和は痛む体を精一杯動かし青年を庇うように大狐に立ちはだかる。大狐は動きは止めるものの、気持ちは収まらないようで青年を睨みながら唸っている。


「確かにこの方は貴方に酷いことをした。けれど二回も助けてくださった。だから酷いことしないで」

「おい、逃げろ!言葉が通じる状況じゃない!」


 伝わらないかもしれないことぐらい分かっている。だからと言って青年を見殺しにできない。


 暫くして大狐は睨むのをやめ、日和を見つめると牙を収める。ほっとしたのも束の間、大狐の前足が日和を通り過ぎたことでハッと息を呑み、振り返る。前足は瓦礫を動かしていた。程なくして青年がよろけながら立ち上がると大狐と向かい合う。


「…悪かったな。助か…」


 青年は大狐に手を伸ばしたが、大狐はそれを見事に裏切った。


「ガウ‼︎」

「痛ったああ‼︎」


 大狐に噛まれた青年が手をブンブン振り回しながら手を取り返し、反対の手で刀を構える。


「お前なぁ!」

「あ、あのすみません!」


 日和が急いで間に入る。これ以上放っておいたら面倒なことになる。


「お聞きしたいことが沢山あります。昼間の犬やあの鴉、この子のこと。そして貴方のこと」


 確実にこの人は知っている。教えてもらわなければ、この不可解な状況を。大狐は煙を出しながら子狐に戻るが、青年に威嚇し続けている。その当の本人はポカンとしていた。


「…私のことを知らないのか?」

「申し訳ございませんが、存じておりません」

「顔ぐらい見たことあるだろ」

「……ございません」


 流石に詰め寄られるとこちらが悪い気がしてくる。だが仕方がない。見たことないのだから仕方がない。


「割と顔が広いつもりだったんだが、見回りが足りていないのか?……まぁいい。私は藤ノ宮、紫苑しおん


 日和の視線が宙を舞う。名前は聞いたことがある。確か、丁度今日の昼休み中に愛華から…。


「え⁉︎藤ノ宮様⁉︎」


 思わず声が大きくなった。愛華の話とかなり違う。今は暗闇ではっきりとは見えないが、昼間に見た時は顔は良すぎる程良い人だなとは思っていた。しかし、性格はどうだろう。愛華から聞いていたことが一つも見当たらない。人当たりが素晴らしい、とは。


(人に容赦なく刃先を向けるのがそうなのか?いや違うだろ)


 日和の大きな声が、紫苑には癪に触ったらしい。鬼の形相とも呼べる程顔を歪ませている。そんなことしたら美しいお顔が台無しだろうに。


「なんなんだよ、お前は。…もういいや、疲れた。あの犬や鴉、この白狐は“妖“呼ばれる存在だ」

「妖?それは説話なのでは?」


 信じられない言葉が飛び出す。噂話とかでよく出てくる言葉のはずだ。現実に存在するなどあり得ない。


「そうだな。私も昔はそう思っていた。だが実在する。とは言え、奴らが視えない人の数の方が圧倒的に多い。だから今でも説話だと言われている」


 紫苑はそこまで説明すると日和にぐっと詰め寄る。見目麗しい顔は近くで見るとなかなかな迫力である。だがあの妖らに比べたら怖いとは思わない。


「お前は妖が視える上にそこの白狐と縁を結んだだろ。どういうことかこちらにも説明してもらおうか」


 日和は首を傾げる。説明しろと言われても困る。つい数刻まで妖が視えないどころかその存在さえ信じていなかった者にどう説明しろというのだ。未だに理解できていないことばかりで状況も上手く読み込めていない。説明などできるはずがない。


「大きな物音がしたのはこの辺りか?」

「そうです!」


 見知らぬ声と足音が複数聞こえてきた。先程の鴉の妖との戦闘で騒がせてしまったようだ。紫苑は早歩きしながら日和に声を掛ける。


「ここで見つかると厄介だ。下女なら尚更だろう。後日、話を聞かせてもらう」

「あ、はい。……え、お待ちくだ…」


 いつの間にか紫苑の姿はなくなっていた。日和は行き場のなくなった手と共に唖然とするしかなかった。

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