第十九舞 蛇神
あっという間に鵺の姿が見えなくなった。気付けば丘の上に来ていた。一旦落ち着いたのか、雪葵が日和を降ろす。
「ねっねっ、見て!」
雪葵がくるくると回る。頭に狐耳をお尻に尻尾を生やし、白色の着物に紺色の袴を纏っている。耳と尻尾を除けば確かにどう見ても人間の姿だ。
「どうして人間になったの?」
「うーん、わかんない。でも日和を助けなきゃ、逃げなきゃって考えてたら、なんか変わったの」
雪葵の強い思いが人間という姿に変えたのだろうか。
「それに日和とお話しできるよ!わーい!」
「本当だね。これで意思疎通がちゃんとできる」
「言っとくけど、今までだって日和達の言葉、わかっていたんだからね!」
「わかってるよ」
雪葵が人間になれたことがとても嬉しいらしい。そんな姿を見て、日和も何故か嬉しくなる。
「そうだ。あのええとぬれ、どうしよう。めっちゃ怖いよ」
雪葵の顔が青ざめる。日和も気持ちを切り替える。
「鵺ね。うーん、話は通じなさそうだな。立ち向かえないよ、あんなの相手に」
日和は溜息をつく。いつの間にか鴉天狗とは逸れてしまったようだ。どこにも見当たらない。だからと言ってあんなのを放っておいたら確かにいつか御苑まで被害が及そうだ。それは阻止したい。
「日和。これなんだろ?」
日和が考えていると、雪葵が声をかけてくる。指差す方を見ると小さな洞穴があった。しゃがんで覗いてみるとそんなに奥深くなく、祠が一つ建っているだけだった。日和は入れそうにない。雪葵は子狐に戻り、洞穴の中に入って行った。
「なんか祠に札がついてる」
「札?」
ピリッ。
「あ、取っちゃった」
洞穴から出てきた雪葵はけろっとし顔で札を持っていた。
「えへ」
「ちょっと!それ外して大丈夫なわけ?」
「わかんない。けど、もう一度つけようと思っても全然つかなかったの」
雪葵から札を預かる。汚れはなく、綺麗だ。何故か既視感があった。よく見ようとしと時、札がボウっと燃え始めた。日和は慌てて札を離した。が、木の葉に燃え移れば山火事につながる。
「み、水ってある⁉︎」
「え、川なんてないよ!ここ山頂っぽいし!」
日和が上着を脱ぎ被せようとする。しかし、その前に札は他に燃え移ることなく火は消えた。札は完全に燃えてしまったようで、灰になってしまった。
日和はほっとしてもう一度洞穴を覗く。
「何も出てこないよな?」
何か祠にいるのだとしたら襲われることも十分あり得る。ここにいるのは危険かもしれない。
「雪葵。一旦御苑に戻って遠子さんに相談してみよう。その方が良い解決法が見つかるかもしれない」
「そうだね。あの黒妖祓師にだけは頼まないからね!」
「黒妖祓師?…あー」
紫苑のことのようだ。雪葵の嫌そうな顔から随分嫌われているなあと感じるが、日和も十分嫌な顔はしてきている気がする。雪葵とは気が合いそうだ。
「よし!そうと決まれば帰るぞ…」
「グアアアアアア‼︎」
低い地鳴りのような叫ぶ声が聞こえた。その声は実際に地面を震わせ、日和と雪葵は体勢を崩し、尻もちをつく。
「ちょ、ちょっと待ってよ…」
日和と雪葵の目の前には猿の顔が覗いている。その後ろはかなり見晴らしが良くなっていた。
日和は顔を歪ませる。先程のように雪葵が走ってくれたら逃げ切れるかもしれないが、果たして逃げる準備をする余裕はあるだろうか。
鵺が虎の足を振り上げる。体が恐怖で動かない。今度こそ終わりだ。歯を食いしばった瞬間だった。
強く白い光が辺りを包み込む。それは祠から放たれていた。
「グウウアア!」
鵺が苦しそうな叫び声を上げる。光は更に強くなり、周りが真っ白に染まる。日和と雪葵は眩しくてぎゅっと目を瞑った。
暫くして光が収まる。ゆっくり目を開けると、目の前にいたはずの大きな妖が消えていた。
「あれ…鵺は?」
「祓いました。彼のような妖がいたらこの世界は消えてなくなってしまうでしょうから」
知らぬ老人の声に日和は振り向く。と同時に雪葵が地面に倒れているのを見つけた。日和は雪葵を抱き抱える。
「雪葵!しっかりして!」
「落ち着きなさい。先程の光で気絶しているだけです。心配せずとも少ししたら目を覚ましますよ」
日和が視線を上げると洞穴は消え、祠が剥き出しになっていた。そしてその上に大きな白い蛇が佇んでいた。日和は瞬時にただの蛇ではないと感じ取ったが、不思議と鵺の時のような恐怖はなかった。
「貴方は…」
「蛇神様ぁー!」
遠口から凄い勢いで鴉天狗が飛んでくる。そして泣きながら蛇神に体当たりした。
「封印が解けたんだねぇ!よかったああ!」
「この方々のお陰ですよ。名乗っていませんでしたね。とはいえ、私に名はありませんが人々は昔、私を蛇神だと崇めておりました。今ではその信仰かなり減っていているものの、ここの山を収めている山神です」
「蛇神…」
鵺が現れた時点でもうこれ以上驚くことはないと思っていたが、まさか山神が現れるとは。人ならざる者がこんなにも存在するのか。妖の世界はかなり奥深そうだ。
「封印を解いていただき、感謝しております。お陰で、この山を守ることができました」
「封印ってその祠に貼ってあった札のこと?」
雪葵の外した札。あれは封印の札だったようだ。
「その通りです。先日、祓い屋にこの祠に封じられてしまいました。それを知ってか鵺がここに現れ…。祓えて良かったです」
蛇神を封印してしまった祓い屋。その人間のせいで鵺が来てしまったとなると、祓い屋の行動は正しかったのかどうなのか。
「貴女は妖姫なのですね」
「え、いや。そうと決まったわけではないんですが…」
「いいえ。貴女は間違いなく妖姫でしょう。その証拠が九尾の狐を従えているところです」
「えぇ…」
避けたかった事実を突きつけられる。証拠があるのなら仕方ないかと思うが、日和は雪葵を見て首を傾げる。
「九尾の狐?それって尾が九つある狐の妖ですよね?」
雪葵が尾が三つだ。九尾とは程遠い。
「いずれわかる時が来るのではないでしょうか」
陽が傾き始めた頃、蛇神直々に道を案内してくれ、森を抜けることができた。元来た道に戻ってくる。
「私達はこれからもこの山を守ります。貴女方の住処を荒らすつもりはございません。どうかそれだけは理解していただきたい」
「大丈夫です。山神様を信じております。山神様を封印した妖祓師には説教でもしておきます」
「ふふ。頼みました」
「あ、ありがとう!妖姫!」
雪葵を頭に乗せ、壁をよじ登る。今頼りになるのは、頼りない己の腕力だけである。
なんとか壁を越えると見慣れた御苑が現れる。慎重に降りようと試みたが、その努力虚しく、見事に壁を滑り、盛大な尻もちで着地した。
「痛たたた」
お尻を摩りながら立ち上がる。急いで屋敷に戻るも案の定、遠子に叱られた。
日和が見えなくなった御苑の壁を挟んだ向こう側。蛇神はその壁をじっと見つめていた。
「妖姫か。まさかこんな所に現れるとはのぅ」
「あの狐、本当に九尾なの?」
「お前さん、顔を覚えとらんのか?」
「顔覚えるの苦手なの蛇神様も知っているでしょ?顔見たの八百年前の話だし」
「とはいえ、共に戦った仲間だろうに」
「そんなこと言われても〜。あっ、そう言えば妖姫の名前聞くの忘れてた!」
「いずれまた会えるだろうよ。その時は力になってやるのだよ」
鴉天狗は首を傾げたが、元気よく頷いた。
「うん!わかった!」
夜になり、寝る準備を終えた日和は雪葵を連れて、遠子の部屋にお邪魔していた。
「鴉天狗に鵺に蛇神…。凄い経験ね」
「はい。無事に帰って来れて良かったです」
「本当だわ。そもそも、何も言わないで遅くなるのは駄目よ。ちゃんと一言欲しいわ。まず、そんな危険な場所へは行ってほしくないのだけど」
「申し訳ございませんでした…。以後、気を付けます」
日和は頭を下げる。隣で雪葵はすやすやと眠っている。夕食時に一度目を覚ましたが、疲れていたのかまた眠ってしまった。
「それで、雪葵ちゃんが人の姿になったというのも本当?」
日和ははい、と答える。雪葵が人間の姿になったことに遠子も驚いていた。
「妖の姿にはいくつかあって異形の姿、動物の姿、そして人間の姿。化ける妖もいるけれど、基本どれか一つの形でしか存在しないの。どれにせよ、普通の動物や人間とは似つかない部分があるのよ」
確かに鴉天狗は人間の姿だったが、黒い翼が背中から生えていた。
「他にも妖が人間の体を乗っ取ることもあるのだけれど…。雪葵ちゃんはどうだったの?」
「狐の耳と尻尾が生えていました。恐らく、人間の姿なのだと思います」
「それにしても不思議な子ね。二つの姿を持つなんて」
この狐は本当に何者なんだろうか。不思議なことが起こりすぎている。
「とにかく、もうすぐ遊華演会が始まるわ。そちらに集中しましょう」
「はい」
日和は自分の部屋に戻る。布団に入り、あることに気づく。蛇神の光を浴びて雪葵は気絶した。しかし鵺は祓われた。この違いは一体なんなのだろうか。蛇神の力の制御によるものなのか、それとも…。
「…寝よ」
日和は布団を頭から被った。