第十八舞 鵺
御苑の西側。以前、犬妖や鴉妖と対峙した場所に着く。その茂みの奥に高い壁が日和を見下ろしていた。軍事基地の近くの壁より古くない。足場になりそうな取っ掛かりはなく、登れそうにない。鴉天狗は悠々と空を飛んでいた。
「ねぇ、私達を運んでくれない?」
「あ、えっと、ごめん。あまり重い物は運べなくて…」
申し訳なさそうにしている彼を責めるほど意地悪ではない。困っていると、白い煙が上がる。大きくなった雪葵が日和を見つめていた。
「上に乗ってって?」
「グゥン!」
雪葵が頷く。日和が雪葵の上に乗ると、軽やかに壁を飛び越えた。
森は相変わらず鬱陶しいくらいの木々が生い茂っている。雪葵は小さく戻ると、日和の肩に乗った。
「ありがと」
「クゥン」
「こ、こっちだよ」
鴉天狗に案内され、日和は森の中を歩く。静かで心地よい木々の葉の音に心を落ち着かせる。奥まで歩き、辺りをきょろきょろしていると、鴉天狗の背中にぶつかった。日和は鼻を押さえる。
「急に止まらないでよ」
「ご、ごめん。でも、そこに…」
「そこに?」
鴉天狗の後ろからそっと覗くと……。
「…え、これがその妖?大きくない?」
大きくなった雪葵よりも更に一回りが大きい茶色の毛玉が横たわっていた。その毛玉に蛇が生えている。
「お、大きいよね。僕もびっくりしてる…」
鴉天狗が怖気付いていると、茶色の毛玉がもぞもぞと動き出した。そして大きな顔がこちらを向く。日和達の気配を感じ取ったのだろう。
「ひっ…」
敵意剥き出しの猿の顔に思わず悲鳴をあげる。雪葵と鴉天狗も顔を真っ青にしていた。
巨大の妖が起き上がる。猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尻尾。日和はこの妖も本で見たことがあった。鵺だ。ただここまで大きいとは知らなかった。
「こ、こんな大きな妖がどうやってこんな森の奥まで来れたわけ?」
「は、初めはここまで大きくなかったんだけど、彼に反抗する妖を喰べちゃったって聞いて…うぅ」
一体どれくらいの妖を喰べればこんなに大きくなれるのだろう。一歩動くだけでも周りの木々五、六本は薙ぎ倒されそうだ。
「グルルルル」
鵺が低く唸る。日和が一歩下がろうとした時、後ろから鴉天狗に押される。
「ちょ、ちょっと!」
「お、お願い!きっと話聞いて、くれると思う、から」
後退りさせてくれない。日和は意を決して、一歩ずつ鵺に近づいていく。冷や汗が流れる。
「あ、あのー。鵺、様…」
「グルルルル」
返事するかのように低く唸る。話を聞く気はある…ということにしたい。
「あのー。この森の皆さんが困っています。な、なので、どうか…皆さんを困らせないように…していただけたらなって…」
鵺が日和を静かに見つめる。話が通じたのかと安堵しかけた時。
「グアアアア‼︎」
鵺が耳を塞いでしまうほどの叫び声を上げる。それは覇気となり、周りの木が薙ぎ倒される。日和は吹き飛ばされるが、大きい雪葵に助けられる。
「あ、ありがとう、雪葵」
「グゥン!」
鵺が立ち上がり、勢いをつけてこちらに飛び込んできた。雪葵が日和を乗せて逃げようとするが、体が木々にぶつかり、思うように前に進めない。けれど鵺は構わず木々を倒してこちらに向かってきていた。
どんどん距離を詰められる。鋭い爪が振り上げられる。あれに引っ掻かれば、ただの引っ掻き傷では済まない。体が真っ二つにされそうだ。たが、このまま振り下ろせば、直撃は免れない。
「ゆ、雪葵!もっと早く走れない⁉︎」
「グゥ」
雪葵が唸る。肯定か否定かわからず、日和は焦って叫んでいた。
「雪葵ってば!」
ボンッ!
突然目の前が白い煙に覆われる。かと思うと誰かに横向きに抱えられ、そのまま走り出す。
(え、誰?)
知らない少年だった。金色に近い茶色の短髪の少年。日和が目を丸くしていると、後ろでザンと鋭い音が聞こえてきた。鵺の爪は避けれたようだ。
「日和ー‼︎なんか僕、人間になっちゃったー!」
少年は笑いながら走っている。
「も、もしかして、雪葵?」
日和が恐る恐る聞くと、少年はニコッと笑いかけてくる。
「そうだよ!速くない⁉︎僕の足速くない⁉︎」
雪葵はとても嬉しそうに日和を抱えて鵺の元から走り去った。