第十四舞 侍女
日和はお茶を吹き出しそうになるのを必死に堪え、飲み込んだ。ぜぇぜぇと息が上がる。
「ど、どういう事でしょうか…?」
間抜けな質問をする。日和の頭は全然理解できていない。
「そのままの意味よ。私の侍女になってほしいの。どうかしら?」
どうかと言われても理由を聞いていないのに、はいもいいえも答えられない。
「どうして私を?」
日和の問いに部屋の空気が少し沈んだのがわかった。果莉弥は遠子に目配せし、遠子が動く。
「紗綾達はそろそろ仕事に戻って」
遠子以外の侍女達は部屋を出て行く。遠子が襖を閉めると果莉弥が口を開く。
「遠子から話は聞いたわ。夏凪のこと覚えている?」
先日の一つ目妖と木に張り付けにされた夏凪を思い出す。
「はい」
「夏凪、あの日から体調が優れないのよ。怪我はしていないから精神的なものだとは思うのだけれど。妖に恐怖を与えられ、そのせいで今も布団から出られない」
少し気になることを口にする。
「紅ノ宮様も妖をご存じなのですか?」
「えぇ。私、妖祓師の生まれなの」
紫苑と同じだ。妖を祓うことができる者。御苑に二人いる。けれど以前遠子は“妖を祓えるのは藤ノ宮様のみ”と言っていた。どういうことなんだろうか。
「けれど私には妖祓師としての力はほとんどないの。妖力が弱くて妖の姿もはっきりとは視えない。どんな姿形をしているのか、ぼんやりともやのようにしか認知できない」
雪葵は果莉弥は安心できる存在だと認識したのか、その膝元で丸くなる。果莉弥は雪葵を撫でるが、その姿もぼやけているのだろう。
「そして私には妖を祓う力もない。妖祓師生まれなのに情けないわね」
「いえ…」
「そんな私が言うのはきっとおかしいでしょう。けれど、日和にお願いがあるの。もう藤ノ宮に言われているでしょうけれど…」
果莉弥が真剣な眼差しで姿勢を正して日和を見る。
「どうか日和に妖を祓うことをお願いしたい。妖が凶暴化している今、その凶暴を止められる存在が必要不可欠になる。けれど、御苑内で妖を祓えるのは藤ノ宮だけ。彼の負担を少しでも軽くしてあげたい。けれど恥ずかしい話、私にはできない。だから日和の力が必要なの。お願い」
果莉弥は頭を下げない。自分の立場を理解した上でこんなに丁寧に切願している。自分よりもずっと下の下の立場の者に。果莉弥の声に悔しさが滲んでいるのがわかる。それは下の者に頼む悔しさではない。自分が役立たずであるという事実を感じているのだろう。この人はどれだけ自分が戦えない悔しさを抱えて生きてきたのだろう。
「私には妖を祓うことはできません。祓えるのは子狐の雪葵なんです」
「妖姫と縁を結んだ妖は稀に特別な力を持つことがある、と聞いた事があるわ。つまり雪葵ちゃんが妖を祓う事ができるのは日和と縁を結んでいるからなのよ」
「いえ、私が妖姫であるという保証は何もないのですが…」
そもそもそんな面倒な立場は避けたい。
「けれど本来妖が妖を祓うことはできないのだから、雪葵ちゃんが持っているその力は特別な者になるわ。それなら日和が妖姫になり得るのよ。そうなれば日和がいないと雪葵ちゃんは妖を祓えない。日和も重要な存在なのよ」
面倒ごとは避けたい。それなのに面倒ごとは遠慮なく降ってくるものである。
「日和、これを」
果莉弥が紙の札を数枚日和に差し出す。何か崩れた文字が書かれていた。
「父上に念の為持っておくよう渡されたものよ。使えない私が持っていても仕方ないから日和に持っていてほしいの。きっと日和なら使えるわ」
日和は受け取るしかない。果莉弥は微笑む。
「話が逸れてしまったわね。日和を侍女にする理由は二つ。一つは妖を祓う時、侍女だと何かと便利だったりするのよ。場所の規制とか色々ね。もう一つは私の勝手な願望だけれど、侍女達とまた踊ってほしい」
「踊るですか!」
日和は目を輝かせる。
「えぇ。先日の日和の踊りは本当に素晴らしかったわ。是非たくさんの人に見てもらいたいの。勿体無いじゃない、折角素敵なものを持っているのに披露することができないなんて」
日和は御苑で踊るつもりは一切なかった。踊りを披露できたのは偶然だったとはいえ、良い機会をもらえたのは事実だ。それをこれからも続けていいというお言葉。今度は堂々と。日和にとっては最高の言葉である。
「踊る機会はたくさんあるわよ。どんどん見せていってちょうだい」
「わかりました!」
妖の話はすっかり忘れ、踊れることに喜ぶ。後々苦労することは知る由もない。
その後、侍女になることを愛華に伝えると、驚き喜んでくれた。
「凄いね日和!同じ下女として誇りだよー!いやー遠い存在になっちゃうねー。あんなり会えなくなっちゃうなぁ」
「屋敷の中に引きこもるわけじゃないし、また会うことはできるよ」
「本当⁉︎やったあー!」
愛華が目を輝かせて日和に抱きつく。日和は均衡を崩して転んだ。