第九舞 師の危機
数日、数々の仕事を片付けへとへとになった日和は、自室で大の字に寝転んでいた。雪葵もその近くで丸まっている。
菫隸が午前中屋敷を空けることになりその分の仕事を1人で引き受けることになったのだ。流石に屋敷全体の掃除、料理、他の屋敷や武官の来訪の対応、その他諸々を一人でやる羽目になり、身体は悲鳴を上げていた。これを今まで菫澪は一人でやってきたのかと思うと、尊敬しかできなかった。
ダダダダッ!!
荒い足音で目を覚ます。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。辺りは茜色に染まっていた。日和と雪葵は襖から顔を覗かせる。すると丁度秋人が足早に通り過ぎる所だった。
「秋人さん」
「!あぁ、和の娘か。どうした」
「何かあったのですか?」
秋人は少し戸惑ったが、日和達を見た。
「ついて来い。その時に話そう」
時間がないようだ。日和はすぐさま身なりを整え、秋人について行く。
「先生の住む森で嫌な気配を感じた」
秋人の言葉や背中からただならぬ緊張を感じる。心なしか空も曇り始めている。
屋敷を出ると紫苑が馬に乗っていた。そして秋人の後ろを見てギョッとする。
「何でお前がいる」
「和の娘が必要だと判断しました」
「巻き込めるか!」
「紫苑様!秋人さん!」
振り返ると戻ってきていた菫澪が息を荒くしながら走って来た。顔面蒼白な菫澪に秋人が近付き、膝を立てる。
「今度は必ず紫苑様をお守りします。どうかご心配なく」
(今度は?守る?)
秋人の言葉に引っかかるが、秋人も馬に乗る。紫苑はむしゃくしゃして頭を掻きむしると自身の後ろを顎で示す。
「さっさと後ろ乗れ!」
「え、は、はい!」
日和と雪葵は紫苑の後ろに乗ると馬はすごい勢いで御苑の門を通り過ぎて行った。
楓霞が住むという森に向かう途中、誰も何も話さない。お気楽者の雪葵でさえ、紫苑と秋人の緊張に飲まれ口を閉ざしている。萎縮してしまう程の圧の中、日和はどうしても聞きたいことがあった。
「…えー、紫苑様」
小さい声で話しかける。が届いてないらしい。日和は声を張った。
「紫苑様!」
「…なんだ」
いつもなら日和が声を張れば五月蝿いと睨まれるのだが、焦りを押し殺した冷静さで返され、日和は少し怯んだ。
「あ、あの。森から嫌な気配がする、という事は、楓霞さんが強力な妖に襲われているかもしれない、という事ですよね?」
「あぁ」
「けれど楓霞さん程妖気が強い方なら、平気なのではないでしょうか?あの人の妖気は八妖樹に匹敵しています」
「そうだな。先生が普通ならな」
「?」
引っかかる言い方をしてくれる。日和は少しムッとする。
「楓霞さんが頭おかしいとでも仰るのですか」
「……あの人は妖に優しすぎる。だから意地の悪い妖に足元をすくわれる。そのせいであの時も……」
紫苑が怒りを押し殺すかのように黙る。日和はそれ以上聞くことはできなかった。
森に入り奥に進むにつれ、妖気が強くなっていくのを感じる。雪葵が微かに震えているのを感じた。
「雪葵、大丈夫?」
「?あ、うん。怖い訳じゃなくてなんかこう妖気の強さが直接身体に伝わってくる感じがするんだ」
「見えました!」
秋人の声にバッと前を向く。そこには楓霞が立っていた。そして強い妖気を持つ巨大な百足のような妖が楓霞を見下ろしている。紫苑の頭を稲妻が走る。
「先生!」
紫苑が駆け寄り、楓霞を庇って刀に手をかける。
「おや紫苑。こんな時間にどうしたのです」
いつもと変わらぬ様子で楓霞は微笑む。その姿に紫苑は頭に血が上った。
「何言ってんだ!!今どういう状況か分かってんだろっ!」
日和にも違和感がある。百足妖には敵意しかない。それなのに何故楓霞は平然としていられる。
「何ってこの者を鎮めようと…」
「それができる状況かぐっ!!」
紫苑の腹に百足妖の尾が入る。紫苑は木の幹に叩きつけられた。
「紫苑様!」
「シャアアアアアア!!」
紫苑に駆け寄ろうとする日和や秋人の元にも尾が振り降ろされる。間一髪で雪葵が日和を乗せ、秋人と避けるが、これでは紫苑と楓霞に近付けない。
「落ち着いてください。話せばわかるはずで…」
百足妖は楓霞の話を聞きもしない。楓霞を目掛けた横からの尾の鞭を紫苑が止める。先程木に強打したのか、紫苑の頭から血が流れていた。
「紫苑…」
「お前はまた死ぬ気か?そこまでして妖と争わないことに何の意義があんだよ。全ての妖に理性があるわけじゃねぇ。本能のまま暴れる奴の方が圧倒的だ。それを鎮めるなんてできるわけがねぇだろ」
日和はふと気付く。今までの楓霞に対する紫苑の態度は冷たいものだった。けれど紫苑は楓霞を嫌っているのではない。大切に想っているからこそ、彼の意志に反発しているのだ。
「…それでも、私は……」
百足妖の攻撃を必死に避けつつ紫苑からも仕掛けようとする。楓霞はそれを見守るだけ。
雪葵も紫苑に加勢する。激しい攻防の中、日和も駆け寄ろうとするが、秋人に止められる。
「危険だ」
「ですが!」
「シャアアアア!!」
日和に向かって振り下ろされた尾を秋人が止める。その間に楓霞が紫苑に駆け寄り、手当てをしようとかざす手首を紫苑が掴む。
「そんなことしてる暇あったらあいつら連れて逃げろ」
「どうしてそう貴方が背負い込もうとするのですか。貴方には関係ないではありませんか」
ギロっと睨む紫苑の目に楓霞が息を呑む。
「関係ない?あの時のことをお忘れですか?」
(あの時?)
「…どんな妖とも分かり合える。そう言ったのは貴方でしょう。それを俺は理解していた、いや、信じてました。けれどそれはまやかしなんです。それができなかったからこそ貴方は脚を痛めてしまった」
楓霞は自身の足元を見つめる。力が入りにくく、杖がなければ歩くことがままならない。その原因は自分の甘さ。理解はしている。
「それでも私は…私は分かり合えると信じています。それが自分の我儘な願いだとしても、信じていたいんです」
再び百足妖の尾が迫る。紫苑は楓霞を庇い、刀で受けた。紫苑は目を閉じふぅと息を吐くとカッと目を開いて足と手に力を入れた。
「俺だってその言葉をずっと信じていたいんです、よっ!」
紫苑に押され、百足妖が宙に飛ばされる。紫苑は攻撃を叩き込もうと百足妖に急接近した。けれど百足妖が毒を吹く。空中で身動きが取れない紫苑は間に受けてしまった。森の中に落下していくのを見て日和が走り出す。
「紫苑様!」
落ちていった方向に走って行くと、ぐったりとした紫苑を見つけた。日和が紫苑に触れようとするのを秋人が後ろから止める。
「紫苑様に触れれば和の娘もただではすまない」
「けれど…!」
「うぅ」
苦しそうに唸る紫苑を見て日和は立ち上がる。後ろからは木を薙ぎ倒しながら百足妖が現れる。雪葵に乗った楓霞も後を追ってきていた。
「紫苑!大丈夫です…」
「シャアアアアア‼︎」
楓霞が声をかける間もなく百足妖は尾を振り下ろす。秋人と雪葵がそれを受け止め、なんとか弾き返した。
「場所を変える。ここは紫苑様が危ない」
「うん!こっちだぞ!」
雪葵が百足妖を煽り、誘導する。遠ざかったのを確認すると日和と楓霞は紫苑の傍で膝をつく。
「楓霞さん。何か解毒剤は…」
「私の家に解毒剤があります。ただ…」
楓霞の言葉が詰まる。無理もない。楓霞の家は今、百足妖と秋人、雪葵が交戦の中にある。容易には近付けない。
それでも紫苑を救う為には。日和は立ち上がると楓霞の家の方向を見据える。
「私、行ってきます」
「無理があります。貴方も大怪我をします」
「それでも…」
「い…くな」
「‼︎」
日和が視線を落とすと紫苑がふらふらしながらも立ち上がろうとしていた。
「紫苑様いけません。横になってください」
触れようとして手を止める。今、日和も倒れる訳にはいかない。
「だめ、だ。お前を、行かせ、ない」
「そんな体では戦えません。紫苑、横になりなさい」
楓霞がきつく言葉を放っても紫苑は立ち上がることをやめない。刀を地面に突き刺し、足を地につける。
「どうしてそこまで!」
嘆く楓霞と心配そうな日和を見て、紫苑は自分に言い聞かせるように告げる。
「護る、ため。今度こそ、護り抜く」
「え…」
紫苑の言葉に疑問を持つが、彼は一瞬にして遠くへ駆けて行った。




