第十一舞 無気力
静かな部屋。朝だからと明かりはつけず、でも陽が入ってくるわけでもなく薄暗い。そこに机と向き合う一人の青年がいた。真剣な表情で机の上の書類と睨めっこしていた。
「紫苑様」
襖の向こうから秋人の声が聞こえる。中に入るよう指示を出す。
「そろそろお時間です。紅ノ宮に向かいましょう」
「はぁ〜わかった」
紫苑は書類を一つにまとめて机の端に置く。その間、愚痴がこぼれる。
「何が会合だ。あんなただくだらないことを駄弁る会なんていらないだろう。時間が惜しい」
「くだらなくありません。貴重な情報を得る機会なんですから、参加しなければなりません。仕事が溜まっているなら戻ってきてから処理速度を上げてください」
「仕事が溜まっているのは俺のせいじゃない。ここ最近妖の出没頻度が増えてきている。ここ数ヶ月は御苑内にも出没しているんだ。早々に対処しなければ」
妖の存在全てを否定するつもりはないが、祓わなければならないことには変わらない。昔は、人間と妖は共存してきた。しかし妖の悪行が増えてきた。おまけに凶暴化も増加傾向だ。それを見過ごすことはできない。
「俺が御苑の外にいる時、御苑が妖に襲われたらどうする。そう考えると迂闊に外にも出れない」
「紫苑様にとって御苑は大切ですものね」
「口が過ぎるぞ」
紫苑は立ち上がり身なりを整えると屋敷を出る。秋人は後ろをついて行く。
気の進まない足を無理やり動かし、会合の会場である紅ノ宮邸に向かう。その最中、掃除をしている下女達が紫苑を見つけると顔を赤らめて集まってくる。紫苑は心の中で溜息をつく。しかし顔はとろけるような微笑みを浮かべる。
「藤ノ宮様〜!」
「藤ノ宮様ー!」
「皆、朝早くから仕事ご苦労。皆のお陰で私達も仕事が捗るよ。これからも頑張ってくれ」
『はい♡』
「すまないがこれから仕事なんだ。通してくれ」
『はい♡』
微笑みに溶けた下女達は道を開けてくれる。紫苑は手を振りながら下女達から離れる。
下女が見えなくなったところで紫苑は肩を落とす。毎日女に囲まれ、優しく微笑むのはしんどい。けれど今までそれを続けてきた。よって周りからの評価は“顔立ちが良く、人当たりも素晴らしい完璧な人“。秋人は主の不器用さに呆れる。
紅ノ宮邸に着く。迎えてくれたのは侍女頭の遠子ではなく、紗綾だった。尚、紫苑は人を覚える気はなく、重要な人しか記憶しないので、紗綾のことは知らない。
「お待ちしておりました、藤ノ宮様」
紗綾の顔がほんのり赤く染まっている。緊張があるだろうが、それだけではないだろう。
「今日は、侍女頭ではないのか?」
「はい。遠子はただ今手が離せない為、代わりとして私がご案内に参りました」
「そうか。それでは頼む」
紗綾に案内され、廊下を歩く。大きな襖が開かれると、他の貴族達の姿があった。一番最後のようだ。しかし遅刻しているわけではないので堂々と空いている席に腰を下ろす。
「よっ。今日も相変わらずの黄色い歓声だったな」
「……どうも」
「ぼ、僕もいつかそうなりたいです!」
「ではまずは身長を伸ばさないとな」
「やめていた方がいいわよ〜。女の子に囲まれて仕事どころじゃないもの〜」
貴族らが好き勝手に話していく。男性にも負けないキリッとした顔立ちの菊ノ宮ー樹。好青年で兄貴肌な葉ノ宮ー真琴。大人びており微笑みを絶やさない紅ノ宮ー果莉弥。貴族の中で最年少であり、まだ子供らしい天ノ宮ー七織。
紫苑を無視して会話が弾んでいった。そんな中、一言も発さず静かに座っている人を見つける。こちらに混ざる気が、話す気がない。声を聞いたことはほんの数回だろうか。その人物が夜ノ宮ー零。彼は謎が多すぎて、あまり関わりたくない。
カランカランカランカラン。
小さな鈴の音が聞こえてきた。会合の始まりだ。
貴族らが姿勢を整える。そして侍女の催し場となる中央に注目する。しかし紫苑は反対に視線を落とす。紫苑は芸に興味などない。何が面白いのか理解できない。つまらないし、これこそ時間の無駄だと感じていた。
襖の開く音が聞こえ、摺り足の音も聞こえてくる。そしてしんと辺りが静まり返ると、音楽が流れてくる。
紫苑の首が痛くなってくる。下を向いてばかりだから当然だ。仕方ないと顔を上げて舞踊を見る。その瞬間、気持ちの良い風が頬を撫でる感覚があった。侍女の姿に紫苑は目を見開く。
つまらないはずの舞踊に目を奪われる。紫苑の視線は後ろ側にいる侍女に移る。透き通った黒髪が動きとともにゆらゆらとなびき、白い腕はしなやかに宙を仰ぐ。表情も見惚れるほど美しい。伏し目で長いまつ毛が強調され、赤い唇は見ている者の瞳を奪う。
周りの貴族もほぅと感嘆の溜息をこぼす。それは五人の息の合った踊りのせいかはたまた後ろの侍女の踊りのせいだろうか。その部屋の空気が温かい何かに包まれた気がした。
気付けば舞踊は終わっていた。侍女達は一礼すると。部屋をそそくさと出て行く。紫苑は居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出した。秋人に声をかけられた気がしたが、気にしていられなかった。