第二舞 雷
紫苑と日和の去った執務室で果莉弥は溜息をつく。
「全くもぅ。気を紛れさそうと、緊迫したのを解いてあげようとしているこちらの気遣いが分からないのかしら」
果莉弥がぷんぷんと怒る。遠子は果莉弥の前にお茶を出した。
「紫苑様は時々周りが見えなくなってしまいますからね。その中、困っていると言いながらも淡々とした顔で付いていける日和が凄いです」
「本当よ。私が侍女なら絶対あんな人の所いたくないわ。そう思うと遠子もよくこんな私なんかにずっと仕えられているわね」
「私は果莉弥様にお仕えしたいと臨んだ次第です。あまりご自身を下卑しないでくださいませ」
遠子がそう言いながら果莉弥のお気に入りである饅頭を一つ差し出した。もう少しで夕食なので、控えめだ。果莉弥は遠子にいくつか聞いてみる。
「私、我儘よ?」
「昔からのことでございます。気になってはおりません」
「悪戯好きよ?」
「それは少しお控え願いたいと思っております。紗綾達が困っております」
「だって、皆の反応が面白いんだもの。後はーあっ、甘い物好きよ?」
「それはよろしいことですよ」
「……弱いわよ?」
「私がお守り致します。命がある、その日まで」
その言葉に果莉弥は少し眉を下げる。けれど優しく微笑んだ。
「えぇ。私は遠子を信じているわ。だから私はまだ齢十だった貴方を侍女にしたんだもの」
「はい。あの時、果莉弥様は私に笑いかけて侍女に誘ってくださいました。そのご恩を忘れることは一生ありませんよ」
「大袈裟ね~」
「いいえ。私は本当に感謝し、尊敬しております。それに」
今度は遠子は果莉弥に微笑んだ。
「果莉弥様は私にとってご自慢の主人でございます」
それがお世辞ではないことは果莉弥は分かっていた。
「ですから最期まで、私の命が尽きるまで…果莉弥様の侍女でいさせてくださいね」
「……えぇ。もちろんよ」
果莉弥は柔らかく微笑んだ。
廊下を歩いていると外が煩いのが分かる。雨の音だ。かなり大荒れのようだ。傘を持ってきて正解だと安心した。
車寄まで行くと紫苑が立ち止まっていた。そして日和に気付いて振り返る。反帝軍の件なのか、雨が降っているからなのか、どちらでも良いのだが、とにかく不服そうだ。
「雨が降ってきたんだが」
「傘を持ってきております」
「貸せ」
「何故です?」
首を傾げる日和に紫苑は苛立ったようだ。顔を顰める。
「お前が傘を差せば俺の頭が当たるだろう。それが嫌だ」
「ですが、紫苑様に傘をお持ちいただくわけにはいきません」
「いいから貸せ」
「人の話をお聞きになってください」
「聞いた上で言ってるぞ!」
「全く聞いておられないから申しているのです!」
結局、二人とも喧嘩腰になってしまうようだ。あーだこーだと、人の家の玄関で言い合う。なんと迷惑な人達だろうか。けど侍女として貴族に傘を差させるわけにはいかない。日和はどうにかして納得させようと考えながら紫苑と言い合いを続けていた。すると突然地鳴りのような大きな音が辺り一体に鳴り響いた。
ピシャン!!ゴロゴロッ!!
「きゃぁ!!」
叫び声を上げ、傘を投げ出すと両手で耳を塞いで蹲る。一瞬だったが大きな音だった。暫く震えると、日和ははっとして顔を上げる。上からは目を見開いた紫苑が見下ろしていた。日和は慌てて立ち上がり、首をぶんぶんと横に振る。
「あの、これは、違…」
「先程の叫び声はお前か?」
「いえ!違いま…」
ゴロゴロゴロ。
「ひぃっ!」
「……」
遠くで聞こえる雷の音で日和はまた耳を塞ぐ。そしてまたはっとして紫苑を見る。紫苑は悪そうな笑みを浮かべていた。日和は焦って弁解しようとする。
「こ、これは違うんです!」
「苦しい言い訳だな」
「そ、そんなことありません。って何故そんなに面白そうだという顔をなさっているのですか!」
「ああ、済まない。お前にも怖いものがあるのだと思うと面白くて仕方なくてな」
「し、紫苑様!」
ピカッ!
「きゃあ!!」
「ほら傘を貸せ」
紫苑が地面に落ちた傘を拾う。日和は力のない手で傘を取り返そうとする。しかし紫苑に避けられてしまって全然取り返せない。
「…ああ、紫苑様」
日和が間抜けな声を出す。紫苑は可笑しくて笑ってしまう。先程までのいらいらはどこかへ行ってしまったようだ。
「耳を塞ぐ手が必要だろう?傘を持っていたらそれができないからな」
「ですが、紫苑様に傘を差していただいたとなると菫澪さんに怒られてしまいます」
「雷が怖かったから代わりに差してもらったとと正直に言えば良いだろう。…くくくっ、見物だな」
「だ、誰が雷が怖いですか!怖いんじゃありません!驚いただけです!」
「三回もか?」
「うっ……そ、そうです!」
「分かったから行くぞ。濡れたくなかったら早く来い」
「ま、待ってください!」
紫苑が無邪気に笑って傘を差す。日和が耳を塞いだまま急いで紫苑が開いた傘の中に入る。
((…こんな一面があるんだな…))
紫苑の屋敷まで歩く間、何度か雷の音や光で日和は体を震わせる。それを見て紫苑は笑うのだった。




