第一舞 不穏
からっとした暑さがまだまだ続く。空が真っ青である日は清々しい気分になれるものだが、今は全くその気になれなかった。
悠羽の襲撃事件以来、御苑内では緊張感が漂うようになった。まあ無理もない。武官もいるし、門番もいるのだから安全であるはずの御苑。しかしそれが突如そう言い切れない場所に変わってしまった。突然自分が襲われるのかもしれない。そんな恐怖と隣り合わせで毎日を過ごさなければならない。
日和はこの緊張感漂う重苦しい雰囲気に押し潰されそうになっていた。この雰囲気の中で生活するなど酷すぎる。いつか精神が崩壊してしまいそうだ。幸い、藤ノ宮ではそこまで緊張感は強くない。
ただ紫苑の怒りじみた感じは漂うようになった。それもそれで嫌なものだ。分かっている。紫苑を慕っているのであろう結亜も皇太子の悠羽も襲われたのだ。天皇陛下を守る役目の紫苑からすれば憤って当然である。
ただそれを全面に出さないでほしい。その見目麗しい顔が怒りで眉を寄せれば相当な迫力があって、ほとんどの人が話しかけられなくなっていた。これでは報告をしたくても怖くてできない。それでは困るのだ。
今この状況下で報告という情報は大切になる。今できることはより多くの情報を集めることだ。それができなければ対策を立てることもできない。なのでどうか上辺だけでもいいから微笑みを浮かべていてくれと手を合わせたくなる。
「何とかならないんですかね?」
「紫苑様のこと?あそこまでお怒りだと無理ね~。余計に爆発させるわけにはいかないしねー。触らぬ神に祟りなし、的な?」
「それだと困るんですよー」
洗濯をしながら菫澪に愚痴をこぼす。菫澪は諦めな、と微笑む。日和は溜息をつく。
昼ご飯を終えた後、布団を干そうとすると紫苑に声をかけられた。
「果莉弥の元へ行くぞ」
「…はい」
仕事を菫澪に託し、紫苑について行く。空を見上げると雲が広がっている。日和は念の為にと和傘を手にした。
移動中は無言である。ここは侍女が気を使って話しかけるべきかもしれないが生憎、その気遣いを日和は持ち合わせていない。それに今の不機嫌な紫苑に話しかける勇気がない。ので沈黙が続く。気まずさはないので良しとしよう。
果莉弥の屋敷に着いた。今回は突然の訪問のようで紫苑と日和に気付いた真菜は驚いてどこかへ走って行った。そして真菜から伝えられたのであろう。遠子がやって来る。
遠子は何も聞かずに果莉弥のいる執務室に案内してくれた。
果莉弥は書類を仕分けている所だった。紫苑が来たことに気付くと手を止める。
「どうしたの、紫苑。突然来るなんて貴方らしくないわね」
「天皇宛に届いたあの衣類を見せてくれ」
「……はいはい。遠子」
「はい」
遠子が引き出しから衣類を取り出して紫苑に渡す。日和は紫苑の後ろからひょこっと顔を出してその衣類を見る。そこにはびっしりと描き殴られた文字が並んでいた。よく見れば天皇の悪口だ。「天皇権を渡せ」だの「天皇に相応しい人は別にいる」だの、こんなに堂々と天皇に、国に喧嘩売って大丈夫なのか?
紫苑はその衣類を広げる。男物であることがぱっと見て分かるくらい大きな着物だった。
「筆跡は」
「こんなに殴り書きされていたら分からないわ」
「ちっ」
「こら紫苑。舌打ちしないの」
果莉弥が紫苑を叱る。しかしそんなの気にせず紫苑は険しい顔で衣類を見つめている。果莉弥がそっと日和の傍に来た。
「苦労しているわね、日和」
「全くです。どうしたらいいのか」
「秋人は?」
「真琴様による巡苑組強化が始まっているらしく、そちらの方に手がいっぱいのようです」
「そうなのね。まぁ、秋人の本業はそちらだものねー」
果莉弥は残念そうに一息つく。日和としても秋人に来て欲しいところだ。秋人ならこの紫苑を何とかしてくれそうだからだ。
巡苑組の強化。いずれ必ず必要になることだから、と今から取り組んでいるらしい。確かにもし反帝軍と正面衝突になった場合、今の状況ではこちらが劣勢である。人数は反帝軍の方が多い。数で押し切られては秋人でさえも勝ち目はない。そうなると、早急にこちらの力を強める必要があるだろう。秋人は真琴と共に指導にあたっているようだ。
「この衣類はいつ送られてきたのですか?」
衣類と睨めっこしている主人は教えてくれなさそうなので果莉弥に聞いてみる。
「そうねー。確か皇太子様が襲われた翌日だったわ。襲撃したのが反帝軍だとしたら、直後にこんなもの送り付けて、全く良い度胸しているわよね」
果莉弥は呆れたように笑う。本当にこんな衣類を作って送れるほど、暇人なのかと問いたくなる。
紫苑が衣類から顔を上げた。
「またこのような着物や布が送られてきたら教えてくれ」
「言われなくても連絡するわよ」
「…そうか。もう十分だ、帰るぞ」
紫苑が着物を遠子に渡し、立ち上がる。さっさと行ってしまうので日和は急いで一礼する。
「お見送りするわ」
「ありがとうございます、遠子さん。でもお気になさらず。あの様子ですと、一人がよろしいようなので」
「そうねー。変に話しかけると怒るだろうし。放っておいていいわよ、遠子」
「では失礼致します」
日和はそう言うともう一度礼をすると紫苑を追いかけた。いくら一人が良いとはいえ、付き人はついていかなければならない。邪魔しないように後ろで静かにしておこう。




