第二十六舞 呼出
数日後。紫苑達が屋敷に戻ってくると同時に御所からの使いである武官が来た。紫苑に御所へ来るようにと。秋人がそれを受け、紫苑に伝達しようとすると、武官はおかしなことを言ってきた。
「あの侍女も連れてくるようにと」
秋人は溜息をついて、武官を返す。完全に面白がっているではないか。執務室へ行き、伝言を伝えると頭を抱える主人を横目に侍女を呼びに行った。
「え、私ですか?菫澪さんではなくて?」
日和が驚いて作業の手を止める。秋人が頷き、手招きする。
「そうだ。行くぞ」
菫澪は笑顔で手を振っている。日和は諦めてついて行くしかない。雪葵は初めての御所だと目を輝かせている。能天気で良いなと心底羨ましかった。
紫苑を呼びに行き、御所に向かう。
「どうして私が呼ばれるのですか?」
「俺に聞いてどうする。知るわけないだろう」
分かるくせに、と秋人は心の中で呟いたことは内緒である。
「とにかく大人しくしておけよ。自分から発言はするなよ」
「分かりました。無言を貫きます」
「いや何か聞かれたらちゃんと答えろ」
ぐだぐだ話していると御所の門が見えた。中に入り進んでいると雪葵の叫ぶ声が聞こえてきた。振り返ると雪葵は御所の門の前で空中を叩いている。まるで透明な壁があるかのように。
「雪葵、どうしたの?」
「入れないの!僕だけ壁にぶつかったみたいなの」
無理矢理体を捻じ込もうとしているが、全く通れそうになかった。その様子を見て紫苑が呟く。
「先生の結界か…」
「え、結界?」
「時間ないから白狐置いてくぞ」
紫苑は早歩きで御所に入っていく。「薄情者ー!」と叫ぶ雪を宥め、日和も後に続いた。
客間を通り過ぎて天皇のいるという部屋に到着する。日和は違和感を覚える。
ここまで数人の侍女にはすれ違ったが、皆会釈するだけで案内してくれる人はいなかった。その割に紫苑と秋人は迷路のような道に迷うことなくこの部屋に辿り着いている。
(御所に来るのが慣れているな。そんなに何度も呼び出されているのか?一体何したらそんなに天皇陛下に呼び出されるんだ?)
秋人が奥に声をかけ襖を開ける。中には貫禄のある髭の生えた男性が座っていた。堂々としていて威厳が感じられる。この人こそがこの国の頂点に立つ御方、天皇陛下だった。
「お待たせ致しました、陛下。どのようなご用件でしょうか」
正座した紫苑が淡々と言う。さっさと用事を済ませて帰りたい、という雰囲気がひしひしと伝わってきた。その雰囲気が天皇に伝わらなければ良いのだが。紫苑の後ろに座った秋人と日和は冷や汗をかきそうになっていた。
「うむ。今回はお前さんでなくその侍女に用があるのだ」
「…と言いますと?」
紫苑の声が低くなる。きっと目つきが鋭くなっていることだろう。
「お前さんが気に入っているという娘がどのような子なのか知りたくてな。少し前に出てきてくれないか?」
「え、…御意」
日和は恐る恐る前に出る。と言いつつ紫苑の横に並んで止まった。それ以上前に出る勇気はない。
「名は?」
「日和と申します」
「舞踊に長けているのだったな?昨年の遊華演会で拝見した際、見事な舞で感動してしまったよ」
「陛下からそのようなお言葉を頂くなど、大変恐縮です」
日和が頭を下げる。とても光栄なことだ。天皇に認められる、ということはなかなかない。大出世できる可能性があるのだ。日和としては出世するつもりはないが、有難い言葉を貰えたことはこの上なく嬉しかった。
「それでだ。良かったらここで一つ舞ってもらえぬか?」
「陛下!」
紫苑が勢いよく立ち上がろうとする。日和は光栄を感じると共に緊張が全身を走った。天皇の願いで天皇の目の前で天皇のためだけに踊るのだ。責任が重い、重すぎる。
「どうした。お前さんが反応する必要はないだろう」
「っ…」
紫苑が悔しそうに黙り、正座に座り直す。日和は紫苑を見た。紫苑もまた日和を見る。以前紫苑に言われたことを思い出す。紫苑以外の前で踊って欲しくない、そう言われた。なら天皇の前とはいえ、嫌なのではないか。紫苑は暫く黙り込む。葛藤しているのだろう。
その末、紫苑が頷いた。踊っても良い、という意味だ。日和は若干抵抗を感じながらも立ち上がり、前に進む。そして天皇と紫苑の間で踊り出した。いつ見ても美しい踊り子は昼間であるにも関わらず天女を思わせた。まるで月の光に照らされているように輝く。紫苑は見惚れた。天皇は満足そうに日和を見つめていた。
踊りを終え、日和が天皇に向かってお辞儀をする。天皇は大きな拍手をした。
「いやはや近くで見るとより素晴らしいな。私の侍女にしたいものだ」
「陛下!」
「なに、冗談だ。そうカリカリするな。日和と言ったな。わざわざすまなかった。礼を言おう」
「いえ、踊り子として当然のことをしたまでですので」
日和はまた一礼する。紫苑と秋人は立ち上がり、天皇に一礼すると部屋を出て行く。日和もそれに続いた。
まだ緊張感が残っているため、早く御所から出たい、と考えていると声をかけられた。
「兄上!」
横の部屋を見ると今朝見た男の子であった。名は確か悠羽だったか。紫苑が驚いて立ち止まる。
「仕事で外に出ていると聞いていたはずだが?」
「先程戻って来たの!今は少しお休みしようって…」
「悠羽!」
部屋の奥からずかずかと内親王が現れた。彩芽という名であったはずだ。
彩芽が悠羽の手を引く。
「こんな人とお話したらだめ!ほら奥に行きましょう」
「わっ!姉上!」
悠羽は力負けして引っ張られて行く。紫苑はやれやれと頭をかいた。
「こんな人とは酷い言い様だな」
「では裏切り者ですか」
「いや、こんな人で十分です。満足しています」
紫苑が日和の存在を思い出した。わざとらしく咳をすると悠羽に話しかけた。
「悠羽様。お休みのお時間でしたらゆっくりお休みください。せっかくのお時間が勿体ないですよ」
「兄上?」
「ほら悠羽、行くよ!」
「う、うん。ばいばい!」
悠羽が手を振って彩芽と共に部屋の奥に行ってしまった。すると紫苑がすたすたと歩き出す。日和は紫苑を後ろから睨む。逃げようとしても無駄だ。
「紫苑様。随分お二方と親しげにお話されていましたね」
「あ、ああ。何度かお会いしたことがあるからな」
「それで『兄上』とは?」
「あ、いや、それは…」
紫苑が分かりやすく戸惑う。すると横から秋人が口を挟んだ。
「悠羽様は紫苑様を兄のように慕っている。それがあるからいつの間にか『兄上』と呼ばれるようになったのだ」
「ふーん、そうなんですか」
筋は通っているが紫苑の動揺からそれが嘘だと分かった。
(……まさか、ね)
日和は思い浮かんだ一つの可能性を頭の中で消した。




