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空回り(七)

 友香里と社長が並んで座り、テーブルを挟んで反対側に安田が座っている。黒いソファーに白いテーブル。

 落ち着いた雰囲気の家具が配置された、事務所の一角だ。


 インテリアの参考にしたのは、学校の校長室だろうか。

 応接セットが置かれていて、上には写真ではなく、何故か肖像画の額縁なんかが並んでいる。一番端の好青年は、社長の自画像だ。


 そんな中、手元の楽譜を見る安田から目を逸らす様に、友香里はソッポを向いていた。それはまるで、学校の保護者面談である。


「友香里ちゃん、どういうことなの?」

 扇子でパタパタ扇ぎながら『聞いていなかった』とでも言いたげに、社長が友香里に聞く。

 しかし友香里は答えない。答えたくない。

 その様子を見て、安田は次に社長が何て言うか想像した。


 社長は誰にでも『ちゃん』を付ける。安田の様な男にもだ。だから安田は、人前で社長に呼ばれるのが嫌いだ。

 いや、むしろ社長と二人だけの方が気持ち悪い。


 いやいや、今はそんなことを考えている場合ではなくて。

 安田は軽く首を振った。そして、社長に説明を始める。


「この子は、コンビニ前で営業をしていた時に、友香里ちゃんの歌に『全然ダメ』と、ダメ出しをしたんですよ」

 社長の目が友香里から安田に移る。


「へー。それで?」

 しかしその口調、表情は割と普通である。だからと言って友香里のことを『全然ダメ』だなんて、思ってはいない。

 むしろ気に入っている。だから社長は、扇子を持ち替えた。


「はい、で、ですね、『どの辺がダメですか?』って聞いたら、物凄く怒った様子だったので、名刺を渡しておきました」


「へー。それで?」

 社長はまた扇子を持ち替えた。

「やはり批判してくれる人も、大切にしないといけませんからね」

「うんうん」

 社長は頷きながら再び扇子を持ち替えた。どうやら社長が聞きたかったのは、ソコではないようだ。


「それで?」

 社長はパチンと扇子を閉じると、要の方でテーブルに置いてある楽譜をトントンと叩く。


 社長にとって気になるのは、楽譜に書いてある赤い丸と数字である。音楽に疎い社長にも、そんな音楽記号がないこと位は判る。

 そして、それが『何か』を指摘しているということも。

 安田は別の紙を見ながら説明を始める。


「まず、赤い丸印が付いている所は、全部音が外れている所ですね」

「そうなの?」

 社長は大きな声を上げた。

 余程驚いたのか、閉じた扇子で膝を打つ『パチン』という音が、事務所に鳴り響く。

 しかし直ぐに、『自分が動揺してはいけない』と、気持ちを切り替える。『パチン』の余韻が消えた頃、友香里に優しく問う。


「友香里ちゃーん」

 友香里はソッポを向いて黙っていた。

 まるで得意だった英語の成績が、下がってしまったかの様に。


「別に、怒っている訳じゃないんだからさ」

 社長にそう言われて、友香里は振り向いた。その時に気が付くべきだと思うのだが、社長が友香里を叱りつけたことはない。


 それで安心したのか、安田の方を向いて行動に移る。

 先ずは逆さまになっている楽譜を覗き込むと、赤い丸が付いている所を確認した。小さく溜息である。


「そうかも」

 適当かもしれないが、友香里がそう答えたのには理由があった。

 一つは、三日前の歌の調子なんて覚えていなかったこと。

 もう一つは、思ったより赤い丸が多かったことだ。


「最悪っ」

 短く吐き捨てる。その場に居辛くなったのか、友香里は席を立つ。社長はそんな背中を見ただけで、追いかけることもなく安田の方に振り返った。


「安田ちゃんはどう思う?」

 出た『安田ちゃん』。これが気持ち悪いんのだよ。

 しかし社長の目は真剣だ。扇子をテーブルの隅に放り投げると、腕組みをしてテーブルの楽譜を覗き込む。


 逆さまになっているが、どちらにしろ判らない。しかし、社長も思ったに違いない。

 こんなに赤丸が付いていては、友香里が『音痴である』と言っている様なものだ。


 安田は社長と顔を見合わせたまま、返答に困っている。


「私は、正しいと思います」

 安田が答えるのと同時に、『バチン』と勢い良く窓が閉まる音がする。社長と安田は肩を竦めて顔を上げ、首を勢い良く横に振った。


 まるで舞台の様にピッタリ揃えての動き。そこへ夕方の日差しが、二人の顔を照らす。眩しかった。

 友香里の顔は逆光になっていて、良く見えない。


 見えない方が、二人には良かったかもしれない。

 それでも二人が見てしまったのは、風が止んで髪がゆっくりと落ちてくる友香里の全身像と、少し上げた顎。その奥に光る目。

 口元がゆっくりと上がって見えた、かわいい八重歯であった。


 クーラーが効いて来て、窓を閉めに行っただけだ。

 しかし、一歩踏み出したその足が向かう先は、二人の方に向っていた。きっと首でも締めに来るのだろう。

 二人は、今の内に酸素を多く取り込んでおこうと呼吸を荒くする。


 それら一連の動作が、まるで『スローモーション』に見えたのは、友香里がコーラの缶をゆっくりと握り潰していたからに違いない。

『バキ・バキ・バキ・バキ』と、間隔を開けた破壊音を響かせながら、缶の形が変わって行く。


「こっち? それとも、あっち?」

 社長は声を上ずらせながら、安田に確認を求める。早急に結論を出す必要がある。あと十秒もない。

 何故なら安田は、何が正しいのか『主語』を明確にしていなかったからだ。社長は黒目を左右に振りながら安田に迫った。

 組んでいた腕を解き、右手で楽譜をトントンと叩く。


 社長が交互に指差したのは、楽譜と友香里である。

 安田は緊張を覚えながらも、会社の最高責任者である社長に正確な報告をした。


「こっちです」

 すると今度は、勢い良く缶を握り潰す音が響く。社長と安田は、思わずその音の方に振り返り、友香里の表情を伺う。


 明らかに怒っているではないか。

 眉毛をひくひくさせ、唇を噛み締めている。それでいて目は笑い、口角も上がっていた。

 二人は長い編成会議の時と『まったく同じ顔をしている』と思っていた。あの時も『身の危険』を感じた。もちろん今もそうだ。


「ちっ」

 友香里は二人の前で方向を変える。首を短くしたまま二人は、左右に揺れる髪を眺めていた。

 社長は友香里が視界から消えてホッとしていたが、安田はまだ緊張していた。完全に怒っている。いや、完全とは何ぞや。


 ガニ股でゴミ箱まで行き、そこで一旦立ち止まる。大きく振りかぶったかと思うと、手に持った空き缶をゴミ箱に叩き込んだ。

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