時計は回る(二十四)
ある日友香里が、ぼんやりと外を眺める有加里に聞く。
良い天気で、窓から見える雲を二人で眺めていたときだ。
「何か食べたい?」
ぼんやりと外を眺めていた有加里が振り返った。友香里の顔を見ると、考え込んでいる。
友香里は急かさずにじっと待つ。今の有加里に『考える時間』というのは、凄く意味があり大切なことなのだ。
「アイス」
友香里は喜んだ。今は秋。もうアイスの季節ではない。
だから何か考えてのことなのだろう。考えることは良いことだ。
友香里は有加里の手を握り、目を見ながら問う。
「何味?」
「バニラ」
友香里が首を曲げて聞くのと、同じタイミングでの返事。間違いない。有加里は記憶を振り絞って考えているのだ。
答えた有加里は、自分の手が両手でしっかりと握られているのを、珍しそうに眺めている。
それは『懐かしい』とでも、思っているのだろうか。友香里の手を握ろうとしている。
するとその手が、パッと離れたのだ。有加里は顔を上げると、友香里の方を不安げに見る。
「ちょっと待ってて。直ぐに買ってくる」
有加里は目の前の友香里が『随分大きくなった』と、思っているのだろうか。それともただ単に、『声と姿が一致しない』と、思っているのだろうか。
何れにしても『小さな妹』は、病室を飛び出して行ってしまった。
友香里は入り口に立つ正樹とすれ違いざまに、背中を押して病室へと押し込む。会話が聞こえていた正樹は、仕方なく頷いた。
そんな正樹の耳には、パタパタと遠ざかって行く足音だけが届いている。それは恨めしくもあった。
正樹は病室で有加里と二人っきりになったが、どうにも掛ける言葉が見つからない。
また今日も『自己紹介』から、始めないといけないのだろうか。
有加里を守るつもりで生きて来た正樹にとって、『有加里から恐れられる』ことは、生きる意味を失うに等しかった。
目の前の有加里は、目を泳がせてチラチラと正樹を見てはいる。
有加里が興味を持ったこととは、一体何だったのだろうか。
正樹にはそれが判らない。もう、随分と前のことだ。
有加里の気を引こうと思って、話し掛けた訳じゃない。有加里は母の『大切なお客様』だったのだ。
ピアノ教室に来るのが、嫌にならないようにしていたに過ぎない。
だんまりを決め込む正樹を、むしろ有加里の方がジッと眺めていた。特に話し掛けたりはしない。
しかしやがて、『無害』と理解したのだろうか。僅かに微笑むと、ぼんやりとテレビを見つめ始めた。