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時計は回る(十三)

 売れない歌手にとって、先輩の仕事を見学することは勉強でもあり、顔を売ることでもある。

 しかし大抵の場合、その辺の『石ころ』か、あるいは『便利な使い走り』で終ってしまうものだ。


 それでも運命の女神は、時折『粋』なことをする。


 有加里は先輩歌手にくっ付いて、映画スタジオにやってきた。

 自分が映画に出演する訳ではないのに、有加里は映画スタジオに来れたこと自体を喜んでいた。何しろ初めてのことだったから。

 しかし現実は、想像を超えて過酷である。


 様々な雑用を言いつけられて、有加里は忙しく走り回った。いつかの『海の家』の様に。いや、もっと忙しかっただろう。

 そして、少しの休憩時間が与えられて、楽屋の片隅でパイプ椅子に座っていたときのことだ。先輩歌手から言われてしまう。


「あんた、私が立って休憩しているのに、何座ってるの?」

「す、すいません」

 有加里は直ぐに立ち上がった。そして何度も頭を下げる。


「暇なら『イヌの散歩』でも、してきたらどうなの?」

 手を『ブンッ』と振って楽屋の外を指さす。有加里はその指が指す方向へと走り始める。

「は、はい、直ぐ行って来ます」

 有加里が楽屋を出て行っても、先輩歌手の機嫌は直らない。


 そもそも、先輩歌手も座れば良かっただけなのだが、撮影で着る衣装の都合上、座れなかっただけなのだ。

 それに撮影が押して、少しだけ機嫌が悪かった。それだけだ。


 だから、有加里と入れ替わるように入って来たマネージャーにも、ガミガミと当たり散らしている。

 マネージャーもペコペコ頭を下げると、今報告したばかりの『出番』となる時刻を、もう一度確認しに行ってしまった。


 運命の女神のように全体を俯瞰して眺めていれば、それは酷い言われ様であったに違いない。

 しかし有加里は、素直に『犬の散歩』へと向っていた。


 楽屋のある建物から外に出て、暫く壁際を歩く。

 暫くは、昔使ったであろう『大道具』やら何やらが、乱雑に仕舞われた倉庫が続いている。

 一つ一つ見ているのも楽しそうだが、覗き込んでいる暇はない。


 それも途切れて、更に人気も少なくなった頃、角を曲がったその先の一番奥に、大きな犬小屋がひっそりと建っている。

 何しろ赤い尖がり屋根は、有加里の腰よりも高い。


「ジョン様、お散歩の時間でございます」

 犬小屋の前に膝を曲げてしゃがむと、有加里は犬小屋の中に向かって声を掛けた。

 人の声がして中で寝ていた白い老犬が、偉そうに片目だけ開けて、有加里を見る。


「本日の担当は高田有加里でございます。どうぞお見知りおきを」


 有加里が『ただの犬』に、どうしてそこまで『丁寧に挨拶』をしたのか。

 それはジョンが、かつて一世を風靡した『スター犬』だったからに他ならない。

 つまり芸能界では、有加里の『大先輩』なのである。


 そんなに丁寧にしたとしても、丁寧過ぎることはない。

 しかし今は引退して、映画スタジオの片隅で余生を送っている。


『そこまで言われちゃぁ、しょうがないなぁ』

 そんな感じで、ジョンが立ち上がった。足元がおぼつかないが、気合を入れるようにブルンブルンと体を揺するとシャンとなる。

 それを見て有加里も鎖を持つと、右手首に巻いた。


 ジョンは後ろ足で立てば、中学生の女の子位はあるだろうか。

 有加里は少し不安になる。走り出したら止められそうにない。


 しかしそんな不安を余所に、ジョンはスタスタと歩き始める。

 伸びた鎖に、有加里が引っ張られて行く。いやはや『老いた』とは言え、凄い力だ。有加里は目を丸くしていた。


 ジョンはお決まりの『散歩コース』を歩いていた。

 その姿は、映画スタジオの中を『有加里が散歩させている』と言うより、『ジョンに引き回されている』だけに見える。

 だから面白がって、色んな人が声を掛けて来るのだ。

 図々しく美術倉庫の奥へと入って行くジョン。有加里は焦る。


「おっ、ジョン! こんちわー。誰だい? そのかわいい子は?」

 有加里は『怒られる』と思ったのだが、そうではないらしい。

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