時計は回る(十)
それからその日は、夕方になるまで二人は働いた。
焼ソバを作ったりジュースを売ったり、おみやげも売った。何だか今日は、『おつまみ』も飛ぶように売れた。
でも、一番働いたのは店長でもあるトミお婆さん。にわかバイトなど、足元にも及ばない。
そもそも『手伝い』など必要だったのだろうか。それとも『失業対策』だったのか、はたまた『社会勉強』だったのか。
いずれにしても、今日はもう閉店だ。
後片付けをして、シャッターを再び三人で掴んだ。今度は下に引っ張ると、店内は裸電球の灯りだけに包まれる。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。耳を澄ませば、聞こえて来るのは優しい波の音ばかり。
有加里は何だか久し振りに『波の音』を聞いた気がしていた。
トミ婆さんは疲れて、イスにでも座るのかと思ったのだが、そうではない。まだまだ元気だ。
一人でやっていける。だとしても今日は、やはり『余裕』があったのだろう。
ニッコリ笑うと、エプロンのポケットから何時の間に用意していたのか『茶封筒』を取り出した。それをサッと差し出す。
正樹と有加里が嬉しそうにパッと顔を見合わせると、トミ婆さんに向き直り頭を下げた。
「あんた、見所があるよ」「ありがとうございます」
肩まで届かないから、二の腕辺りを優しく『ポンポン』と叩く。トミ婆さんが褒めたのは、もちろん有加里の方だ。
有加里は笑顔で礼を言うと、茶封筒を受け取った。
「あんたは全然だめだよ」「どうもすいません」
やきそばを焦がしてしまった正樹は、トミ婆さんにお尻をパチンと叩かれた。大して痛くもない癖に、正樹は飛び上がった。
それには有加里はもちろん、叩いたトミ婆さんも笑っている。
一応『反省』はしたのだろう。それとも『風』だろうか。苦笑いで頭を掻きながら、例によってペコペコし始めた。
そして『じゃぁこの辺で』と息を吸うと、『反省の姿勢』を止め、両手を差し出す。
しばらくそのまま固まっていたのだが、トミ婆さんからの反応がない。正樹の指先だけが『クイックイッ』と、まるで『俺の分、俺の分』と目と合わせてアピールだ。
トミ婆さんは呆れて、鼻から『フッ』と息を吐くと有加里の茶封筒を指さした。
「一緒に入れたよぉ。仲良くわぁけなぁ」
右手を下から上に振って『払うもん払ったからね』である。
トミ婆さんはそう言ったのは確かだ。有加里の目を見て頷いた。
すると、有加里の目が輝く。キャッキャと言いながら、さっさとエプロンのポケットにしまってしまった。正樹は慌てる。
そんなぁ。有加里に触れることすら躊躇うと言うのに、有加里から力づくで奪い取るなんて。どうすれば良いのやら。
デカい体の癖に迷い戸惑う正樹を見て、またまたトミ婆さんは鼻からフンと息を吐く。
顔をしかめてしわを深くすると、正樹を指さして有加里に問う。
「有加里ちゃん、あんた『こんな男』と別れて、家の孫と一緒にならんかね?」「いえいえ」
有加里は直ぐに、手をブンブンと横に振ったではないか。
それを見て正樹は心底ホッとした。
有加里の答えが『別れない』なのか、『そもそも付き合っていない』なのかは知る由もない。
判るのは『嫌われてはいない』それだけだ。
二人の表情を見比べて、恋愛経験も人生経験も豊富なトミ婆さんは、それ以上は何も言わない。不思議そうに首を傾げるだけだ。
「どうも有難う御座いました」「お世話になりました」
二人は店の裏口でトミ婆さんに頭を下げる。一日だけだが、何だか別れが惜しい。そんな感じもしていた。
仕事に困ったら、また来ても良いなとさえ思う。
「お疲れさんだったねぇ。今日はありがとうねっ」
しかしトミ婆さんは、それが無理なのは判っている。何しろ『何処』から『何を』しに海へ来たのかを聞かなかったからだ。
「何か、焼ソバで大損した様なー」
原価を知らない正樹が言うと、トミ婆さんは笑った。
金勘定が出来ている内は、何とか元気に頑張るだろう。
「じゃぁ、少し置いて行くかね?」
そう言って手を出したが、茶封筒を貰っていない正樹は慌てる。
しかし、それが『冗談だ』と言うのは皆判っていた。
それが証拠に、笑顔になって手を引っ込める。そのまま両手を後ろに回して組むと、不思議そうに首を傾げた。
「あんたら、仕事、何やってるの?」
その質問に、二人は顔を見合わせる。
確かに海を見ながら『仕事がない』とボヤいていたのだが、名前しか教えていなかったことに気が付いた。
「歌手なんです」「そうなんです」
それを聞いてもトミ婆さんは驚くこともなく、寧ろ正樹を見て納得の表情を見せた。もちろん『売れない理由』についてだ。
「歌で食えるんかね?」
ズバリ聞かれて、二人はまた顔を見合わせる。しかし今度は返事がない。眉をひそめると、互いに返事を譲り合う。
返事をしない二人に、トミ婆さんは言葉を付け足す。
「まぁ、食えなくなったら、焼ソバ食いにいらっしゃい」「はい!」
孫達に『歌で暮らしている』者など皆無。だから『食い物』を扱う商売をしていれば、食いッパぐれることはなかろう。
それにしても、元気良く返事をしたのが当の『有加里本人』だったので、正樹は気持ちを引き締めた。そして決意する。
絶・対・『歌』で食ってやる!
有加里の歌を、売って売って売りまくって、『焼ソバの大盛』でも何でも、買える位になってやるんだっ!




