空回り(三十四)
二人が『ダンスホール』と言う名のレッスンルームに戻ったのは、早苗のピアノが丁度終わった所だった。
ピアノの蓋を早苗が『もうおしまい』と、閉じたのが遠くに見えている。声よりも大きな『パタン』の音が、強い意志表示だ。
それでも、まだ椅子に座ったまま『得意な目』と『にっこり口』で、『どうだ』とばかりに友香里を見上げている。
すると友香里が『もっと弾け』と、早苗を押さえ付けるように閉じられた蓋へと手を伸ばす。早苗が驚いて暴れ出した。
そのまま『弾け』『弾かない』の争いが始まる。
お互い笑顔で嫌がっている、実に不思議な光景だ。両者髪を振り乱しながら、一歩も弾く様子、いや、一音も弾く様子はない。
少し年の離れた仲良し姉妹にも見えて、雄大は複雑な心境になる。
「早苗、プレゼントを貰ったよ」
遂に二人は、ピアノを放り出して笑いながら走り出す。
明るいシャンデリアが照らす広いダンスルームで『鬼ごっこ』を始めた。その不規則なリズムに添える楽曲は見当たらない。
両手を広げて追い掛ける鬼は、もちろん友香里だ。
友香里は子供好きなのか、それとも早苗が人見知りをしないのか。
いや、それはない。早苗のことは良く知っている。
普段からそっけなく、ぶっきら棒で『むすっ』としているのが早苗である。家に来てから、もう二年と五ヶ月になるが、ずっとだ。
そんな早苗が、声を挙げて笑っている。無邪気に友香里と追い掛けっこをしている様を、雄大はしばし眺めていた。
あっと言う間に、友香里に捕まる早苗。そして、友香里に抱き着かれたまま、雄大の方へとやって来た。
「何?」「何? 何?」
それでも、しっかり『プレゼント』は聞こえていたようだ。
二人は足を揃えて戻って来ると、顔まで上下に揃えたまま紙袋の中を覗き込む。
「いや、高田さんの分はないよ」
雄大は『熊』の入っている方を体の後ろに引っ込めた。そして、もう一つの紙袋を早苗に渡す。
「あら、良かったじゃなーい」
上から見ただけで、友香里にも早苗にも『猫』だと判ったらしい。
早苗は嬉しそうに、勢い良くぬいぐるみを引っ張り出したのだが、直ぐに紙袋に叩き込んだ。
「何で?」
早苗から特大の質問来る。しかし雄大には『その意味』が判らない。第一声は『ありがとう』であるべきだ。
だから、きょとんとした顔をしている。それを見た友香里は、早苗をの手を離して大笑いを始めた。
そして、椅子で寝ていたであろう安田が、目を擦りながら立ち上がったのを見つけ、そちらへ歩いて行く。
「帰ろー」「判った。車回してくる」
そのやりとりを聞いて、雄大が安田に声を掛ける。
「あ、すいません」
安田はポケットに手を突っ込んだまま立ち止まった。車のキーを捜していたのだ。
「帰りは駅までで結構です。寄って頂けませんか?」
「ん? 良いよ」
安田にしてみれば、椅子に座って足首を少し動かしているだけである。だから、アパートまで行こうが、途中の駅までだろうが、それはどうでも良いことであった。
別に、雄大と早苗を担ぐ訳ではなし。まぁ、出来るけどね。
足早に西園寺邸を出ると、駐車場から車を玄関前に回す。ここからは自分の出番、しかも『独壇場』である。
「じゃぁ、またねー」
「はいはい。お疲れ様でした」
友香里は西園寺に挨拶をすると車に向かう。
「じゃぁ、よろしくね」
「はい」
雄大は西園寺に託された、『熊のぬいぐるみ』を持ち直す。
早苗は手元にある紙袋を捨てたい気分でいたが、それは雄大が許さないであろうことは判る。気を遣うのも楽じゃない。
雄大もいつも通りに早苗の頭を押して、一緒に頭を下げた。