空回り(二十九)
女の戦いが始まろうとした時、下の方で車の止まる音がした。
友香里と雄大はそちらを見る。早苗だけが取り残されていた。
下の車から大男が出てきて、三人に手を振る。
「お、早いねぇ。お待たせー」
「まーくん遅いよ!」
友香里が笑顔で手を振った。雄大は丁寧にお辞儀をする。友香里がお願いしたと言う『今日のドライバーさん』だろう。
その時早苗は、友香里を『雑巾』を見る目で凝視していた。牛乳とワックスの臭いが染み付いた、学校に置きっぱなしのあれだ。
それでも友香里と雄大が、先に下の車へ向かったので、早苗もトコトコと付いて行く。
小さな手をランドセルの肩紐に添えて歩く様は、怖い顔をしていても『やはり小学生』である。
下から見上げた安田は、何やら『おまけ』がくっついて歩いて来ていてもあまり驚かない。何も聞いてはいなかったのだが。
家にはそう、見た感じ早苗より少し小さい妹がいるし、子供は可愛いものだ。
安田家のアイドルは悪戯好きで、よく兄を困らせた。
しかし、十五も離れた小さな妹を、兄の正樹がぶん殴ったりする筈もなく。両親もかわいがれど、叱ったりなんてしなかった。
そんな妹と、印象を勝手に重ね合わせている。
それにしても、何だか随分『ご機嫌斜め』な気もするのだが。
「こちら、どなた様?」
安田は友香里に聞く。友香里がにっこり笑って紹介する。
「こちらが増田雄大様。こっちは『妹の』早苗ちゃん」
そう紹介して友香里は、早苗を勝者の目で見た。反論はない。
むしろ友香里の方を見て睨み返しているが、安田が見る角度では、ミニスカートを覗いている様にも見える。
『ケッ水玉かよ。いい気になりやがって』
そう吐き捨てて下を向く。様に見えた。咄嗟に安田は『早苗の将来』が不安になる。まさか友香里が、何かしたのだろうか。
いや、そんなことはない。友香里だって、子供が大好きな筈だ。
「増田雄大です」「早苗です」「先日は生意気な物を送りまして、失礼致しました」
二人は『セット』なのだろうか。まだ雄大が喋っている間に、早苗の挨拶が割り込む。安田は慌てて二人の顔を交互に見る。
「いえいえ、早苗ちゃんって言うんだー。とんでも御座いません。ありがとうございました」
同時に言われてペコペコする安田を見て、友香里は笑っていた。
そして、今度は『斉藤』と言わなかった早苗を可愛らしく思い、『本当に妹なのか』と、ちょっと興味を持った。
まぁ、単に『ここは一旦妹で』と、考えただけかもしれないが。
「こちらが『まーくん』さん?」
少し言い方が変だが、雄大が友香里に聞く。すると友香里はハッとして答える。
確かに『まーくん』としか前に言ってなかったし、雄大に言われて気が付いたのだが、まるで『彼氏』と思われている節もある。
それは、ちょっと否定しておきたかった。
「『マ』ネージャーさんよ」「安田『ま』さき、です」
同時に始まった二人の『紹介』は、どちらも正しい。しかしどちらも苦笑いで、汗を拭き始める。
雄大はそんな仕草は気にも留めずに、ただ二人を交互に見てキョロキョロするだけだ。
友香里の説明で、安田から『名刺を貰った』ことを思い出していた。それを更に、安田の挨拶で確認出来たのだ。
気が付いていないのか、気が付かないフリをしてくれているのか。とにかく『忘れていてごめんなさい』である。
一方の早苗は、安田の言い方に『共感』するものがあった。
一瞬、目を鋭く光らせる。
そんな小学生に、この場に居合わせた『子供好き』の誰もが気付けないとは。