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空回り(一)

 営業が終わって歌手の高田友香里と、そのマネージャー安田正樹は、駐車場に停めたバンに戻ってきた。


 後ろのドアを開けると、コンビニ前の熱気が蘇って来る。

 それだけでもう、疲れが三倍になりそうだ。


 使い古した営業道具を投げ入れて、ドアを閉め様としたが、二人は顔を見合わせて躊躇した。

 苦笑いを浮かべると全てのドアを開け、手に持っていた高田のポスターとCD広告を利用し、車の空気を入れ替える。


 また二人は顔を合わせると、手で車の温度を測った。行ける! これなら大丈夫だ。

 二人は今度こそ車に乗り込んだ。


「あぢぃー」

 友香里の『低いダミ声』が、車中の熱気に押されている。


「あっちぃー」

 安田のごつい体に似合わない甲高い声が、車中に響き渡る。

 しかしそれで、涼しくはならない。なるもんか。


「早く! エアコン! 早く!」

 それだ。どう考えてもそれしかない。

 急かす友香里の声に、安田が答える。


「友香里ちゃん、ちょっと待ってね」

 椅子もハンドルも、全てが熱かった。


 友香里は営業用のミニスカートだったので、太ももが焼ける様だ。慌てて手を入れたのだが、今度は手が熱い。当たり前だ。

 手を裏返しにしてみたが、やはり熱い。全く持って当たり前だ。


 安田はその様子を見て、首に巻いていたタオルを投げた。それを友香里は鼻を曲げて即、投げ返す。

 安田の顔に『ポンッ』とタオルが戻ってきたが、それには安田も鼻を曲げざるを得なかった。


 車のエンジンは直ぐにスタートする。


 友香里は数少ないフロントパネルのスイッチから、『送風スイッチ』を迷わず選ぶ。

 それを勢い良く『強』に向けて回転させる。回る所までだ。


 しかしそれは『カツン』と小さな音がして、既に『強』になっていることが確認できた。

 車を降りた時のまま、誰も触っていないのは明らかだ。


 ならばと、冷風を期待して友香里は顔を前に出したが、出てきたのは体温よりも高い『熱風』である。

 既に崩れかけた化粧の寿命が『最後の輝き』を魅せた。


「なにこれ、壊れてんの? 最悪!」

 ドアが開いているのに、営業色を一切感じさせない一言。


 普段から『アイドルとは何ぞや』を口酸っぱく言う安田は、そんな一言を聞いて、怒らずにはいられない。当然だろう。


「窓を開けて走れば涼しくなるよ!」

「そうねっ」

 甘やかしているのか?

 だからだろう。友香里は『アイドルらしくない』低い声で答え、『アイドルらしくない』ふてぶてしい顔をする。


 それでも、安田の言葉には納得してドアを閉める。


 安田はバンにくっ付いているレバーを、リバースと書かれた場所にセットすると、後ろを見て白い枠から出した。そして今度は、ドライブと書かれた所に合わせると、前を見て走り始める。

 風は相変わらず生温い。


 裏通りを走る内に車の空気が入れ替わり、人間として生きて行ける程度の室温になった。

 ハンドルはまだ熱かったが、安田は冷静に話し始める。


「友香里ちゃんの歌に『全然ダメ』って、言った人がいたんだよ」

 思い出して、何気なく話し掛ける口調。交差点の手前で一時停止して、左右を確認しながらちらりと友香里の顔を伺う。


「へー」

 言われた友香里は、そんな慎重な運転にも関心はなさげだが、話の内容にも関心がなさそうだ。


 安田はやっぱり『全然ダメ』と言って『正解』だと思う。

 正確には『ダメ』と言い直していたのだが、安田にとってそれは、どちらも同じ意味なのだ。問題ない。

 いや、問題だらけだ。


 友香里から発せられた『関心の無さそうな返事』に、安田はちらりと横を見る。あくまでも『自然』に。


 友香里はすまし顔だ。

 左手は窓を全開した窓辺に添え、右手を振りながら話し始める。


「まぁ私、そんなに上手くないし。上手かったらもっと売れてるし」

 友香里は前を向いてサバサバと言い退けた。


「売れたって、文句を言う人はいるっしょ」

 前へ向かって『どうでも良い』とばかりに、右手を振り抜く。


 営業時とは全然異なる口調に、どっちが本物か判らない。もちろん安田は、口にはしないが『こっちが本物』と知っている。

 しかし今は、『言い訳』でなく友香里の『本音』が聞きたかった。


「悔しくない?」「悔しい」

 即答を受けて安田は安心する。それでも今のは、少々『言わされた感』は歪めない。『フーッ』という溜息交じりだ。

 顎が下がって、目だけで天井を睨み付けたかと思うと、口元を横に引く。そしてまた溜息だ。


 もう椅子は、そんなに熱くなくなったのだろうか。

 友香里は左肘を窓辺に付けたまま、左手を拳にして起こす。それを『枕』にして、ぐったりと頭を傾けた。髪が風に揺れている。


 乱れる前髪を気にすることもなく、そのまま目を瞑る。それはもう、これ以上『答えるつもりはない』という、無言の主張だ。

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