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空回り(十八)

 ショッピングモール出口の自動ドアが開くと、外は夏であったことを思い出す。

 見るとそこには、都合良く『持ち帰り用の移動式クーラー』が売っていた。友香里は足を止めると、増田に声を掛ける。


「ねぇ、アイス買って行こうよ」

 こういう場合、『男が奢る』のかもしれないが。

「ん? いいけど」

 答える前に、友香里はさっさと店の方に行ってしまった。


 増田が財布から小銭を出している間に、もう買っているではないか。もちろん『自分の分だけ』だ。しかも、小銭をジャラジャラいわせながら順番を待つ間には、もう舐め始めている。

 まぁ、『待つ義理』なんてないのは判る。暑いからね。


 うんざりとする暑さの中、帰り道で増田と友香里はアイスを舐めながら歩いていた。

 増田はバニラ、友香里はチョコチップとレモンを二段にしていたはずだが、既にレモンまで到達している。

 アパートまではもう少しだ。


「増田君、食べるの下手ねぇ」

「しょうがないだろう。俺は猫舌なんだ」

 それを聞いて友香里は笑う。


 炎天下で町全体が歪んで見えたが、増田は手元だけが冷やされていて正常に見える。しかし友香里の口は、周りより冷やされているにも関わらず、正常には見えない。

 友香里が笑いながら増田の方を見た時、その一瞬だけアイスは減らなかった。


 友香里はアイスが好きだ。小さい頃、姉と二人で近くのアイス屋さんに歩いて良く行った。

 姉は音楽に夢中だったが、友香里が声を掛けた時はにっこり笑って振り向く。

 姉と話しながら歩くのは楽しかったので、友香里はアイス屋さんがもう少し遠くにあれば良いのに、と思っていた。


 一日一回だけの、ささやかな楽しみ。


 姉はいつも無難なバニラだったが、友香里はチャレンジャーだ。

 異なる種類のアイスを二段重ねにすると、姉が目を見張る速さでそれを食べた。

 そして、家の玄関前で姉のコーンを奪い取ると、それもバリバリっと食べるのが儀式の様になっていた。


 姉の有加里はもういない。


「有加里さんって言うの?」

 増田の声に、友香里は足を止めて振り向いた。

 前の隣人に『そんなこと』を聞かれたことはない。


 友香里はなぜ増田が『姉の名前』を口にしたのか、姉を知る人物なのか、それとも数少ない姉の『ファン』だったのかを考える。

 しかし、答えは出なかった。


 今日初めて逢った相手に『何故自分の過去全て』がお見通しなのか、不思議に思うだけだ。

 友香里はピンと来た。『ドアの表札』を思い出して笑う。


「そうよっ」

 時々変な顔をする新しい隣人が、にっこり笑って増田の問いに答えたのだ。少しだけ心が癒された。

 笑顔は荒んだ奴の『心』に沁みるものなのだ。


「へー。芸大では何を専攻しているの?」

 しかし増田の次の質問に、友香里は困った顔を見せる。


 話したくないなら『聞こえなかった振り』をしても良い。増田はコーンをかじると、それは大きな音がする。

 友香里はまだ考えていたのだが、意を決したように口を開く。


「声楽よ」

 その答えを聞いて、増田は笑った。前に聞いたことがある。

『声楽を専攻している女には気を付けろ。痩せていても必ず太る』


 友香里は痩せていたが、やがて太るのだろう。今の友香里からは想像し難い『丸々と太った姿』を思い浮かべる。

 そして両手を胸の前で水平に組み、口を四角に開けて、オーケストラの前で歌う友香里を想像した。


「別に良いんじゃない?」

 増田の反応に、友香里は付いて行けなかった。

 右の眉毛を上げ、左の眉は少しだけ下げて、アイスを食べるのを止めずに増田の方を見た。

 増田はまた『変な顔』になったと思う。


「声楽は太るんだってさっ」

 言われた友香里はアイスを左手に持ち替えると、右手を大きく振りかぶり、増田の背中を叩く。『バチン』と良い音がする。

 その瞬間、増田の鼻に『コーンが突き刺さる』のを見て、友香里は『ざまぁみろ』と思う。


 しかし悪いことは出来ないもので、暴力に訴えた者は、その自らの行為によって『己の身』を滅ぼすのだ。


 友香里の左手はアイスの高さと角度を維持するには非力だった。そもそも友香里は、アイスを左手に持ち替えたことなどない。

 右手が増田の背中を捉えた時、その反動で左手が上がる。

 そして右手のフォロースルーによって、友香里自身が気が付かない位、顔が少しだけ前に出ていた。


 増田は背中に衝撃を感じたが、それは『早苗のキック』に比べれば全然痛くない。そして振り向いたとき、そこには顔にアイスを付けた、今日一番の『変な顔』があるではないか。


「変な顔!」

 友香里は激怒した。同じ奴に『一日に二度も言われる』なんて。

 屈辱以外の何物でもない。目の前に立つ、この薄らトンカチな大馬鹿野郎の顔を目掛け、友香里はアイスを突き出した。


 しかし増田は上体を反らし、間一髪でそれを躱す。そして叫び声を上げて走り始める。

 友香里も叫び声を上げると、増田の後を追う。逃がすものか。


 真夏の太陽が影を短くすると、人の気も短くなるようだ。

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