覗く片鱗(一)
「おっはよー」「おはよぉ」
いつになく元気な友香里の声に、社長は振り向いた。『何があったのだろう』と、そう思って直ぐに笑う。
いやはや。考えるまでもない。そんなの判っているではないか。
昨日『千枚到達パーティー』を実施して、あれだけ『ご機嫌』だったのだ。そして『次は千百枚!』と意気込んでいたのを思い出す。
いや、もうちょっと頑張ろうよ。せめて『千五百枚』とか。
「社長! 元気ぃ?」
そんな小さな希望を胸に抱いた社長の肩を、友香里はバシンと音を立てる程強く叩いた。すると勢いで、小さな希望が転がって行く。
「いや、全然」
社長は笑ってはいるが、疲れを隠さずに答えた。
昨日は酒も飲んでいないのに、あれだけはしゃいで大暴れした奴は誰だ。机の一つを『ステージ』にして。
『もっと『大きなステージ』を用意しろぉぉぉっ!』
『ほらぁ『机もう一個』追加だぁっ! 良いぞぉ踊れ踊れぇ』
『幹島ちゃーん! ダァメよ。危ないぃ。あっらぁ』
『BGMスタートッ! てか、無くても歌えるけどぉぉっ♪』
『安田ちゃぁんっ、食ってないで止めてぇっ。ご近所迷惑ぅ』
社長は昨日のことのように思い出して、友香里を恨めしそうに眺めていた。実際、昨日のことなのだが。
最近『年のせい』かどうも忘れっぽいのだが、近年稀に見る『楽しいパーティーだった』ことだけは鮮明に覚えている。
「何だよ。ダメだなー」
友香里は笑いながら、窓拭きをする社長の肩をもう一度叩いた。社長は渋い顔で友香里を見る。
今度事務所で大騒ぎをしたら、石鹸を持たせて『ご近所巡り』でもさせようかと思う。そうだ。そうしたら、『CDの一枚』ぐらい、売れるかもしれないではないか。一石二鳥。そうしましょう。
昨日盛大にパーティーをしたのが、まるで遠い日の出来事の様に感じられる。見ればくす球は、もう棚の上に乗っかっていた。
次に使うのは二千枚だろうか。いや、もう一声。
それにしても、いつも元気がない社長は、今日も元気がない。
大抵渋い顔をして椅子に座り、夏は扇子でパタパタしている。本人はそれで涼しいのかもしれないが、寧ろ見ている方が暑苦しい。
冬は冬で『柄』を変えた別の扇子でのパタパタが止まらない。
元気があるのは『下らないジョーク』を言う時だけだ。
まぁ、小さな会社だが社長には『社長の悩み』と言うものがあるのだろう。友香里は社長の薄くなった後頭部を見ながら頷いた。
「次も売れると良いねぇ。頼んだよぉ」
社長は心配そうだ。次のレコーディングが迫っている。
「任せといて!」「おおっ!」
社長は元気な声を上げ、雑巾を絞る手を止めて友香里を見た。
窓の外から見ると『友香里の方が偉そう』に見える。
どこから沸いてくる自信なのか。それは判らなかったが、どうやら社長は『頼もしい一言』でも元気になるようだ。