レッスン(五十七)
「いやぁ、お腹一杯だぁ」
先に食べ終わったのは友香里の方だ。箸を置いて満足そうに言うと、パンパンに膨れ上がったお腹を擦っている。
まるで妊婦のようにお腹の上でグルグルと手を回し、顎を上げ口もパカーンと開けてニッコリと笑った姿だ。
雄大はそれを上目遣いに見て、微妙な表情になっていた。
それもまた『友香里らしい』と言えばそうなのかもしれないが、異性としてはどうなのだろう。いや、それは考えまい。
丼を持ち上げて、スープを飲み干そうとしたときだ。
「ごちそうさまっ! いっちょあがりぃ(パーン)」
友香里は自分の腹を太鼓のように思いっきり叩き、それで擦るのを止めた。雄大は思わず『ブッ』と吹き出しそうになる。
慌てて丼を置いて、直ぐに口の周りを手で抑えた。
滲み出ている鼻水は『ラーメンのせい』としても、口からちょっぴり溢れた唾は、どうみても『友香里のせい』だ。
やっぱり今日の友香里を『異性』として見るのは無理だ。いやはや。それにしても、何とも賑やかな女である。
誤魔化すように壁の方を向いて、雄大はそう思っていた。
すると、そんな雄大の心を見透かしたように、友香里が前のめりになる。両肘をテーブルに付けて、グッと前に出たのだ。
「やっと気が付いたぁ?」「んん?」
生返事をしつつ、調味料の隣にある箱ティッシュから素早く二枚引き抜く。抑えている手の下にそれを挟み入れて、顔全体を拭く。
友香里も腕を伸ばしているが、行先は箱ティッシュではなかった。
顔を拭いた雄大は、視線を友香里が伸ばした腕の先へと送る。もっと先へと。その先にあるのは指。その先にあるのは爪。
「可愛いマニュキアだね」「えっ? ありがと」
今日はどちらかと言うと、真面目な営業だったのだろう。
いつもの露出多目なステージ衣装とは違い、やや抑えめなフォーマルな装いである。それでも見た目の可愛らしさは隠せない。
気が付いたマニュキアも、ツルンとした単色のピンクだが可愛い。
「いや違うから。こっちだよこっち」
友香里が笑いながらも、指をトントンとやって壁を示した。雄大にも『意味』がやっと判って、思わず笑顔になる。
「何? 『特製杏仁豆腐』って、まだ入るの?」「いや違うからぁ」
呆れて言い放った友香里が、思わず大きな声をあげた。
そして『苦情』の矛先を雄大から、何故か大将へと変える。
「大将っ! 私の『サイン』の上に、値札追加しないでっ!」
大将はカウンターの客に、『味噌チャーシュー大盛』を提供している所だった。すると大将と一緒に、カウンターの客も振り返る。
「だって、『空いている所で良いから』って、言ってたジャン?」
「だからってさぁ、これは無いんじゃない?」
客も見て笑っているが、ちらっと大将を見ると『大将ならやりそうだ』と思ったのだろう。前を向いてニンニクを入れ始めた。
勝手に『特製杏仁豆腐 三百五十円』の値札を剥がす友香里。その下から出て来たのは、確かに『高田友香里』のサイン色紙だ。