表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/282

レッスン(四十八)

「ねぇ。雄大は誰に教わっているの?」

 その問いに答えるのは、単純なようで実は難しい。

 雄大は教授の派閥をサーチするのを止め、ニコニコ笑っている友香里の顔を見ながら、質問の答えを考え始めた。


 別に『嘘を付く』つもりはない。『格好を付ける』つもりも。

 それでも『正直に答える』のは、少し気恥ずかしい。

「斎藤先生だよ。知ってる?」「知らなーい」

 聞いておいて興味なさげな返事に、雄大は拍子抜けだ。

「ピアノ業界では、結構有名な人なんだよ?」

「凄いじゃん。だからか。雄大、ピアノ上手だもんねぇ」

 友香里の反応がちょっと『良い方』へと変わる。すると少なくとも、雄大が褒められている気にはなると言うものだ。


「教わっている『先生』と言うより『師匠』って感じかなぁ」

 横目に見える友香里が指さす方向。それが気になって振り返った。

 そうだ。ラーメン屋へはこの角を左である。いけない。いけない。

 雄大は踵を返すと、先を急ぐ友香里へと小走りに追い付く。


「へぇ。落語家みたいだねぇ」「えっ? いや違うし」

 一人で空に向かって喋っていた恰好になるが、友香里の耳にはちゃんと聞こえていたようだ。

「じゃぁ何? もしかして『芸名』だったりするの?」

 そうでもないか。何か勝手に話を膨らませて、別な方向へと先走ってしまっている。

「いや、本名だよ。本名で『斎藤先生』だって」

「何だ。芸能人じゃないのか。誰それ?」

「だからぁ、『斎藤』先生だよっ」

 何だか友香里の笑顔がいつもの『悪戯』に思えて、雄大は思わず声を荒げてしまった。しかし直ぐに思い直す。

 ピアノに興味が無い『一般人』にすれば、そんな反応も止む無し。


「判ったって。そっかそっか。じゃぁ、優しいの?」

 笑いながら『落ち着け』とばかりに腕を振り、質問も変えてきた。

 しかも『じゃぁ』っておい。が、その質問も答えにくい。


「ぶん殴ったりはしないから、『優しい』に入るのかなぁ?」

「どういう基準? ねぇ、どういうこと?」

 ポケットに両手を突っ込んだまま、やや上の方を見たまま話を続ける雄大の横顔を、友香里は不思議そうに見つめる。


 そうなのだ。師匠の斎藤は、ぶん殴ったりもしない代わりに、滅多に話し掛けてもくれない。レッスンの終わりに『だいぶ良くなったな』と、言ってくれるくらいだろうか。


「んー。『教えてくれる』って言うか『見て盗め』って感じ?」

 答えを聞いた友香里も首を傾げ、考え始めているようだ。

 雄大は今言ったことに『間違いはない』と思っている。実際斎藤がピアノを弾いている横で、何時間も見学させて貰っていた。

 果たしてその間、技術を盗めたのか。結果には甚だ疑問を感じざるを得ない。そもそも『ピアノを弾く技術』とは何か。

 単に鍵盤を叩くに非ず。そこから考えなければならないだろう。


「判ったっ! だから『ピアノを盗んで』来たんだねっ!」

「全然違うしっ!」「嘘っ、違うの?」「ちっがぁうよぉぉっ」

 何てこった。どうやら友香里には、凄く難しい話だったらしい。


「あのピアノはさぁ、早苗のお母さんの嫁入り道具なんだ」

「うん。だと思ったよ」「ごめんなぁ」「良いの良いの」

 早苗が『お母さんのピアノに触るな!』と怒った時点で、実は友香里も姉の顔を思い浮かべていた。

 きっと『優しいお母さんだったんだろうな』と思いながら。


 この年で『姉を失ったこと』も悲しいのだ。それがあの年で『母親を失うこと』の方が何倍も辛かろう。比べられることではないが。

 そう思ったからこそ、早苗に反論することもなく謝罪したのだ。


「師匠の別れた奥さんでね。家の母の妹なんだけど、事故でさぁ」

「そうなんだ。えっ? 何か複雑っ!」

 目を丸くした友香里が、髪を揺らす程『パッ』と振り返った。それでも、しんみりと話し始めた雄大は話を続ける。

「母の実家がさぁ、『早苗を養子にする』って言うのをねぇ」

「ちょっと待ったぁっ!」「んなにぃ?」

 雑誌記者なら今の『友香里の反応』は失格だろう。

 最初から録音する準備でもしておけば良かったのだ。しかし『複雑な事情』を察した友香里は手を伸ばし、雄大の話を打ち切った。


「周りはともかく、雄大は雄大だからさ。気にせず頑張れよっ!」

 鼓舞するように笑顔の友香里が雄大の背中を『パンッ』と叩く。

「何だよそれ。随分急な励ましだなぁ」

 苦笑いの雄大がそう言った所で、何も変わりはしないのだが。


「ま、難しい話はこの辺にしてさっ、こいつで一杯やってこうぜっ」

『赤提灯』ならぬ『赤暖簾』を指して、笑顔の友香里が言う。

 言い方と顔つきからして未成年なのに、『酒でも飲みに来た』と思われてしまうかもしれないが、その一杯はラーメンのことである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ