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空回り(九)

 翌日も朝から、澄み切った青空が広がっていた。今は爽やかと言えなくもないが、うんざりする暑さが間もなくやって来る。

 待ち人も、間もなくやって来るはずだ。


 誰が来るのか。当てられるものなら当てて欲しい。


 判る筈もなし。誰かと言えばそれは、友香里のCDを発売する時にお世話になった、ミキサーの幹島である。


『お忙しい所すいません。実はですねぇ』

『おぉ、社長ぉ。先日はどうもって、何なにぃ?』

『ちょっと、至急ご相談したいことがございましてぇ』

『あっそぉ。急ぎぃ?』

『えぇ。まぁ、割と急ぎと言いましょうかぁ』

『大変だねぇ。判った。今夜締め切りなんで、終わったら寄るよ』

『えっ、今夜ですかぁ? 今からですかぁ?』

『いやいや。まさかぁ。嫌だなぁ社長ったらぁ。もぉ』

『すいません。この業界、慣れてなくてぇ』

『はははっ。明日の朝っすよぉ。夜通し作業ですからっ』

『そうなんですね。じゃぁ朝九時にお待ちしております』

『三十三時ねぇ。りょうかぁい』

 こんな感じで、昨日社長がペコペコと頭を下げながら、電話でお願いした。幹島は本当に優しくて良い人だ。


 そんな幹島の癖は貧乏ゆすり。それに加えて、首と肩を回すこと。

 いつも『ガタガタ』したり『グリグリ』したりしていて、落ち着きがない様に見えるかもしれないが、そんな時であっても目と耳だけは鋭いままだ。


 十本の指をフルに使い、各セクションの音量を調整しつつ、一曲を仕上げるのだ。その腕前は折り紙付き。

 だから、当事務所から頼む分だけではない。いつも忙しそうにしていて『引く手あまた』とは彼のことを指す。ご苦労様である。


「おはよーっす」

 肩をグリグリと回しながら、幹島は定刻より十分遅れてやって来た。予定より遅くなるのは職業柄いつものことだ。

 そのことに触れる者は、もはや誰もいない。むしろ来てくれたことに感謝しよう。


 安田は事務所の入り口に、生意気にも『極秘会議中』という看板を掛けて扉を閉める。そして、これまたご丁寧に鍵まで掛けた。

 今更ながら『一応、鍵なんて付いていたんだ』と、思ったのはナイショだ。


 それより『鍵を閉めた』のを見て、幹島はミキサーもないのに閉じ込められた事実を追認し、嫌な予感が背筋に走る。

 缶詰になるのはいつものことだが、どちらかと言うと、缶詰は食べる方が好きだ。


 幹島はポケットに手を入れてタバコを取り出したが、それは一本も入っていない『只の箱』だった。握り締めると簡単に潰れる。

 ひと捻りだ。トコトコと壁際のゴミ箱の所へ行くとそれを捨てた。


 するとゴミ箱には『大きな先客』がいて、丸くなった『元たばこの空箱』は、それに当って転がって行く。トントンと段差で、小気味良いリズムを刻んだかと思ったら、隙間に消えた。


 別に『惜しい』なんて思ってはいない。『大きな先客』を観察していただけだ。

 それは何と、真っ二つに割れた『熊の置物』である。


 こいつは確か、社長の机上にあったやつだ。

 お気に入りなのか、見掛ける度に磨いていた様な。

 だとしたら何故に。


 不意に『あぁあ。社長亡くなっちゃったかぁ』と思いながら、ある筈の『血痕』を探したのだが、上から覗く限り、どうやら『そういうこと』でもないらしい。


 そう言えば、昨晩電話したばかりだ。それでココに来たんだし。

 幹島は『なんだ』と思って、直ぐに『心の香典袋』をしまう。


 いやぁそれにしても、どうやったらそうなるのだろうか。やはり『嫌な予感』だけは、見事に的中した様だ。


 深く考えないことにして、幹島は再び肩をグリグリと回し始める。

 幹島の『グリグリ』は、『肩こり解消』以外にも何か役割があるのだろうか。まぁそれも、深く考えないことにしよう。


「お、ご苦労さんです。すいませんね」

 案の定生きていた社長の湊が、到着早々何故かゴミ箱へ向かった幹島を見つけ、親しげに挨拶をした。

 すると幹島も『やっぱり』と思いつつ、我に返った。


「どうもー」

 今朝まで別の歌手のミキシングをしていた幹島に、安心したのか再び『眠気』が襲う。適当な挨拶を返した。

 そのまま社長に勧められたソファーへ。先に座っていた友香里に軽く会釈して座ると、直ぐに生あくびをする。


 何だか知らない『ちょっと』の用事を早く終わらせて、もう家で寝たい。何ならこのソファーでも良い。


 案の定、友香里は見るからに『不機嫌』なままだ。


「何飲みます?」

 冷蔵庫前の安田が大声で幹島に聞く。いや、聞こえるって。

 幹島は、目の前でコーラを飲む友香里を見て、自分も飲みたくなった。ちょっとは『眠気覚まし』にもなるだろう。


「コーラで」

「はーい」

 そうは言ったものの、氷を入れたグラスの前で安田の手が止まる。

 自分が麦茶なので、幹島も麦茶と決め付けていた。もう二つ目のグラスに、少しだけ麦茶を淹れてしまっていたのだ。


「あついねぇ」

「そうですねぇ」

 ソファーで幹島と社長が話を始めていて、こちらに気が付いてはいない。

 安田はそう確信して、冷蔵庫を開けるとコーラを取り出し、麦茶に構わずコーラを上から継ぎ足す。色も似てるし問題ない。


 幹島はビールに醤油を垂らしても、判らない奴なのだ。

 二つのグラスを手に持つと、笑顔でソファーまで歩いて行く。

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