第1話 1
「――エレノア・ガリオノート!
おまえとの婚約を破棄する!」
ホールに響く声に、シャルロッテは料理をつつく手を止めて、声のした方に視線を巡らせた。
ホールの中央では、第二王子であるルキオンが見知らぬ少女の腰を抱き、取り巻きの男子生徒を背後に並べ、ひとりの少女を糾弾している。
周囲を囲む者達は好奇の表情を浮かべ、ひそひそと何事かを囁き合い、介入そぶりを見せる者はいない。
(……ふむ、これは世にいう、断罪イベントというものでしょうか?)
シャルロッテは取皿とフォークを手にしたまま、見物人をかき分けて最前列へ。
糾弾されている少女――エレノアは、それでも毅然とルキオンを見据えていた。
「――クリスがされた様々な嫌がらせ、おまえの仕業だと明らかになっている!」
「……で、殿下、あの!」
ルキオンに腰を抱かれた少女は、戸惑ったように声をかける。
だが、ルキオンは彼女に優しく微笑みかけ。
「大丈夫だ、クリス。
悪は断罪されてしかるべきだ。
君が気にする必要なんてない」
彼はそう告げて、再びエレノアを睨みつけた。
「……身に覚えがありません」
エレノアが静かな、けれどはっきりとした声で答える。
(……状況は把握しました)
シャルロッテは頷きひとつ、隣に立つ男性が持つグラスに手を伸ばした。
「失礼。お借りしますわ」
シャルロッテはキーンバリー公爵家の令嬢である。
父は王弟にして、この国――エリオバート王国の騎士団団長だ。
その見た目はまさに社交界の華。
薔薇を思わせる真紅の髪に、瞳もまた紅玉のような真紅。
多くの貴族令嬢が憧れる、令嬢の中の令嬢だ。
そんな彼女が、夜空色のドレスをなびかせて騒動の渦中に足を踏み入れる。
観衆がざわりとどよめいた。
「――シャルお姉様……」
エレノアが申し訳無さそうに目を伏せ。
「シャ、シャルロッテ――な、なぜここにっ!?」
ルキオンの声がうわずる。
そんな取り乱した第二王子の頭に、シャルロッテは手にしたグラスを傾けた。
ボタボタとシャンパンが注がれる。
「……なぜここに?」
後に空になったグラスを放り投げ、シャルロッテは肩を竦める。
「おまえ風に言うなら……悪を断罪する為――かしらね?」
真紅の公爵令嬢の顔に鮮烈な笑みが浮かぶ。
握り締められた拳が、有無を言わさずルキオンの顔面に叩き込まれた。
「ぷぎゅっ――!?」
エリオバート王国に名高い令嬢の中の令嬢は、恐ろしく気が短かった。
「き、きひゃまっ! 自分がなにをしたかわかってるのか――っ!?」
鼻血を抑えながら、ルキオンが喚き散らす。
だが、シャルロッテは涼しい顔で髪を掻き上げ。
「ええ。バカを躾けているのですわ」
床に倒れたバカ王子を見下ろす。
「ぐっ! オレをバカだと?」
「ええ。おまえ、これで何度目ですか?
エレノア嬢という婚約者がありながら、他の女に現を抜かすのは――」
「だ、だが!
今回は本気なのだ! オレは真実の愛に目覚めた!」
「――だそうですが、クリス嬢?」
シャルロッテに目を向けられて、クリスはぷるぷると首を振る。
「わ、わたしは平民だからと、何度も交際をお断りしたのです!
ですが、殿下は聞き入れてくださらず……」
「そしてまた、おまえの一方的な思慕の押し付け。
……真実の愛が聞いて呆れるわね。
王族の自覚を持てと、何度言われれば、その軽いオツムは理解するのかしら?」
と、シャルロッテは口元を手で覆ってコロコロと笑う。
「良いこと? 学園はおまえがサカる為の場ではないのよ?
おサルさんじゃないなら、いい加減覚えなさいな」
観衆達からも失笑が聞こえ始め――
ルキオンの顔が真っ赤なのは、羞恥からか怒りからなのか。
シャルロッテは告げる。
「さあ、今ならまだ、酒の席のバカの戯言で済まされるわ。
エレノア嬢に謝罪なさい」
「ありえん!
それだけはありえん!
オレは王子だぞ!
なぜ女ごときに頭を下げねば――ぶぎゃっ!」
繰り返しになるが、シャルロッテはとにかく気が短い。
ルキオンが最後まで言い切る前に、彼の顔面にはシャルロッテの爪先がめり込んでいた。
「――貴っ様ぁ! さっきから殿下のお顔をポンポン殴りおって!」
脇に控えていた、ルキオンの側近――近衛騎士団長令息アーノルドが顔を真っ赤にして叫んだ。
「今のは蹴りですわ」
一方、シャルロッテは涼しい顔。
「今よりバカになったら、どうしてくれる!」
どうやら側近達も、ルキオンがバカなのは認めているらしい。
「あら、その方がおまえ達には都合が良いのでは?
――バカほど担ぎやすい神輿はないでしょう?」
「――なぁっ!?」
「……ルキオン派の思惑を私が存じ上げないとでも?」
シャルロッテが視線を向けるのは、財務大臣令息のマニオンだ。
「おまえの父親――スキマット卿は財務大臣の座だけでは満足できていないようですものね……」
煽る。
とにかく煽り倒す。
イキり散らかす連中をイジり倒すのが、シャルロッテは大好物だった。
「これは……」
「もしかして……」
観衆達が期待に満ちた目をシャルロッテに向ける。
「ぐぬぅ……乱心! キーンバリー公爵令嬢は乱心している!
このオレに手をあげたんだ!
不敬罪! 不敬罪だ!
――衛士、なにをしている! あの女を捕らえろ!」
両鼻から鼻血を噴き出しながら、ルキオンが叫んだ。
ホールのドアが開いて、十数人の衛士達がなだれ込んで来た。
「……わかりやすくて良いですね」
ゴキリと。
シャルロッテの握り合わせた拳が、令嬢らしからぬ音を立て。
迫りくる屈強な体躯の衛士達を見据えて、彼女は涼しい顔でその左拳を胸の前へ。
「――目覚めてもたらせ……」
それは魔道の理を喚び起こす詞。
「――キタぁーーーーーっ!」
観衆が一気に沸き上がる。
真紅の閃光が放たれて、ホールを染め上げた。