残酷な記憶との融合
「レティシア様、もう3日もろくに食べておりません。何か口にしませんと...」
「いらないわ」
恐る恐る喋る侍女の申し出を最後まで耳に入れることなく、ハッキリと拒絶する。
私に前世の記憶が甦ってから3日。
私は1日の殆どをベッドで横になって過ごしていた。
否、ただただ死人のように横たわっていたというのが正しいのかもしれない。
.....早く、死にたい。
早く、彼らの元に行きたい。
現世の"レティシア”は完全に"前世の私”に呑み込まれてしまっていた。
前世の私は最愛の人と結婚し、愛おしい宝物にも恵まれ、慌ただしくも毎日が幸せに満たされていた。
娘の右手の甲にある小さな小さなハート形の痣すらも、首の付け根にある2つ並んだ可愛らしい黒子すらも、私の幸せの要素だった。
こんな豪華絢爛で煌びやかな部屋とは違う、こじんまりとしたアパートの一室で微笑み合う、家族。
そんなありふれた、些細な、けれど、この上ない幸せ。
暖かい家庭というものとは縁遠く育った私にとっては尚のこと、これ以上の幸せはないように感じていた。
それなのに、それなのに。
───...
確かに幸せではあったけれど、慣れない育児に奔走していた私は、間違いなく心身共に疲弊していた。
そんな私に主人が私の気分転換にと、そしてもうすぐ娘が2歳になる誕生日祝いも兼ねてと、家族旅行に連れて行ってくれた。
初めての3人での家族旅行。
とても楽しかった。
心から笑った。
安らいだ。
充足感に満ちていた。
幸福だった。
それなのに、それなのに、それなのに。
私が疲れてさえいなければ。
私が旅行の提案を断っていれば。
私のせいで、私のせいで、私のせいで。
帰りの車内。
外れた天気予報。
突然の大雨。
強い風。
轟く雷雲。
激しい稲光。
視界が、悪かった。
そして.....
手元を狂わせた対向車がこちらに追突しそうになっていると気付いた時には、もう手遅れだった。
───...血に塗れた、最愛の人達。
ぴくりとも動かない。
それなのに、私は動いている。
生き残ってしまった。
私だけ。
───...私だけ、ひとりぼっち。
それからの記憶は、ほぼ無い。
恐らく自ら命を絶ったのだろう。
生きる希望をなくした私。
世の中の全てが絶望でしかなかった。
彼らのいない世界なんて、いらない。
彼らの分まで生きる強さは、私にはなかった。
死して漸く愛おしい彼らの元へ行ける。
そう思っていたのに。
どうして私は今ここにいるの?
どうしてこの残酷な記憶が甦ってしまったの?
いっそ記憶がないままだったら。
もしそうだったなら"レティシア”として幸せに過ごせたのに。
幸せに、過ごせた?
幸せに、なって良かったの?
否、なっていい筈がない。
この私が、最愛の人達を殺したも同然の私が、幸せになるなんて。
そんなことが許されるわけがない。
きっと、だからこそ記憶が甦ったのだ。
彼らの元へ行くことも許されない。
今世で幸せになることも許されない。
これは、前世の私への、当然の報いだ。
"当然の報い”?
ふと、この言葉に前世の記憶が反応する。
『レティシアが殺されたのは当然の報いです。貴女が気に病むことはありません』
『けれど.....』
突然頭の中に台詞が、映像が、波のように押し寄せてくる。
頭の中がわちゃわちゃと騒がしい。
この見覚えのあるもの達は、聞き覚えのあるもの達は一体、何?
思い返し、そして思い出す。
あぁ、これは.....
前世の私が独身時代にプレイしたことのある、RPG要素のある乙女ゲームだ。
すとんと腑に落ちた。
そうか。
私はゲームのキャラクターに転生したのか。
悪役令嬢かつラスボスに。
最期は無惨に殺さるレティシア・トムソン
・イーデンに。
「.....ふふっ」
私はふっと笑った。
惨たらしく殺される最期。
最愛の人達を殺したに等しい私には相応しい。
この最期を迎えることで、私は彼らの元に行くことが許されるのかもしれない。
ならば私は、その未来を喜んで受け入れよう。
彼らと再び会うその時のために。
前世の自分のために今世で死ぬ。
生きる希望ではなく、死ぬ希望。
それは何とも滑稽な話だ。
けれども私は、漸く私の未来に光がさしたように感じていた。