表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/112

エピローグ:冬(sideルーカス)

北方の冬は嫌いではない。

静かだからだ。

余計な喧騒も無意味な感情も、雪はすべて覆い隠していく。

白く冷たく、何もかもを平等に沈黙させる。


吹雪の夜。

古城へ続く雪道を、一人歩く。

黒い外套には雪が積もり、革靴が薄く凍った地面を静かに踏み締めた。

片手には古びた革鞄。

中身はいつも同じだ。

魔力抑制薬。

制御術式の触媒。

そして、レティシア専用に調整された補助札。


五年。

もう五年になる。

それでも未だに、彼女の魔力は完全には安定しない。

……いや正確には、安定させる必要がないのだ。

ここは北方。

寒冷地で、人も少ない。

感情の熱量も、王都ほど濃くない。

だからこそ、彼女は壊れずに済んでいる。

世界から隔離されたことでようやく生き延びられた。

皮肉な話だった。


古城へ近づくほど、冷気が濃くなる。

空気が白い。

息を吸うたび、肺の奥まで凍りつくような感覚があった。

だが、私は慣れている。

五年以上前からずっと、この冷気を浴び続けてきたのだから。


回廊へ入る。

石壁は霜に覆われ、窓辺には氷花が咲いていた。

まるで城そのものが、彼女に侵食されているようだった。




───綺麗だな。

ふと、そんなことを思う。

昔なら、絶対に認めなかった感情だ。


回廊の奥に、人影が見えた。

白銀の髪に、黒いドレス。

月光に照らされ、レティシアが静かに立っている。

昔より、随分穏やかな顔をするようになった。

あれほど壊れかけていたのに。

あれほど、世界を拒絶していたのに。


そして彼女の三歩後ろには、フレデリックがいる。

その距離は、十年経っても変わらない。

近づけば傷つけ、触れれば壊す。

だから、決してそれ以上は近づかない。

それでも。

二人は同じ歩幅で歩いていた。


「今日は随分冷えるね」

フレデリックが笑う。

レティシアは呆れたように振り返った。

「北方でそれを仰るの?」

「君がいる日は特に寒い」

「口説いていますの?」

「今さら?」


小さく笑い合う声。

静かな空気。

その光景を見た瞬間、胸の奥が鈍く軋んだ。

……羨ましい。


認めたくはないが、そう思った。

自分では、彼女をあんな風には笑わせられなかった。

私に与えられるのは、安定と、制御と、理解。

あるいは、共に沈むための静かな絶望だけだ。

だがフレデリックは違う。

愚かなほど真っ直ぐで、救いようがないほど執着的で。

それでも、彼は彼女を生へ繋ぎ止めた。

王位まで捨てて。




───本当に、馬鹿な男だ。

だが嫌いではない。

むしろ少し、尊敬しているのかもしれなかった。


その時「……ルーカス?」と、レティシアの声が響いた。

視線が合った。

紅い瞳。

昔のような、壊れそうな色はもう薄い。

長い冬を越えた人間の目だった。


フレデリックもこちらを見る。

昔なら、もっと刺々しい空気になっていただろう。

互いに牽制し、敵意を隠さなかったはずだ。

だが今は違う。

五年という歳月は、激情を削り落としてしまう。

残るのは、静かな理解だけだった。


「……術式の更新ですか」

フレデリックが問う。

「ええ」

短く返し、革鞄を持ち上げる。

「薬も置いていきます。最近また冷気密度が上がっている」

「……そう」

レティシアが苦笑した。

「本当に貴方はしつこいわね」

「教師ですから」

「嘘つき」


小さく笑う彼女を見るたび、思う。

ああ、もう自分は必要ないのだと。

かつては違った。

彼女が崩壊しかけるたび、最後に手を差し伸べるのはいつも自分だった。

夜明け前の発作、暴走、吐血、凍傷。眠れない夜と、壊れかけた精神。

全部知っている。

誰より近くで見てきた。

だから一時は、本気で思っていた。

いずれ彼女が完全に堕ちるなら、その時は自分も共に沈もうと。

光ではなく、闇として。


だが、レティシアは堕ちなかった。

壊れながらも、誰かと生きることを選んだ。

その事実が、どうしようもなく苦しくて。

同時に、どうしようもなく安心する。


「……では、私はこれで」

踵を返す。

長居する理由はない。

この城には、既に完成した均衡がある。

自分はその外側だ。

その背へ、レティシアの声が届いた。


「ルーカス」

足を止める。

「……ありがとうございます」


雪が降っていた。

静かに、どこまでも静かに。

目を閉じ、小さく息を吐く。

「礼を言われることではありませんよ」


それは本心だった。

結局、彼女を救えたわけではない。

ただ壊れないよう、繋ぎ止め続けていただけだ。

けれど。

もし少しでも、彼女が今ここで穏やかに笑える理由の一部になれているのなら。

……それで十分だった。


振り返らないまま、吹雪の中へ歩き出す。

背後では、二人分の足音が重なっている。


白銀の箱庭。

閉ざされた冬。

その静かな世界から離れながら、ふと思う。


───ああ。

結局最後まで。

私はあの人を愛していたのだと。

ルーカスが不遇なので、ifルーカスの話を数話書きます。

もし良かったら読んでいただけると嬉しいです。


二章スタート時から少し経ち、レティシアの状態も少し安定しているという設定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ