第八話
恵介さん、恵介さん。ねぇ恵介さんってば。もうそろそろ起きちゃいかが?あんまり長いこと、ここで寝てたらさすがに風邪をひいちまう。ん?どのくらい眠ってたのかって?さてねぇ。アタシも少しばかり寝入っちまって、今が何の刻なのやら、さっぱりなんだコレが。お堂の外は明るかったから、帰るに苦労はしないだろうけど。
ささ、身なりを整えたら真っ直ぐ家へお戻り。寄り道なんてしたら今度こそ御母堂の大目玉が待ってるよ。
アタシ?アタシはちょいと暇を潰してから帰ろうかとね。なにせ恵介さんのトコと違って、うちで待ち構えてるのは出版社の雷オヤジだし。自業自得って・・・そんな難しい言葉どこで覚えたんだい。あー!あー!なんにも聞こえなーい!ほんと、締め切りなんてなくなればいいのにさぁ。
あぁ、羽織を返してくれるんだね、ありがとう。寒さをしのぐ足しになってよかったよ。・・・どうしたのさ、下なんて向いて。具合でも悪くしたかい?違うって言うけど、なんだか顔色がすぐれないような。ははぁ、さては母恋しさで寂しくなったんだぁ、アイター!!ちょ、暴力反対ッ!耳を引っ張らないどくれ!
いたたたたぁ・・・耳がもげるかと思った、まったく。おかしなことなんて、アタシゃなにも言ってないだろに。子が親を恋しがるのは当たり前のことなんだからさ。そんなに恥ずかしがらなくったって。
本当に違う?手を出せ?う、うん。これでいいかい?・・・おや、栞じゃないか。真っ赤な楓のうつくしいこと。これをアタシに?くれるって、でも。丁寧に押し花で手作りされてるし、作ったお人に悪いんじゃ・・・。え、恵介さんが作ったの?こりゃ驚いた。器用なんだねぇ。昨夜の甘味のお礼に、か。成る程、成る程。それなら素直に頂戴するよ。やぁ、思わぬ到来物だ、うれしいな。ありがとう、ずっと大事にするからね。
さぁ、ここらでいよいよお別れだ。いいかい、恵介さん。お堂を出たら振り返らずに行きなさい。決して家にたどり着くまで後ろを向いてはならないよ。なぜでもだ。どうかアタシを信じておくれ。
・・・そうだねぇ、またいつか、どこぞで見える日もくるだろう。今度は干し柿や飴じゃなく、酒と肴を用意しようじゃないか。気が早い?あっはっは!なぁに、人の光陰は瞬きのようなもの。いずれ恵介さんにも分かることさ。
―――――扉を開けるよ。大丈夫、君はしっかり生きていけるとも。他に恵まれ、他を助けるという、その名に適った人になる。ほら、前を向いて。顔を上げて。
君は一人の時も、一人じゃないのだから。